私の愛しの人形

デッドコピーたこはち

第1話

「カーラ、今日もお父様は遅いの?」

 わたしはベットの上で膝立になり、窓から通りを見下ろした。日は落ちて、辺りはもうすっかり暗くなり、街灯の光が通りを照らしていた。

「はい、エイルお嬢様。お父様は今日も残業だとおっしゃっていました。いつ帰れるかわからないから、先にご夕飯を召し上がる様にとも」

 カーラはわたしの膝丈ほどもない背をピンと伸ばして、窓の額縁に立ちながらいった。彼女は燃えるような赤い巻き毛と、海の様に深い青の瞳を持つ人形だ。彼女はただの人形ではない。父がわたしの為に編んでくれた生き人形リビング・ドールだった。わたしの大切な話し相手であり、親友であり、姉妹でもあった。

「今日もまた会えないのかな」

 もう三日も、父と顔を合わせていない。最近父は、わたしが寝た後に家に帰り、カーラに伝言を残して、わたしが起きる前に家から出ていく。余程、仕事が忙しいのだろう。父がそこまで身を粉にして働く一因が私にある事はわかっていた。

 わたしは早く大人になって、父の役に立ちたいと心の底から思った。


 わたしの父は編み師ウィーバーだった。肉を編み骨を紡いで、設計された生き物を生み出す職人。生物学と工学に精通した生体造形家。

 父は戦時中、徴用されて戦獣ウォ―・ビーストたちをたくさん編んだらしい。わたしはあまりにも小さかったから、父が家に居なかったその頃の事は覚えていない。母によると、父は時々しか家に帰れなかったので、わたしが自分のことを忘れるんじゃないかと戦々恐々としていたらしい。

 戦争が終わってから、父は編み師ウィーバーとしての技術を活かして、ペットショップを始めた。わたしたちは田舎の父の生家から、ソイルベリー市の大通りに面した家に引っ越した。奥に細長い赤レンガ作りの家。二階が私たちの住処で、一階がお店になった。二階から海は見えないけれど、窓を開けると潮の匂いのする風が吹き込んできた。ソイルベリー市は、前に住んで居たクローデン村とは違って、海に面した大都会だった。引っ越しした頃には、空襲を避けて疎開していた人たちも戻ってきて、人に溢れていた。

 一階は、通りに面した前半分が接客用のスペースで、後ろ半分が父の工房だった。母がカウンターでお客さんの要望を聞いて、店の奥の工房に居る父に伝える。それに合わせて父が骨格と臓器を培養、肉ミシンで筋肉を形作り、皮をかぶせて、お客さんの理想のペットを作る。

 父は色んな形のペットを編んだ。トゲのないハリネズミ、手のひらサイズの馬、翼の生えたトカゲ……その二人の後ろ姿をわたしはずっと見ていた。

 数年後、ペットの姿形や性格までも理想的に調整できる父のペットショップは、徐々に繁盛し始めた。ひっきりなしにペットの注文があって、わたしもお店の手伝いをしていた。

 だが、ある日突然母が倒れた。父は急いで母を病院に連れて行ったけど、手遅れだった。心臓発作だと医者はいった。

 母が亡くなって、わたしも涙が枯れるくらい泣いたけど、父はもっと酷かった。明るかった父は人が変わった様に口数が減り、一日中塞ぎこんだ。ペットの注文を受けることもほとんどなくなり、やがてお店も閉めてしまった。私たちは貯金を切り崩して生活していた。

 それからしばらくして、貯金が尽きかけた頃、父へ来客があった。父の軍属時代の友人だと名乗るその黒尽くめの男たちは、無気力な父を馬車に押し込み、どこかへと連れて行った。次の日、父は帰ってきた。父は「また軍で働くことになった」といった。

 父は毎日、軍の施設に出勤するようになり、わたしは学校に通う様になった。わたしの通学費用がどこから出ているかは何となく想像がついた。学校は楽しかった。勉強するのも好きだったし、新しい友達もたくさんできた。

