Scenario.5


 俺は近衛騎士クロエに連れられ、学園へと向かう。昼間は喧騒に包まれている敷地内も、夜ともなれば静まり返っている。

 フラフラ歩くクロエは、ボトルの先を口に運びブランデーをさらに一口酒を飲む。

「王女様はどちらに?」

 聞くと、クロエが素っ気なく答える。

「応接館にいらっしゃいます」

 そういうものがあるというのは知っているし、外から建物を眺めたこともあるが、入ったことはない。なにせ生徒会にでも入っていれば別だろうが、俺のような学生は誰かを招くことも、招かれることもないからだ。

 酔っ払いの騎士に従って、建物に入る。

「こちらです」

 扉を開けると――王女が窓際で佇んでいた。

 同じ学園の生徒だ。もちろん姿を“拝見”したことはある。だが、間近で目にしたのは初めてだ。

 王女様は、学校の制服というありふれた格好をしていたが、それでも、いやだからこそか、普通の人間にはない気品をまとっていた。

 ロイヤルブルーの瞳に、明るい輝きを放つブロンドの長髪。まだ幼さは残るが、彼女がこの国を統べるために生まれてきた存在なのだということは、平民の俺にもよく理解できた。

「夜遅くに呼び出してすまないな」

「……いえ」

「日を改めるのが普通だろうが、干し草は日が照っているうちに作れというだろう――まぁ、夜だがな」

 得意げにことわざを持ち出す王女。俺は言葉を返すことができず、ただ王女の目を見つめ返す。

 すると、彼女は一息ついてから、切り出した。

「あなたの力を貸して欲しい」

 その台詞を聞いて、目を見開く。だって、それは俺が昨日、あの本に書き記した“シナリオ”と全くもって同じだったから。

 こんなことがあるか?

 一つだけならいざ知らず、二つも、非日常な出来事が、あの杖で描いた通りに起きたのだ。

 ここにきて俺は、神の杖の力は本物だと、ほとんど確信に近い感覚を得ていた。

 俺は神の力を手に入れたのだ。

 ――いや、待て。それは後回しだ。今は王女様を目の前にしている。まずはその会話を進めるのが先決だ。

「まぁ、座って話そう」

 エリスはそう言ってソファーに座る。王女はその美しい手のひらを見せて、斜めの隣のソファーを俺に示す。促された通りに座ると、フワリと、香水の匂いが香る。

「……力、と言いますと?」

 聞き返すと王女は答える。

「剣の腕前だ。あの名家であるヴェーン公爵の跡取を瞬く間に破った、その腕前を私に貸して欲しい」

 状況を整理すると、王女はなにやら俺の戦闘能力を買ってくれているらしい。その理由は、まさに今日のオスカーとの決闘。――これは、俺が書いた脚本通りだ。

「あれはまぐれで勝てただけですが……」

 俺は嘘をついても仕方がないと、正直なところを答える。王女に認めてもらえたのは嬉しいが、しかし過大評価して、大きな期待を持たれるのはそれはそれで荷が重かった。

 俺は運よくオスカーに勝ったが――いや、運が良いというより、杖の力があったからかもしれないが――、俺とあいつを比べたら、魔法使いとしての力はあちらの方がはるかに上だ。だが、王女は俺の目を見て語りかけてくる。

「まぐれなどない。確かに純粋な魔力に関して言えば、決して恵まれたものを持ってはいないだろう。だがその戦闘能力は、“近衛騎士”に肉薄したものを持っている」

 近衛騎士は、この国においてもっとも戦闘能力に長けた魔法使いの集団だ。それに肉薄しているというのは、もし事実なら相当なものだ。王女がそう言ってくれたことに俺は胸を打たれる。確かに、例えば魔力で劣っていても、こと近接戦闘においては、他人には劣っていないという自負はあった。魔力量で劣る分、その訓練には力を割いてきたからだ。それを、この国の王女様に認められるのはこの上なく嬉しい。

「……しかし、私になにをお望みでしょう」

 俺が恐る恐る聞くと、王女はすぐさま迷いなく答える。

「この国が真に平和であるために、力を貸して欲しい」

「……平和のため、ですか」

 ――15年ほど前、世界に大戦の炎が燃え広がった。世界を巻き込んだ戦争は、数千万人もの人間の命を奪った。だが、その世界大戦の終結後、世界はいびつさをはらみながらも、少なくとも平面的には、平和を取り戻している。実際、局地的な小競り合いはあれども、大規模な戦闘は起きていない。

 まさに平和と言える。

 そんな中、王女の言う“平和”がなにを意味しているか――。

「この国は、今大きく分けて二つの勢力がある。一つは言うまでもなく、労働党政権。そしてもう一つはそれに対抗する旧政権与党の保守党です。そのどちらも、爆弾を抱えている」

