EP2.1 #01 to give flowers as a gift

 ハイイロオオカミの獣人、クレメンスが移動車モービルから降りると、正面玄関前で待ち構えていた記者団にフラッシュを浴びせられた。

 軽い笑顔で存在を主張する。コロニー内で開催される気候変動の公開研究発表会シンポジウムに、アタラクシアの司令官が参加したというアピールが必要だからだ。主役ではないので程々で済ませ、スワンを筆頭とした護衛隊と共に国際会議場へ入ると、すぐに責任者が飛んできた。

「まずは控室へどうぞ」

 一団になって窓もない奥向きの廊下を進む。

 開場までまだ時間がある。それまでは討論会の主催や、主要な登壇者が挨拶に来るだろう。

 いささかげんなりしたあとは、(今日、ハナが朝食に作ってくれたガレットが美味しかった)などと意識を飛ばして憂鬱な仕事から逃避する。彼女の顔を思い浮かべると顔の筋肉が弛緩するので、必死に口許を結んでいると、長い廊下の先から不穏な声があがった。

「そんな、困りますよ!」

 案内係が一瞬、面倒ごとに遭遇してしまった不幸を嘆く顔つきになった。

「変更になったのなら連絡してもらわないと! こっちも手配があるんですから!」

 なにかトラブルがあったらしい。

 ハナの思い出効果によって幸福値が高めのクレメンスは、博愛精神を動員して首を突っ込むことにした。

「どうした?」

「ヒッ、し、しれいかん……!?」

 分厚いデニム地のエプロンを前面にかけた、業者らしき雄ウサギの獣人が身体を縮こませた。幽霊でも目撃したかのような態度は予想の範囲内だ。歯牙にもかけず周囲を見回し、観察を働かせれば、事体はすぐに明らかになった。

 なるほど、どうやら彼は花屋らしい。廊下には大きな台車が五台ほど並び、花を満載した花桶が並んでいる。ウサギの獣人の相手をしているのは会場のスタッフだ。なるほど、今日のフォーラムにあわせて発注したものの、手違いで余りが出たのだろう。

「いいいいややややややそそそそのののの」

「落ち着け」

 思わずハナ風のつっこみを入れてしまった。

 ウサギの獣人はコクコクと何度もうなずき、ごくりと唾を呑み込んだ。

 事情説明を求めると、推察通りの内容が返ってくる。そうかと首肯して、平和な解決方法を提案した。

「私が買い取ろう」

「えっ!?」

「うちはむだに広いから、これくらいなら全部入るだろうし……ああでも花瓶が足りないな。良ければ桶を貸してくれないか?」

「い、いやしかし、ご迷惑では!?」

「家の中が華やかになるだけだ。迷惑なんてことはない」

 クレメンスの頭の中にいたのはハナだった。彼女がこれらの花を抱えている姿を想像していた。

 したがって彼の顔は締まりのない――非常に麗しい笑顔になった。


 かくして行き場をなくした花たちは司令官公邸へと運ばれた。

 シンポジウム終了から直接帰宅したクレメンスは、ひと足早く学校から帰っていたハナに事の成り行きを説明した。

「まあ、そんなことだろうとは思ったが」

 ため息交じりの彼女の表情は険しい。

 もしかして嫌だったのだろうか。

 花や食材といったものは、人間よりも五感に鋭い獣人のために品種改良が進んでいる。ハナが知っている頃よりもずっと匂いは落ち着いているはずだ。しかしさすがに量が多い。屋敷といっても差し支えのない公邸内は生花と水の匂いでいっぱいだ。人間の嗅覚でもさすがに気になるレベルだろう。

「……だめだった?」

 さすがに全部は考えなしだったか。自覚できるほど尻尾がえる。

 だがハナは「いいや」と否定してくれた。

「きらいじゃない。花は割と好きだ」

 ダイニングテーブルの上には、ひと束分だけが花瓶に移し替えられていた。チューリップ、カーネーション、バラ、シャクヤク、ミニヒマワリにアナベル、そしてカスミソウ。

 ハナが幼い指を伸ばして、ピンクを下地に白い筋の入ったチューリップの表面を撫でる。その表情はいつもよりも安らいでいる。買い入れを申し出た際に妄想していたハナがそこにいる。

 買ってよかった。

 思わず手を伸ばし、軽く彼女を抱き寄せた。

 抵抗はない。彼女はいつも拒絶をしない。だが触れあう気分ではないとき、体をほんの少しだけ強張らせて不快を示す。その反応サインを逃さないよう慎重に力を込めるも、やはり不愉快ではないらしい。結局クレメンスは大胆に彼女を抱き込んだ。