 一方で、父と触れ合う時間はどんどん少なくなっていった。母も、もう居ない。わたしは寂しかった。でも、これ以上父の負担になりたくなくて、ずっと我慢していた。

 だけど、わたしの8歳の誕生日、目が覚めると、窓の額縁に一体の人形が置かれていた。彼女の炎のように赤い巻き毛は、胸ほどまで伸びていて、彼女の透き通った瞳は、いつか父と母と見に行った海の様に青かった。紺色のワンピースはわたしの一番お気に入りの服と一緒だった。

「初めまして。エイルお嬢様」

 人形が喋ったとき、わたしは心臓が停まるかと思った。けれど、すぐに彼女は父が編んだ生き人形リビング・ドールだと悟った。

「私はカーラ。お父様からお嬢様への誕生日プレゼントです。お嬢様、8歳のお誕生日おめでとうございます」

 人形は深々と頭を下げた。


 カーラとわたしは、その日から学校に行くとき以外、いつも一緒だった。一緒に遊んで、一緒にご飯を食べて、一緒にお風呂に入って、一緒のベッドで寝た。一緒にいたずらをして、一緒に父に怒られた。

 いちばん酷く怒られたのは、『バッタ狩り』が父に見つかったときだった。あの時は、カーラ共々こっぴどく怒られ、小一時間命の大切さについて説教された。

 家の近所に爆撃跡がそのままになっていて、草が伸び放題の空き地がある。空き地にはロープが張られていて、『立ち入り禁止』の看板が立っていたけれど、近所の子どもたちはみんな無視して、その中で遊んでいた。

 わたしは晴れの日は毎日、学校の帰りにこっそりその空き地に寄って、手提げ袋の中にバッタを捕まえた。

 そして、わたしはバッタたちを家に持って帰って、寝室に放した。自由になったバッタたちはぴょんぴょん部屋の中を跳び回った。そこで、わたしは肉ミシンの折れた縫い針をカーラに持たせるのだった。

「はい、はじめ!」

 わたしがそういうと、カーラは電光石火の速さでバッタに飛びかかり、次々とバッタたちを針で串刺しにしていった。カーラは優れた狩人で、10匹のバッタを10秒掛けずにすべて串刺しにしたこともあった。

 すべてのバッタを串刺しにしたカーラは、いつも決まって、バッタが串刺しにしたままの針を上にかざして、部屋を一周した。その姿が、戦勝パレードで先頭に立つ旗持ちの兵士みたいでおかしいので、わたしはいつも笑ってしまうのだった。

「私はお嬢様の騎士です」

 カーラはすまし顔でそう言ってから、わたしにつられて笑った。

 

「お嬢様?エイルお嬢様!どうかなさいました?」

 カーラが心配そうにわたしの顔を覗き込んでいるのに気付いた。わたしは、首を横に振った。

「何でもない。ちょっと『バッタ狩り』のことを思い出してただけ」

「お嬢様さえ望むなら、例えオーガでも串刺しにして差し上げますよ?」

 カーラは胸を張っていった。

「カーラにそんな危ないことさせられないよ」

「あら、残念。そうですね……そろそろ、夕食にしましょう。お嬢様」

「うん」

 わたしがカーラの方に手を伸ばすと、彼女はわたしの手を握った。カーラはわたしの腕を頼りにしながら、ひょいと窓の額縁からベッドへと降りた。


 わたしたちは一緒にキッチンまでいって、配給のチーズとベーコンをパンに乗せて、オーブントースターで温めた。わたしはそれをナイフで切って、わたしとカーラの皿に取り分けた。それから、その皿をテーブルまで持っていって、食べた。

