13:俺と彼女とデート(後編)




 途中のファミレスで昼食を取り、目的の温泉にたどり着く。群馬に程近いその温泉は場所も遠いこともあってか、静かな場所だった。というか回りは田畑だ。なんでこんな所に温泉が? と思わなくはない。


 実際にナビ通りに車を走らせて、道が合っているか不安に思ったほどだ。


 門を潜って見えた景色に、響花は感嘆の声を上げる。


「わぁ、純和風って感じだね!」


 門から玄関までのこじんまりとした庭ではあったが、目に優しい配色のそれは、和風と言うには十分だった。


 玄関に入り、カウンターで受付を済ませる。


 中も和を基調とした作りで、大窓の廊下から見える景色も緑豊かな景色が広がっていた。


 京都にある寺院のような荘厳な庭園とは違う。ドラマに出てくる江戸時代や明治時代の庭ともまた違う。しかし、和風と言える整えられた景色が俺たちの目を彩ってくれた。


「それじゃ、また後でね」


「おう。先に上がってるだろうから、待ってる」


 そう声をかけあって、俺と響花は男湯と女湯に別れたのれんの先に入っていった。



 

◇  ◇  ◇




 脱衣所で服を脱いでガラス戸を開けて大浴場に入る。


 混んでいるかと思ったが案外そうでもない。


 体と髪を洗い、頭にタオルを乗せ、大浴場の湯船に肩まで浸かった。


「~~~~~~~~──はあぁ……」


 全身がじんわり染み入るような温かさに包まれ、代わりに疲労感という目に見えない何かが抜けていくような気がする。


 縁に頭を乗せ、天井を仰ぎ見る。


 ほお……天井たけぇなぁ……。


 立派な木組みの梁が特徴的だと思った。首を戻して辺りを見渡せば、浴場の大きな窓からは広い露天が見え、思ったより大きな場所だなと思う。


 露天も楽しみだが……と視線を巡らせた先に、ジャグジーが目に入った。


 手じゃ中々ほぐれない、やっかいな肩や腰の凝りにはこれだ。


 早速ブクブクと泡立っているジャグジーの場所に移動し、その泡圧を体に受ける。


 あ゛ー、肉がほぐれていく感じがする。


 至高。大きな窓から見える植木も合間って癒し度が高い。


 ひとしきりジャグジーに身を預けたあと、露天へ出てみる。岩作りの露天風呂に、寝湯、壺湯と中々に広い場所だと思った。


「へぇ……池と、滝か」


 奥に進むと滝が見えた。温泉から滝が見えると言うのは珍しい。この滝を見ながら温泉にはいるのは乙かもしれない。そう思い、見ながら入れる場所を探せば──檜風呂があった。


