第11話 あたしと女騎士の逃亡劇(ラスティーナ視点)

「はあっ……はあっ……!」


 貧弱というほどではないけれど、全力で走り続ければ疲れもするし、息も切れる。


「ここまで、来れば……あと少し、よね……!」


 作戦の成功を予感しながら、あたしは急いで『ある場所』に身を隠した。

 そこはあたしが四歳の頃に亡くなってしまった、お母様の愛していた薔薇園だった。

 この薔薇園は、ちょっとした迷路のようになっている。まだあたしたちが小さかった頃、レオンと隠れんぼをしていた時に利用していた場所だ。

 あたしはよく鬼を引き受けて、屋敷の敷地内のどこかに隠れたレオンを探して走り回っていた。けれどもレオンは一向に見付からず、いつもあたしはあいつに泣かされていたのよね。

 まあ、もうあたしは立派なレディですし? 子供の頃ならいざ知らず、レオンが見付からなくて大泣きするなんて真似はしませんけれどね?

 ……そうこうしているうちに、薔薇園の中の秘密の場所に辿り着く。

 そこは屈まないと入れないぐらいの、低いアーチ状のトンネル。万年薔薇という年間を通して花が咲く種類の迷路の中で、レオンがあたしの目から逃れる為に使っていた抜け道だった。

 この場所を吐かせた時、あたしはもうとんでもなく怒ったわ。この屋敷の令嬢であるあたしすら知らなかった道なのに、レオンだけが知っていたのが許せなかったのよ。

 ……そういう秘密の事柄ぐらい、あたしにもちゃんと教えてくれなきゃダメじゃない!

 ああもう、あの時の事を思い返すだけでイライラしてきちゃうわ!


 とりあえず、この薔薇園にあたしが入っていく姿を見た者は何人か居るはず。

 お父様からあたしが部屋を飛び出したことを聞いたメイドや騎士たちは、この薔薇の迷路へと押し寄せるに違いない。

 美貌だけでなく頭脳まで冴え渡っているあたしの作戦は、まさにそれを期待しての行動だ。

 この薔薇のトンネルは、厩舎の方に続く道になっている。厩舎の中には、あたしがレオンを連れてお忍びで出かける為の着替えや、護身用の装備が隠してあるのよね。

 だからあたしは、皆が薔薇園の中をさまよっている隙に厩舎に潜り込み、着替えを済ませて馬で逃げれば追い付かれる心配も無い。

 ああっ、なんて完璧な作戦! なんてジーニアスな策略なのかしら!


 とまあ、自分の才能に酔いしれるのは後でも良いでしょう。

 あたしは早速腰を屈め、トンネルを潜り抜けていく。

 四年前から止まった身長に若干のコンプレックスを抱えているものの、小柄な女性というのも殿方の庇護欲を刺激するのではなかろうか……?

 そんな体型を活かして急いでトンネルを潜った頃、薔薇園の入り口付近から、あたしを探す複数人の声が聞こえて来る。


「お嬢様ー!」

「どちらに行かれてしまったのですか!」

「ラスティーナ様〜! 旦那様がお探しですよ〜!」


 予想的中。

 やっぱりあたし、天才ですね? むふん!