 カーラはテーブルの上の小さなクッションに座っている。昔はわたしの膝の上に座っていたのだが、わたしがあまりにもポロポロとパンくずを落とすので、こういう形になった。

「今日もお父様と会えないのかな」

 最後に、父と食事を摂ったのはいつだっただろうか?遠い昔の事に思えた。カーラと居ればあまり寂しくはないけれど、やっぱり三人で食卓を囲みたいのも本音だった。

「最近、忙しいようですから。でも、もうすぐ仕事がひと段落するとおっしゃっておりました」

「本当?」

「本当です」

 カーラは微笑んでいった。わたしは嬉しくなった。

「そうだ!今日はあれを食べちゃおうか」

 わたしは戸棚からゼリービーンズの入った瓶を取り出して、わたしの皿に1粒、カーラの皿に1粒取り出した。この瓶は、父が友人からもらったものらしく、父は「なかなか手に入らないものだから大切に食べなさい」といっていた。

「いいんですか?今日はなんの日でもないのに」

 カーラは不安げにこちらの顔色を窺ってきた。カーラは口ではこう言うが、大の甘い物好きで、ゼリービーンズをいつでも食べたがっている事をわたしは知っていた。戸棚の前を通るたびに、ゼリービーンズの瓶の方をちらりと見るからだ。

「大丈夫だよ。まだ半分もあるし」

「ありがとうございます!お嬢様」

 カーラは両手でオレンジ色のゼリービーンズを持って、にっこりと笑った。


 わたしたちはその後、お風呂に入って、歯を磨いて、ベットに入った。結局、父が帰って来ることはなかった。

「カーラ。お父様によろしくね」

「はい、お嬢様。お任せ下さい」

 カーラは窓の額縁に腰かけていった。月光がカーラの影をわたしのベッドに落とした。カーラはわたしの様に長い睡眠は必要としないらしい。父が帰ってくるまで彼女は起きていることができるのだ。わたしは、それが羨ましくもあった。

「カーラ、こっちに来て」

「はい、お嬢様」

 カーラは窓の額縁から飛び降りて、わたしの枕元まで歩いて来て、座った。わたしは左手を掛け布団から出して、カーラの小さな手を握った。カーラの体温はいつもわたしよりも高くて、暖かかった。