 労働党は、大戦の後に結成された政党で、先の選挙で“自国民のための政治”“シフ人の排斥”を掲げて躍進、政権与党の座に就いた。

 一方保守党は、主に貴族と資産家階級が支持する政党で、長らく政権与党の座にあったが、普通選挙が実施されるようになってからは苦戦している。

 この二党は熾烈な争いを繰り広げている……が、しかしそれは選挙においての話だ。別に表立って魔法を打ち合っている訳ではない。そんな彼らが抱えている爆弾、とは……

「労働党は、ただの政治団体ではない。影で、“死神の星々”と呼ばれる秘密の戦闘集団を抱えて、秘密裏に敵対する勢力を排除している。彼らは、表向きではただの“政党”だが、裏では着実に武力を蓄えているのだ」

 死神の星々の存在は、公式には認められていないものの、噂レベルではかなり広まっている。実際、労働党に敵対する勢力の大御所が不自然な死を遂げており、その存在はほぼ確実と言われている。労働党の反対者にとっては極めて大きな脅威だ。

「保守党にしても、労働党に対抗するため、影で暗躍を進めています。特に王党派は、王政復古――貴族による政権の樹立を今でも狙って、力を蓄えている」

「つまり、いずれの派閥も、影で武に頼って、権力を握ろうとしている、ということですか」

「その通り。実は一触触発の状態にあるのです。しかもお互いのエゴの為にね。真に国全体のことを、もっと言えば平和を望んでいる人はほとんどいないのです。だから、王室が――私が、平和のために、少しでも力になりたい。そのためにあなたの力を借りたいのです」

 つまり、労働党、保守党、そのどちらに組みするわけでもなく、ただ平和のために動きたいというわけか。

「しかし、今の私に味方はほとんどいません。直接動かせるのはこのクロエただ一人です」

 かつてこの国の支配者だった王族も、今ではただのシンボルにすぎない。“君臨すれども統治せず”が原則だ。まして王女ともなれば、政治的にも軍事的にも力は無いに等しい。わずかばかりの兵隊に指示を与えることさえできず、戦力といえば近衛騎士のみだ。

「だからあなたにも力を貸して欲しいのです」

 ようやく話が見えてきた。つまり、俺に手駒になってほしいと。

「もちろん、報酬はお支払いします」

「……しかし、報酬を払えるのであれば、賞金稼ぎを雇えばいい。わざわざなんの経験もない私を雇いますか?」

 俺はパッと思いついた疑問を投げかける。だが、王女はすぐさま回答する。

「外で用心棒を雇うこともできますが、そんなことをすれば悪目立ちします。下手をすれば、王女が王政復古のクーデターを起こそうとしていると、捉えられかねません。その点、あなたは同じ“学生”の身分。親しくしていても違和感がありません」

「……王女様のような高貴な方と、私のようなディスアーツが仲良くしていたら、目立つと思うのですが」

「いえ、私が反シフ人主義に反対なのは、王宮にいるものなら誰でも知っています。今更シフ人の学生と仲良くしても、怪しまれることはありません。変わり者だなと再確認するだけのことです」

 それであれば、筋は通っている。

「しかし……協力すると言っても、具体的にはなにをすれば?」

 俺の問いに、王女は用意していたのであろう、すぐさま答える。

「直近だと“死神の星々”の暴挙を止めたいと思っています。まずは彼らの動向を調べて、場合によっては、その逮捕に協力したい」

 死神の星々は労働党、つまり政権に組する組織だ。死神の星々と対決するということは、すなわち政権に楯突くことを意味する。下手をすれば、国を敵に回すということだ。

「……いうまでもなく、ものすごく危険なことですよね」

 俺が聞くと、王女はゆっくり頷いた。

「正直に言えば、そうだな」

 王女は報酬を払うと言ったが、たとえどれだけ金を積まれても、政権に敵対する代償に見合うとは思えない。

「……俺に、政権を敵に回すだけのメリットがあると思いますか?」

 俺は思わず、王女にそう聞いてしまう。下手をすれば、非難とも取れるその質問にしかし王女は毅然と答える。 

「労働党はシフ人への迫害を強めていくでしょう。下手をすれば――皆殺しにさえするかもしれません」

 ――確かに、労働党は、明確に反シフ人主義を打ち出している。そして世間もそれに呼応している。実際、シフ人が、追い出されたという学校も存在している。

 このまま流れが変わらなければ、俺もいずれは学園から追い出されるだろう。

 そうなれば――夢を叶える可能性はなくなる。

 つまり、労働党を牽制できれば、それは俺自身を守ることにも繋がるというのだろう。

「それに、あなたはシフ人でありながら、このクイーンズカレッジに通っている。それは、あなたがこの世の中を変えたいと思っているからではないですか?」

 その指摘は――――まさしくその通りだった。

 俺は先の大戦中に起きた迫害で両親を失った。だから、連合王国を内側から変えるために、このクイーンズカレッジに入ったのだった。

 だから王女からの申し出は、俺にとってまさに願った通りの機会だ。

 ――だが、それでもためらいはあった。

 王女に力を貸せば、政権と真っ向から戦うことになるだろう。その覚悟はもちろんしていたが、いざ目の前にそのチャンスがくると、正直ビビってしまう。

「すみませんが、少し考えてもいいですか」

 俺が言うと、王女様は「もちろん」と答えた。展開があまりに急すぎて、冷静な判断ができないのだ。

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