 みずみずしい芳香に混じって、ハナの匂いが強くなる。果物っぽい膚に染み込み、幽かにたどれる薬品臭。

 クレメンスは恍惚とつぶやいた。

「これから毎日一輪ずつ、あなたにプレゼントしようか。なんなら花屋ごとでも」

「そういうことを言い出すから、素直に好きだと言えんのだろうが」

「あがっ」

 下から伸びた腕がクレメンスの長い顎にきれいに入り、首があらぬ方向へ曲がった。痛い。いや痛くない。愛の鞭だ。

「しかしこの量はさすがにな、捌ききれんぞ」

 繋がったダイニングとリビングとを見渡して、ハナが弱った声を出す。

 ひとりでは広すぎる、ふたりでも広すぎる室内には、目に鮮やかな色彩で満ちていた。

 シンポジウム会場の廊下ではさほど感じなかったが、見慣れた我が家を背景にすると、(さすがに買いすぎたかなぁ)と反省が滲む物量だ。だが声には出さない。言えばハナに睨まれる。それにたまにはこんな贅沢も良いと思う。

「……学校に持って行って、配るか」

 彼女が呟いた。良い案だ。花をもらって困るのは花粉症持ちだけだろう。幸いここにあるのは、花粉が問題になる種類ではない。

移動車モービルで送ろうか?」

 ハナは学校へ、バスを使って通学している。両手で抱えるにしても持ち出せる限界量は低い。そう思って提案するも、断固たる決意が返ってきた。

「絶対嫌だ」

 移動車から降車する際に、運転手オレの顔を見られるかもしれない。保護者がアタラクシアの司令官だと知られたら、平穏な学校生活にひびが入る……らしい。

 そんなに警戒色を強めずとも、ハナ自身から発散される、彼女の並々ならぬ人間性が平穏とやらを台無しにすると思っているのだが、これも本人には伝えない。きっと彼女だって、卒業まで無血で済むとは考えていない。哀しいかな、どうせそのうちなにか起こるのだろう。

 それはさておき、いまはこの花の処理だ。

「オレも官邸に持って行くかな」

 移動車モービルに積みこめば、それなりの量が運べる。それで半分くらいは減りそうだ。職員に声をかけて、好きな人に持ち帰ってもらおう。

 明後日は議事堂だ。玄関先に立って一輪ずつ配布するのはどうだろうか。

 ハナにアイディアを明かすと、彼女は可とも不可ともとれない、かといって無とも異なった、相克が同居する絶妙な顔つきになった。

「もはやちょっとした慈善事業だな」


 翌朝、ハナはいつもよりも早めに起きて、花の処理を行った。

 カラの桶を用意し、水をたっぷり入れる。そこに花を一本差して、水に漬けたままハサミで茎を斜めにカットする。ある程度、数がそろったら、ひとまとめにして切り口に、水をたっぷり含ませたキッチンペーパーを巻き、その上からアルミホイルを巻く。

 両手で持てる限界に達したところで、予備のキッチンペーパーとアルミホイルをバックパックに入れ、定刻通りに出発した。

 高級住宅街を抜けて、大通りへ。筋向かいから自動運転のバスに乗る。

 普段よりも多く人の視線を集めてしまうのは仕方がない。学校に到着するまでのがまんだ。

 注目を浴びるのは得意ではない。もっと率直に心情を表現するなら、キライだ。だが緊張して動けなくなるほど苦手でもない。無心を装って前を向いたまま闊歩するだけなら得意なほうだ。全体を総括して評価すると、「得意ではない」に着地するだけであって、そこに至るまでには様々な葛藤がある。我ながらややこしい思考だ。

 などと考えていると、二つ隣の席の女性から声をかけられた。

「あなた、すごいお花ねぇ」

 人間にたとえるなら六十代のおばあさんあたりか。物腰の低い、リス型の獣人だ。しっぽのもふもふ具合が破壊的で、好事家の心臓を一瞬で止める威力にあふれている。十二歳に若返ったハナよりもさらに背が低く、座席に座ると足が床から離れてしまう姿が愛らしいのだが、もしもコンプレックスだったら失礼なので、あえて目をそむける。

 春のひだまりにふさわしい笑顔は、目尻が下がり、浅いしわが見えた。それでも年齢が推し量れないのが獣人の特徴のひとつだ。

「どなたかにプレゼントかしら」

 獣の本能を制御下におけるためか、彼らは基本的に温厚で謙虚でもある。

 けれどやはり「人間が獣人を迫害した」という歴史と「人類は衰退した」という現実は、社会にたゆたい、気質を歪めてしまう。結果、獣人と人間が共生するアタラクシアであっても人類の地位は低い。

 その人間相手に友好的な態度を崩さない獣人は割と珍しい。

 ハナは優し気な風貌の彼女に敬意を表し、自然と腰を落とした物言いに切り替えた。

「ええ、まあ――」

 渡す相手は決まっていないと答えようとして、さらに根ほり葉ほり尋ねられたら経緯を説明するのが面倒だ。彼女は少なくともあからさまに差別しない人格者だが、見ず知らずの人間に立ち入ったことを聞くくらいの好奇心は持ち合わせている。深く追及されたくはない。

(となると)