「わたしが眠るまでずっとそうしていてね」

「もちろんです。ずっと、お傍におります」

 カーラは微笑んだ。わたしは安心した。彼女はわたしに嘘をついたこともないし、わたしを裏切ったこともない。わたしは目を閉じた。

 カーラはわたしの人形、わたしの友達、わたしだけの騎士……わたしを守ってくれる。

 まどろみの中で、わたしはカーラの手の暖かさだけを感じていた。だが、やがてどこからか歌が聞こえてきた。やさしい声だった。それは、母が歌ってくれた子守歌だった。


「お嬢様?エイルお嬢様。起きて下さい……」

 鉛のように重いまぶたを開くと、カーラがわたしの顔を覗き込んでいるのが見えた。辺りはまだ暗い。どうやら真夜中のようだった。

「なに?こんな時間に」

 わたしがまたまぶたを閉じかけたその時、一階から、がさごそと何やら物音がした。そして、わたしは思い当たった。

「お父様が帰ってきたの!?」

 わたしは跳びあがりそうになるのを、カーラは制した。

「違います!声を落としてください……下に居るのはお父様ではありません」

 カーラは真剣な眼差しでこちらを見た。

「じゃあ、誰なの……」

「わかりません。空き巣か、押し込み強盗か、あるいは……とにかくお静かに。こちらに来てください」

 わたしは胃を搾り上げられるような思いがした。この家に何者かが侵入しているのだ。わたしはカーラの言う通りに、できるだけ静かにベットから出た。

「ここに入って下さい」

 カーラはクローゼットを指差した。


「カーラ、大丈夫なの?」

「エイルお嬢様はここに隠れていてください。私か、お父様が来るまで、けして、外に出てはいけませんよ」

 寝室のクローゼットの中に押し込まれたお嬢様は、何か言いたげに口を開いたが、何も言わずにうなずいた。私は背で押してクローゼットの扉を閉めた。

 音を聞く限り、まだ侵入者は一階を物色しているようだった。私はお嬢様のベッドの下に隠しておいた肉ミシンの折れた針を回収した。

 私は大きく息を吸って、吐いた。どうやら私のもう一つの使命を果たす時が来たらしい。私は覚悟を決めた。


「くそっ!レジスターはあるのに中身は入ってねえ」

 禿げ頭の男はレジスターの引き出しを乱暴に閉めて、苛立たしげにいった。男の左腕には包帯が巻かれていた。

「はずれか?こっちもゴミばかりだ。金目のものは見当たらない」

 カウンターの引き出しを物色していたひげ面の男が、振り向いた。

「そんなはずはない。金はどこかにあるはずだ」

 両目のところに穴の開いたずた袋を被った男が辺りを見回していった。

 私は工房の培養槽の上に登り、復員スーツを着た3人の男が一階のペットショップの店内を物色しているのを見ていた。

 室内は薄暗く、明かりは窓から僅かに差し込む月光だけだ。それでも、3人の男は何の支障もなく店内を歩き回っていた。

「潰れたペットショップをわざわざ襲わなくたって良かったじゃねえか。なんもねえぞ」

 禿げ頭の男が口をとがらせていった。

「ただの潰れたペットショップじゃない……店の奥も見てみよう」

 ずた袋を被った男が先行し、こちらに近づいてきた。その時、3人の男たちの眼が夜道を歩く猫のように緑色に光っているのがわかった。わたしはこの3人は兵隊崩れなのだと悟った。しかも、元強化兵だ。

 戦争が終わって、皆がお父様の様に職を得られた訳ではない。戦後、職に溢れ、悪事に手を染めて、身を落とすしかなかった人々も居ると、お父様からはそう聞いていた。

 きっと、この3人組もその類だろう。軍に施された生体強化を活かして、夜盗をしているのだ。

「おお、肉ミシンがあるぞ」

「だから言っただろう。ここは、編み師ウィーバーの店だって。下調べはちゃんとしてある。今日はここのおやじは残業で、この家には娘が一人いるだけだ。今頃、二階の寝室でぐっすり寝てるはずだ」