 さっそく檜風呂に入り、縁に肘をのせて滝を眺める。


 こうしてゆっくりと自然を堪能する時間は、ひどく久方ぶりな気がした。


 別に休日はあるのだから、来れなくはない。


 ただ、仕事の疲労感からか、プレッシャーで気が病んでいたのか、こういう場所に来ようとすら思わなかった。


 俺の休日はもっぱら平日ですり減らした体力と、気力の回復に当てられていたが──部屋の中でぐーたらしていた所で、体力は回復しても気力なんて回復しなかった。


 そんな事はわかっていても、しかしどこか出掛ける気力もなく今までは過ごしていた。


 だから多少強引であったとはいえ、こうして引っ張り出してくれた響花には感謝しないといけないなと思う。


 それだけじゃない。


 毎日ご飯は作ってくれるし、洗濯もしてくれているし、部屋も綺麗にしてくれている。あんなに真面目にやってくれるとは思ってなかった。正直、ものすごく助かっている。


 それに、毎日「おかえり」と出迎えてくれるのは、なんだか安心感があって好きだった。


 毎日暗闇しか出迎えなかったあの部屋に、あの子は輝きを与えてくれているのかもしれない。そんなことを考える。


 お礼に、次の休みはどこか遊びに連れていってやるか。そんなことを考えるくらいには、俺は彼女に心を許しているのだなと思った。


 そこで、はたと気がつく。


 そういえば、俺は彼女の事を何も知らない。


 年齢も、誕生日も、血液型も、好きなものも、嫌いなものも知らない。


 この二週間、俺は踏み込もうとしなかった。あの子は家出娘で、時が来れば自ずと居なくなるものだと思っていた。


 サラリーマンのオッサンと女子高生なんて、本来であれば一緒に住むなどあり得なかった関係だ。


 けれどもう少し彼女の事を知っても良いのではないか。もし、居なくなるとしても、名前と容姿以外何も知らないなんて、それはあんまりではないのか。


 そんな事を思ったりもする。


 まあ、雑談まじりに聞いてみるか。


 誰かの事を知りたいと思う感情はなんだったか。そうして他者を知りたいと思うことすら、長らく無かったことだった。




※  ※  ※




 体と頭を丁寧に洗い、髪の毛をお団子にしてまとめる。内風呂に目もくれず、私はガラス戸を開け露天へ出る。


 周りの女性──といってもおばちゃんとお婆ちゃんばかりだけれど──は体も隠さず歩いているが、私は流石に恥ずかしいのでタオルで体を隠しながら辺りを見渡した。


 まずは……この岩作りの露天風呂だよね。


 爪先を入れ、その熱さにちょっと驚きながらも、ゆっくりと浸かっていく。


「~~~はぁあ……」


 生き返るぅ。それしか言葉が出てこない。


 おじさんの家だとそんなに湯船は広くないから、こうして足を伸ばせるだけで段違いだ。


 周りの整えられた植木などの景観も悪くない。


 曇天ではあるものの、計算された照明の配置は、そんなこと感じさせないくらいに幻想的に辺りを照らしている。


 私が想像していた何倍も、ここはきれいな場所だと思った。


 こうなると奥の方も気になる。


 そわそわとした気分が抑えられなくなり、私は早々に岩風呂からあがると奥に進んだ。


「わぁ…………」


 奥の方にはお湯が張られた大きな壺と、木組みの湯船と、そして眼下には泉が広がっていた。


 木々でおおわれた泉の奥には小さいながらも滝が見える。


 ああ、この景色を見ながらお風呂に入れたら、確かに最高だと思う。


 木組みのお風呂の方を見れば、看板に檜風呂と書かれていた。


 檜風呂という言葉に心が踊る。温泉と言えば檜風呂という勝手なイメージがある。ちょうど今なら誰もおらず、貸し切り状態だ。


 早速足を踏み入れ、その湯に体を浸す。


 ここからでも、整えられた木々と泉と滝が望めた。


 光太郎さんも、この景色見てるかな……。


 ぼんやりとそんなことを考える。


 そしてひとりでいれば、更に余計なことを考えてしまう。


 今日こうしてデートという形にして連れてきて貰ったが、果たして光太郎さんは迷惑ではなかっただろうか、とかだ。


 ちょっと無理矢理過ぎたかなぁ、と少し不安になる。


 光太郎さんも楽しんでいるといいけど、と男湯がある壁に視線を向け──


「──いい景色ですわね」


 しかし、その視線を遮るように、美女がいた。


 そう、美女としか言いようがなかった。ブロンドの鮮やかなウェーブの髪をポニーテールでまとめ、整った顔立ちは日本人離れしている。同じ日本人とは思えないから、観光客だろうか。真っ白な体は出るとこは出て、引っ込むところは引っ込んでいて、羨まけしからん体だ。


