Ⅲ 叫び

  そんな精神状態であれば、いくら風光明媚な場所であったとて心地良い感動など得られるわけがない。


 すでに太陽は沈みかけており、眼前に広がるのは見事なフィヨルドの夕焼けである……普通の人間だったならば、きっと温かな心持ちになったことだろう。


 だが、そんなことをなんとなく考えていた時だった。


 突然、空が温かな橙色から真っ赤な血の色に変わったのである!


 それはまるで、赤々と燃え盛る炎の舌と毒々しい血液が、青黒いフィヨルドとエーケベルグの町並みを覆い尽くすかのようである。


 もちろん、それは私の心の中に現れた変化であり、実際に起こった自然の現象ではなかったのであろう。


 それでも、私はその現象に思わず立ち止まり、ひどく強い疲れを感じて歩道の柵に寄りかかった。


 その幻視ビジョンの見えていない友人は何も知らずになおも歩き続けたが、私はそこに立ち尽くしたまま、言い知れぬ不安に震え、漠然とした恐怖に慄いた。


 そして、その瞬間、私は自然を貫く果てしない叫びを聴いたのである!


 なんという叫び声であろう……鼓膜を劈くように大きく、いつ終わるともしれぬ不気味な叫び……それはあの時見た父の姿にも似た狂気……まさに狂気である!


「アアアアアアアアアアアアーっ!」


 その頭がおかしくなるような絶叫に私は両の手で耳を抑え、私自身も堪らずに悲鳴をあげた。


 頬に添えられた両手と、丸く落ち窪んだ目に大きく開いた口……今の私の姿は、かつてパリの人類史博物館で見たペルーの木乃伊ミイラそっくりなものに違いない。


 と、そんな私の方を振り返った前を行く友人達が、眉間に深い皺を刻むと声を揃えて言った……。


「うるさい!」


                  (オスロの湾岸で世界が叫ぶ 了)

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オスロの湾岸で世界が叫ぶ 平中なごん @HiranakaNagon

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