 ずた袋を被った男がいった。こいつら、お嬢様のことを知ってるのだ。

「なんでも軍に雇われてるらしい。相当、貯めこんでるはずだ」

「軍の編み師ウィーバーか。気に入らねえ。俺たちをこんな風にしやがってよ……元に戻せねえなんて言いやがる」

 禿げ頭の男が憤怒の表情を見せ、ギリギリと歯ぎしりをした。そして、包帯で巻かれた左手を撫でた

「だからこそだ……俺たちから何もかも奪ったヤツらから、何もかも奪ってやる」

 ずた袋を被った男がくつくつと笑った。その笑いからは狂気が感じ取れた。

「まあ、まず金だ」

 ひげ面の男が薬品棚を物色しながらいった。薬瓶を棚から出しては、ラベルを確認し、床に積み上げていく。

「次に、娘だ。今夜の3時にはここのおやじは帰って来る。それまでにはケリを付けるぞ」

 ずた袋を被った男がいった。こいつらはただの夜盗ではない。金品を盗むだけではなく、最初から、お嬢様を傷つける為にこの家へと侵入してきたのだ。見当違いの復讐の為に。

 お嬢様を傷つけようとするヤツに容赦は必要ない。こいつらは、必ず殺す。私の中に決意と殺意が漲った。わたしは針を握りしめた。

「まだ大分時間あるな。こんなに立派な培養槽もあるってことは、相当儲けてる証拠だ。ゆっくり探そう」

 薬品棚を物色し終えたひげ面の男が培養槽に近づいてきた。

「……まて、培養槽の上になんかあるぞ?」

 ひげ面の男と目が合った。

「人形?」

 ひげ面の男が首を傾げた。その瞬間、私は跳び出し、男の右目に針を突き立てた。

「ぐえええっ!!」

 ひげ面の男が叫び、痛みに身を捩った。わたしはその勢いを利用して、針を引き抜き、薬品棚の陰に隠れた。

「テディ!」

 すぐさま禿げ頭の男が、倒れ込むひげ面の男に駆け寄ろうとした。だが、ずた袋を被った男がそれを引き留めた。

「警戒しろ!銃を出せ!」

 ずた袋を被った男は怒鳴った。

「……了解!」

 禿げ頭の男は自分の左手に巻いてある包帯を解いた。男の左手はオレンジ大の脈打つ肉塊だった。その先端には爪のような、牙のような白い象牙質の突起物が列を成して生えていた。

「テディ、自分で立てるか?何を見た」

 ずた袋を被った男は懐からナイフを取り出し、逆手に構えながらいった。

「ああ、立てる。くそっ、人形だ。人形にやられた」

 テディと呼ばれたひげ面の男は右目を抑えながら立ち上がった。

「人形……?そうか、ここの編み師ウィーバーが編んだ戦獣ウォ―・ビーストだな。人型の小さい奴、諜報用だ。かなり賢くて、言葉も喋れる奴だ」

 ずた袋を被った男がいった。男は喋っている途中も、周囲の警戒を怠ってはいない。隙が無かった。本来は先にこの男を倒すべきだったが、なし崩し的に戦闘が始まってしまった。

「野郎!出て来い!ハチの巣にしてやる」

 禿げ頭の男は自分の左手に右手を添えて叫んだ。

「静かにしろ、オスカー。周りの家の住人に気づかれるぞ……クリス、相手は軍用級か?やっかいだぞ」

 テディと呼ばれたひげ面の男は左目から手を離していった。左目からの出血はもう止まっていた。

 禿げ頭の男はオスカー。ずた袋を被った男はクリスというらしい。

「ああ、予想外だ。だが……おい、隠れてる人形よ。出てきてくれ。俺たちは仲良くできるはずだ」

 クリスはナイフを懐に仕舞い、両手を広げた。

「クリス!テディが目を潰されたんだぞ。そんなやつと仲良くできるわけ」

「お前は黙ってろ」

 激昂したオスカーをテディが制した。

「俺たちは同じだ。編み師ウィーバーによって造られた歪んだ生命。人間の勝手な都合で造り出された化け物だ。人殺し用の怪物だ」

 クリスは頭のずた袋を外した。その中から出てきたのは、絵本に出てくる怪物のような頭部だった。ワニの様な長いマズルとどこまでも裂けた口、犬の様な立った耳を持った顔だった。鱗に覆われた皮膚は月光を浴びて、てらてらと光っていた。

「今こそ、俺たちの生命を歪めた連中に復讐する時だ。俺たちが力を貸そう。もう、お前の主人の言うことを聞く必要はない。お前は自由になれる。俺たちと共に来い」

 クリスがいった。確かに、男の言う通りではあった。私はエイルお嬢様の世話を仰せつかっているが、私の身体は子守用のものでは決してない。諜報と破壊活動に優れた兵器、人殺しの為に造られた怪物なのだ。この男たちと本質的に私は同じだった。

 だからこそ、できることがあった。

 男たちは先ほどの奇襲を警戒してか、培養槽や薬棚の上方ばかりを警戒していた。私は薬品棚の陰から静かに出て、カウンターの後ろに隠れた。そこから床を四足歩行で移動し、ひげ面のテディの足元に忍びよった。