 そんな美女が、全裸で仁王立ちしていた。


 その彼女が、私の視線に気がつき、眉を上げる。


「あら、貴女」


「は、はひ!?」


 見とれていたことに気を悪くさせてしまっただろうかと思い、変な声が出る。


 というか外国の人だと思ったのに、すごい流暢な日本語だ。


「タオルを巻いて入るのはNGでしてよ」


「あ……すいません!」


 指摘され、慌てて体を隠していたタオルを取る。


 しかし、あんなスタイル抜群な美人の前で肌を晒すのはなんだか恥ずかしいと、私は檜風呂の中で縮こまるように膝を抱えた。


 それを見て、彼女はクスリと笑いこちらに近づいてくる。ああ、揺れる! 何がとは言わないがすごい揺れてる! 擬音で言うなら「たゆんっ」だろうか。


 彼女は私の入っている檜風呂に静かに入り込み、その身を温泉にゆだねる。


 あ、浮いてる。すごい、浮くんだ。何がとは言わないけれど。


「良い場所ですわね」


「へ? ああ、そうですね」


 彼女は檜風呂から眺める景色に目を細めてうっとりと呟く。写真でも取ればそれだけで価値が出そうなほど、見てるこっちがうっとりする横顔だった。


「あの……お綺麗ですね」


「あら、ありがとう。あなたも、とっても可愛らしいですわよ」


 なんの嫌みのない笑みだ。見ているこっちが安心できるような笑みだ。


「あ、ありがとうございます……」


 それでもなぜか緊張してしまって、ちょっと上ずった声が出る。


 気を取り直すように私はひとつ気合いを入れ、


「日本語お上手ですね。どこの国の方なんですか?」


「フフフ、私、日本人ですのよ?」


「えっ!? あ、ごめんなさい!」


「まあ見えませんわよね。いつもの事ですから気にしませんわ──貴女、お名前は?」


「私、響花です。長島響花」


「マリーですわ。立花たちばなマリー。私、ハーフですの」


「そうなんですね。凄いお綺麗だから、てっきり海外の人かと」


「ウフフ、よく言われますわ」


 マリーさんは優雅に笑って見せると、手のひらでお湯をすくい、肩にかけた。そんな何気ない仕草すらもきれいに見えて、私は驚く。


「今日はお一人? ……ではありませんわよね。ここ、車じゃないと遠いですもの。ということは──」


「ええ、今日は……えっと、その……家族と」


「彼氏ですわね!?」


 家族と言ったのに、食いぎみに間違えられた。


「いや、あの、彼氏では……」


「でも男性ですのね?」


「え、あ、ハイ。ソウデス」


「いいですわねぇ。私も素敵な殿方と来たいですわ」


 頬に手を当てうっとりと彼女は言う。


 この人、人の話聞かないなぁ。


「にしては浮かない顔をしていましたわね。喧嘩でもしました?」


「そう言うわけじゃないんですけど……」

 

 もしかして先ほど考えてたことが顔に出ていたのだろうか。


 見ず知らずの人に言うべきかどうか悩む。しかし、彼女の目は「どうしました?」とでも言うかのように私の言葉を待っていた。


 そんな顔をされたら黙っているのも変だろう。


「ちょっと無理矢理、彼を連れ出して来たんです」


「へぇ。でも、断られなかったんですのよね?」


「そうなんですけど……。彼は大人だから私に気を遣ってくれたのかなって、そう思わなくもないんです。本当にこれで良かったのかなって、ちょっと不安で」


「あら」


 少し驚くような表情をひとつ彼女は挟み、しかし次の瞬間には安心させるかのように微笑んで見せた。


「でも、それはきっと正しい感情ですのよ?」


「え?」


「誰だって何かを行動に移すのは不安なものですわ」


 ですが、と彼女は区切り、


「踏み込まなければ、何も始まりませんわ。その先が失敗だったとしても成功だったとしても、それが経験となり人は成長してくものですわよ」


 だから、と彼女は付け足す。


「恐れず踏み込んでみなさいな。駄目だった駄目だったで その時はその時に考えればいいのですわ」


 その豊満な胸を張って彼女は言う。


「我が家の家訓はこうありますの。とりあえず殴ってから考える」


 んん……?


「……ちょっと過激すぎて付いていけないです」


「ウフフフフ。じょ、冗談ですのよ?」


 あ、この人、多分やベー人だ。


 でも──、


 恐れず踏み込む、か──。


 私はどうしたいのだろう。どういう風に彼に向かっていきたいのだろうと考え、しかし直ぐにそれに気づく。


 ──私はあの人の笑った顔が見たいのだ。


 もし望むならば、それを見たいのだ。


 笑顔にさせることが、果たして正解かどうかわからない。けれども彼女の言うとおり、駄目だったら駄目だった時でまた考えるしかない。


 よし、と顔を上げ私はマリーさんに笑顔を向ける。


「あの、ありがとうございます。なんだか勇気湧いてきました!」


「フフ、応援してますわ」


 マリーさんは優雅とも言える笑顔を返して見せた。

 



◇  ◇  ◇




 お風呂から上がり、マリーさんと連絡先の交換をする。


 結局マリーさんとお話ししながら二時間も入ってしまっていた。光太郎さんはきっととっくに上がっているだろう。


「光太郎さんは……と。あ、居た」


 畳の大広間の一角に彼は居た。


「寝てますわね」


「寝てるね……」


 壁に寄りかかって、光太郎さんはぐっすりと寝ていた。


 二人で膝を折ってその顔を覗き込む。こんな美少女二人に囲まれてぐーすか寝ているだけとは、なんとも勿体ないなぁと、私は口許を緩めた。


「しかし……想像していたよりお年を召していますわね」


 マリーさんは不思議そうに私と光太郎さんの顔を交互に見比べると、


「親子……には見えませんわね。似てませんもの」


 どういう関係ですの? と問うような視線を私に向けた。


 その視線に私はどう返すかひとつ悩み、


「ただの、おじさんだよ」


 と答えた。


 まあ、叔父ではないが、嘘は発音していない。


 ただ彼女は「ふぅん」と納得したような、そうでもないような曖昧な笑みを浮かべると、


「まあ、そういうことにしておきますわ」


 そう言って、折った膝を伸ばし立ち上がった。


「さて、じゃあ私は馬に蹴られないうちに退散しますわ」


「……なんですか? それ」


 彼女を見上げながら──うわ、見上げると一段と凄いなぁ……何とは言わないけど。


 ともあれ、言葉の意味がわからず聞いてみるとマリーさんはクスクスと笑い、


「後で調べてみなさいな」


 と言って去っていった。


 手を振ってその姿を見送りながら、変な人だったなぁと思う。


「さて……光太郎さん。光太郎さん!」


 私は起きる気配が全く無い彼を、揺すって起こすのだった。

 

 

 

 

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