 この隙に無事トンネルを抜けたあたしは、目立たないように気を配りながら厩舎の戸を開け、そっと閉めた。

 中にはお父様の愛馬アンビシオンをはじめ、警備騎士団で所有する馬が生活している。

 あたしは奥に設置された備品入れの大きな箱を開け、一旦中身を全て取り出した。

 実はこの箱は二重構造になっていて、底をパコッと取り外すことが出来る。これを考案したのも作ったのもレオンで、下段にはあたし達のお忍びセットが隠してあるのだ。

 必要な物を取り出したら、中蓋をしてから備品を入れて元通りにする。

 すぐさまドレスを脱いで、平民に紛れても違和感の無い服装に着替え──たかったのだけれど、ここであたしはとんでもないミスを犯していたことに気が付いてしまった。


「このドレス……一人じゃ脱げないんだけど……⁉︎」


 そう。このドレスは何人ものメイド達の手でやっと身に纏うことの出来るもので、背骨に沿って左右のリボンを編み込むようにして閉じる必要があるものだったのだ。

 なので、これを脱ぐには当然リボンを解かなくてはならない。

 しかし、間違ってリボンが緩んだり解けたりしないよう、きっちりと編まれたリボンを解くのは難しい。


「ど、どうにかしてこれを解かないと! 誰かに気付かれたらおしまいだわ……!」


 両手を背中に回して、ああでもない、こうでもないと大慌てで解こうとするものの……焦れば焦るほど手元が狂い、どうしようもなかった。

 すると──


「やはりこちらでしたか、ラスティーナ様」

「だっ、誰⁉︎」


 背後からした声に振り向くと、そこには鎧に身を包んだ痩身の女性が立っていた。

 海のような青い髪はさっぱりと短く切り揃えられ、キリリとした目元が特徴的なその人物。


「ルーシェ⁉︎ あなた、どうしてあたしがここに居るって……」

「ただの勘です」


 彼女……エルファリア家警備騎士団員の一人、ルーシェは淡々とそう告げる。


「まっ、待ってルーシェ! あたし、どうしても行かなくちゃいけないところがあるの! だから、一生のお願いよ。どうかこのことは、お父様には──」

「レオン殿を探しに行かれるのでしょう? 自分も同行します」

「…………え?」


 全く想定していなかったルーシェの返答に、思考がストップした。

 けれどもルーシェは至って冷静に、あたしに歩み寄って肩に手を置き、くるりと背中を向かせたのだ。


「着替えを手伝います。少しこそばゆいかもしれませんが、どうか我慢をして下さい」

「あ……う、うん」


 籠手を外したルーシェの手が、あたしの背中に触れる。

 一人でドレスを脱ごうとしていた時間よりも圧倒的な速さでリボンを解いた彼女は、そのままあたしが脱ぐのを手伝ってくれた。

 あっという間に着替え終わったあたしを見て、ルーシェは


「こういったファッションも、ラスティーナ様にはよくお似合いです」


 と、顔色一つ変えずに言い放った。

 彼女は元々感情の読めない女性だけれど、嘘はつかない。だからこの言葉も本心で、素直に感想を述べたまでのこと。

 ……それが逆に照れ臭いんだけどね!


「……まあ良いわ。でも、どうしてあんたはあたしを逃がそうとしてくれるの?」


 あたしがそう問うと、ルーシェは至極当然といった様子でこう言うのだ。


「ラスティーナ様が幸せになれるなら、それが良いと思ったまでのこと。……この数日、レオン殿と口論をしてからのお嬢様は、とてもお辛そうでしたから」

「ルーシェ……」


 側から見て、あたしはそんなに落ち込んで見えたのかしら。

 ……実際、レオンに別れを切り出されてからは、地獄のどん底に叩き落とされたような気分だったけれど。


「そっか……心配、かけちゃったのね」

「その心配や不安を払拭するのが、我らエルファリア家の騎士の務めです」


 結局、どうしてルーシェがあたしの肩を持ってくれたのか……その理由はピンと来ない。

 だけど彼女が協力してくれるなら、あたしのレオン探しの旅はきっと成功するだろう。

 いつの間にやら警備騎士団の鎧から自前の装備に着替えていたルーシェは、彼女の愛馬ともう一頭の馬を用意してくれていた。


「さあ、時間がありません。早々にここを発ちましょう」

「そうね。……付き合わせてごめんなさいね、ルーシェ」

「構いません。自分は好きでお嬢様の供をすると誓ったのですから」


 そうしてあたし達は、馬に跨がり走り出した。


「あれは……皆、お嬢様が馬に乗って飛び出して行くぞ!」

「誰か早く追え! こちらも馬で後を追うんだ!」

「無理です! 厩舎の扉が氷漬けにされていて、ビクともしません‼︎」


 そんな声を背中に浴びながら、屋敷の門から颯爽と飛び出していく。

 ルーシェが得意とする氷魔法によって凍らされた厩舎の出入り口は、まだしばらくは開けられないはずだろう。


「ところでラスティーナ様、どちらに向かわれるのですか?」

「えっと……き、北! 北の方に行くわよ!」

「失礼ですが、理由をお伺いしても?」

「……幼馴染の勘よ! レオンはきっと、北に向かったに違いないわ‼︎」

「それでは自分も、お嬢様の勘を信じることと致しましょうか」


 そんなやり取りをしながら、あたしとルーシェは何の根拠も無い自信を胸に、王都を北上するルートを選択した。

 この時はまさか、レオンが向かった南方面とは真逆を行っていたなんて予想もしていなかったのだけれど……それに気付くのは、まだまだ先の話なのよね。

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