「返事はなしか……」

 クリスの声が上から聞こえた。私はテディの足の甲に思いきり針を突き立てた。針は革靴のタンを貫通し、足の甲に突き刺さった。

「痛てえ!くそ、また……うおっ、」

 テディは右足を庇ってバランスを崩し、肉ミシンの滑り台に倒れ込んだ。すかさず、私は足ふみ式のボタンに飛び乗り、肉ミシンを稼働させた。

 肉ミシンがうなりを上げて動き出した。ハズミ車が回転し、肉糸に繋がった肉ミシンの縫い針が猛烈な勢いで上下した。テディの肩から胸にかけてが縫い付けられていった。

「おぉおおおっ!!」

 テディは絶叫した。

「今助ける。テディ!」

 オスカーが左手を肉ミシンへと向けると、左手に生えていた牙のような突起物が次々と射出された。肉ミシンは穴だらけになり、破壊された。

「そこかっ、食らえっ」

 オスカーは私に左手を向けてきた。私はその瞬間、跳んだ。私のすぐ後ろを、射出された牙が通り過ぎて行くのを感じた。私は床で一度踏み切り、床に積み上げられていた薬瓶を駆け上った。

「速い!」

 オスカーが叫んだ。薬瓶が射撃を受けて、次々と爆ぜていく。砕け散ったガラス片が私の頬を掠めていった。

 私は一番上の薬瓶から、培養槽の隣にある緑色に塗られたガスボンベのレギュレータへと跳んだ。レギュレータに付いたメーターのガラス面を蹴って、そこから、さらに培養槽の裏側へと飛び込んだ。綿ぼこりだらけの床に着地すると。後ろからシューという何かが漏れる音が聞こえてきた。

「しまった!」

 流れ弾でレギュレータを破損したガスボンベは、中身の二酸化炭素を吹き出しながら一直線にオスカーへと飛んでいった。ガスボンベの突撃を腹部へとモロに喰らったオスカーはそのままガスボンベと壁の間に挟みこまれた。

「ぐぶっ、ぐぅ」

 オスカーは口から血を吐き出した。数瞬後、ガスボンベは軌道を変え、店の出口の方に飛んでいった。ガスボンベは店の出入り口扉に直撃し、大穴を開けた。衝撃と轟音の後、ガスボンベはそのまま外に出ていって、大通りの石畳でがらんごろんと大きな音を立てた。

 出入り口扉の大穴からは、向かいの家の明かりが点くのが見えた。明かりの付いた窓には人影が動くのが見え、人の話し声が僅かに聞こえてきた。


 私は培養槽の陰から店内を覗いた。テディは肉ミシンの滑り台に縫い付けられたままであり、オスカーも吐血して床に崩れ落ちていたが、まだ生きていた。驚異的な生命力だったが、それこそ編み師ウィーバーに手を加えられた生命の証だった。

「勝ったと……思っているのか?」

 クリスは獣のように唸った。その長いマズルは深いしわを刻んで、短くなっていた。襞のような唇の隙間からは鋭い牙が覗いていた。私は、近所の犬が怒っている所を思い出した。

「今から通報があっても、警官隊が来るまで30分はかかる……それに、警官の持ってるチンケな銃じゃ俺を殺せん」

 薄暗い室内で、復員スーツを着たクリスのシルエットが僅かに膨れ上がったのがわかった。

「お前は二階に居る娘が余程大切なようだな。今の必死な姿でわかったよ……これから、お前の主人を八つ裂きにして殺してやる。俺は止められんぞ。」

 クリスからバキバキと骨が軋むような音がした。次の瞬間、クリスのジャケットとベストが弾けた。スーツの残骸の隙間からは岩のように隆起する筋肉とそれを覆う鱗が見えた。そして、クリスの右手の指先が変化し、鋭いかぎ爪と化した。

 クリスは二階に通じる階段を一瞥し、そこに向かって歩き始めた。

 この男は本気だ。私は培養槽の陰から飛び出した。クリスが振り向く前に、培養槽のガラス壁で三角跳びを決め、クリスの首すじに飛びかかった。

 私は空中で一回転し、その勢いのまま針を突き立てた。だが、針は鱗に弾かれ、刺さらなかった。

「なっ……!」

 私は慌ててクリスの首を蹴って、後ろに跳び退いた。

「無駄だといったろう」

 クリスは驚くべき速さで振り返り、右手を振るった。私は床に叩きつけられた。

「くっ!」

 肺の空気が全て叩き出され、全身に激痛が走った。目の前に星が散った。だが、まだ死んでいない。身体は動く。私は立ち上がろうとした。

「……!」

 私はバランスを崩して、また床に倒れ込んでしまった。何かがおかしい。倒れ込んだ自分の目の前に、見慣れた何かが転がっていた。これは、私の右足だ。

 自分の足へ目をやると、右足の太ももの中ほどから先が、失われているのがわかった。その断面から、血液が私の心臓の鼓動に合わせて断続的に噴き出していた。

「はあっ、ああ!」

 汗が吹きだす。右足が切断された痛みがやっと襲ってきた。ふん、とクリスが鼻で笑ったのが聞こえた。

「そこで、娘の断末魔を聞け……安心しろ。デカい声で叫ばせてやるからな」

 クリスはそう吐き捨て、階段を昇っていった。


 クリスがこつりこつりと、階段を上る音が聞こえてくる。このままでは、お嬢様が危ない。私はもう一度立ち上がり、片足跳びで階段の方へ向かった。

 あまりにも、あまりにも遅い。これでは、到底間に合わない。

「はあっ、はあっ」

 汗が額から流れ、顎の先から滴り落ちた。また、クリスが階段を上るが聞こえる。今、何段昇ったところだろうか?まずい。

 視線の先で、なにかが月光に煌めいているのが見えた。床に刺さっている。私が持っていた肉ミシンの針だ。その針は、さっきまでより短くなっていた。クリスの一撃によって、私の右足と同じく切断されたようだった。私はその針まで片足跳びで急いだ。

 急に、お嬢様との思い出が、走馬燈ゾエトロープのように私の脳裏によぎった。


 初めてエイルお嬢様と出会ったとき――より正しく言えば、お父様の手で寝室に連れられ、お嬢様の寝顔を初めて見たとき――私は彼女が人形だと思ったのだ。艶やかな栗毛、張りのある頬、なだらかな鼻梁。何もかもが完璧に見えた。このような生命など存在し得ないと思った。呼吸に合わせて上下する胸を見なければ、お嬢様が目を覚ますまで、彼女が生き物であることを信じられなかっただろう。

 もちろん、お嬢様を見た時のこの私の反応が……仕組まれているものだと私は知っていた。お父様はお嬢様の為に私を造った。私がお嬢様を何よりも大切に思うように、何よりも美しく感じるように、そのように私を設計したのだ。だが、私はそれで良いと思った。こんなにも美しい存在に仕え、身を捧げるのが自分の使命であることに、私は打ち震えた。


 それから、私はエイルお嬢様に仕えた。だが、それだけではなかった。お嬢様は、私が彼女に捧げたのと同じくらいのものを、私にくれた。

 チョコチップクッキーやゼリービーンズだけではない。彼女は造り物の私に、本物の思い出を与えてくれたのだ。

 一緒に初めてあやとりをした時の事を覚えている。一緒に歌を歌い、一緒にお医者さんごっこをした事を。一緒に怖い絵本を読んで、一緒に眠れなくなって夜更かしをした夜を覚えている。そして、『バッタ狩り』が見つかって、一緒に怒られたことも。

 彼女が見せた笑顔を、怒り顔を、泣き顔を、そして、亡きお母様を想う時の、あの顔を覚えている。

 良い事も、悪い事も、お嬢様と過ごした全ての一瞬は、私にとって輝きを放つ大切な思い出だ。

 ああ、私のお嬢様。私の親友。私の主人。私だけの、愛しのお人形ファントチーニ……

 エイルお嬢様のことを想うと胸が熱くなる。生まれてきて良かったと、彼女の為に造られて良かったと心の底から思う。この身と魂を捧げても、まだまだ足りないと思う。

 この気持ちも、お父様に造られたものなのだろうか?……そうかもしれない。

 だが、彼女との思い出は本物だ。例え、私の全てがニセモノでも、彼女が私にくれた友愛と思いやりの心は、間違いなく本物なのだ。それに報いなければならない。


 気付くと、私の目の前に肉ミシンの針があった。よく見れば、突き刺さった針先の逆側、針の断面が斜めに尖っている。私はそれを見て、電撃的にひらめいた。クリスが階段を昇っている音がする。まだ、間に合う。お嬢様を守らなくては。右足の断面からはもう血が止まっていた。

 私は、思い切って踏み込み、切断された右足に尖った針の断面を突き刺した。


「ああ、そこに居たのか」

「待て!」

 私が二階に到着した時、クリスはクローゼットの扉に手を掛ける寸前だった。寝室のベッドは全て紙細工の様にバラバラに引き裂かれていた。

「……なかなか、気合が入ってるじゃないか」

 クリスはこちらに振り向き、私の右足を見ていった。私の右足には義足代わりに、短くなった肉ミシンの針が突き刺さっていた。針を大腿骨に突き刺した瞬間は耐え難い程の激痛があったが、興奮が痛みを上回ったらしく、もう何も感じなかった。

「来い」

 クリスが手招きするのと同時に、私は駆け出した。クリスは近づく私に対して、右手を振るった。私は左足で踏み切り、跳んだ。鋭いかぎ爪が私の下を通り過ぎていった。クリスを飛び越した私は、右足の針先を床に突き刺して、反転した。そして、またクリスに向かって駆け出した。クリスは振り返り、また右手を振った。私はまた左足で踏み切り、跳んだ。

「甘い!」

 クリスは大口を開け、こちらに噛みついてきた。狙い通りだった。私は空中で身を捻り、右足を突き出し、クリスの口内に勢いよく飛び込んだ。鋭い牙の先が私の右手を引き裂いたが、私自身の勢いはまだ止まらなかった。右足の針先がクリスの喉奥に突き刺さった。


「ねえ、カーラ!お願い。起きて!」

 鉛のように重いまぶたを開くと、エイルお嬢様が私の顔を覗き込んでいるのが見えた。辺りを見回すと、まだ暗いのに、やたらと人の話声がした。後頭部が何やら柔らかい。私はお嬢様に膝枕をされているようだった。

「ああ、お嬢様なぜ……ああ!お嬢様、ご無事でしたか」

 徐々に記憶が戻ってきた。私は最後に捨て身の攻撃を仕掛けたはずだった。なぜ、生きているのだろう?ふと、私は引き裂かれたはずの右手を見た。右手の傷は肉糸で丁寧に縫い合わされていた。

「これは、お父様が?」

「ううん、わたしがやったの。警察の人が連絡してくれたけど、お父様はまだ帰ってきてないの」

「これを、お嬢様が?」

 私ははっとして、自分の右足を見た。失ったはずの右足も肉糸で縫い合わされている。

 縫い口がお父様のそれとよく似ている。私は以前お父様に聞いた話を思い出した。お嬢様はかつてお父様が工房で仕事をしていた時、その様子をよく見ていたという。きっと、みようみまねでお嬢様は肉糸の技を身に付けていたのだろう。

「カーラ、ありがとう。こんなになっても、わたしを守ってくれて」

 お嬢様は涙ながらにいった。私は左手をなんとか動かして、彼女の涙を拭った。

「どうか、気にしないでください。これが、私の使命ですから。それに、お嬢様も私の命を救ってくださいました」

「うん。カーラが生きてて良かった。カーラも死んじゃったら、私……」

 お嬢様は私に抱き着いてきた。

「私はどこにも行きません。お嬢様。ずっと、お傍におります」

 私はお嬢様を強く抱き返した。

 

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