 半ば、場をごまかすために、花束の中から一本の精鋭を引き抜いた。とびきり美しい真っ赤なバラだ。それから上半身を傾け、女の腰を砕くことに長けたクレメンスを真似した。

 女の性をもつハナが、同性の獣人を相手にどれだけ通用するかは分からないが、まあ損はないだろう。

 そもそも獣人の性別は外装・・と必ず一致するとは限らない。彼らの本体――ユマの、生物に寄生する能力は、寄生条件に「同性であること」を含まない。よって中身と獣体の性別が異なることがありうる。

 ある調査機関によると、アタラクシア・コロニー内では約一割弱がこの異性体らしい。おおよそ十体に一体、なかなかおろそかにはできない数字だ。

 なんにしても。クレメンスの、やたらと人受けの良い外面そとヅラは有用だ。

「よければ一輪、いかがですか?」

「あら、あらあら!」

 クレメンスの表情効果か、単純にバラのおかげか、リスの獣人は目を晴天下の水面みなものように光らせた。

「いただいていいのかしら? プレゼントなのでしょう?」

「ええ、ですからあなたに」

 脳内で〈クレメンスが言いそうなセリフ〉をぺらぺらめくる。ついでに端末リンカーではなく内臓端末インプラントチップを使ってデータベースを検索、応用した。

「わたしの故郷では、赤いバラの花言葉は『熱烈な愛』というんですよ」

 本物のクレメンスが言ったら翌日のトップニュースだな、などと考える。見出しは「熱愛か!?」で決まりだ。「熱愛発覚!」ではないところがミソだ。

 人間で女のハナならば、その効果はいかほどか。

 とりあえずリスの獣人は面映おもはゆそうにしていた。

「熱烈な愛だなんて……。ふふ、パートナーにももう長いこと言われていないわ」

 ユマは生態系上の理由から、結婚――つがいを持つ、という意識に薄い。だが感情を持つ以上は愛を理解するし、アタラクシアでは同種族であれば婚姻制度も整えられている。夫と呼ぶからには、彼女はこの婚姻制度を利用しているのだろう。

 人間同士であればとくに問題はないが、獣人の恋愛では仔どもを設けないように気をつけなければならない。彼らユマがまとう獣体はあくまでも獣の肉体であるため、妊娠しても生まれてくる仔どもに獣人の知性は宿らないのだ。獣人の本体はあくまでも脳髄に寄生するユマ。それを忘れてはならない。

「ご結婚されているのですね」

「ええ、もう百年くらいになるかしら?」

 ケタがちがった。さすが獣人。

「でもまだお役所に書類は提出していないのよ。なんだかタイミングを逃してしまって」

「わざわざ婚姻届けを出す理由もありませんからね」

 これが旧時代だったら、人間同士の婚姻には貞操義務や遺産配分のために届け出ようとする者もいるかもしれない。しかしここは獣人社会。婚姻はより契約の側面が強くなっている。一般的な契約書でも済ませられるので、わざわざ婚姻というかたちを選択しなくてもいいのだ。

 政治を執る側も、婚姻を推奨する理由はない。獣人は長生きだから人口の変動はほとんどないし、全体の二割以下の人類の数が多少変動したところで懐は痛まない。

 結婚、の二文字に付随するのは個人の憧れが大きい。一生に一度くらいは、と考える辺りは、獣人も人間も同じだ。

(あとは社会的地位の高い要人の、世間に対する所顕ところあらわしの要素だな)

 たとえばクレメンスのような、象徴的な立場の者が、正式なパートナーを得たと公表する手段として用いるとか。

「…………」

 ハナはクレメンスを思い浮かべ――しかも結婚式用に、きっちり軍の礼装を身につけた彼で――思考を緊急停止させた。

「では百年のご伉儷こうれいに、もうひと花を」

 ハナはくくったひとたばをご婦人に押しつけた。いや、譲った。

「まあ、こんなにいいのかしら」

「お二方ふたかたの重ねてこられた年月にはかないませんが、記念にどうぞ」

 花束を受け取ったご婦人は、少女のようにはにかんだ。


 婦人を見送り、自身も学校前の停留所でバスを降りると、どっと疲れが押し寄せてきた。

 まだ頭に正礼装姿のクレメンスがこびりついている。しつこい。

 さらに困ったことに、この極上のオトコが、「司令官」感を全開にしてハナに迫ってくるのだ。いつもの、司令官公邸にいるデレデレぽわぽわしたクレメンスではない、ビシッとしてガシッとしてキリッとしたクレメンスだ。

(クッッッッッソ!)

 最上級の悪態で抵抗して、残像を振り切るために足早に校内へ向かった。

 大きな花束に集まる視線もなんのその、高速で教室に入る。

 息が切れているのは運動量が原因ではない。でもおかげでちょっとだけ礼装クレメンスが薄れた。

「どうしたの? 大丈夫? っていうか、すごいお花だね?」

「気にするな、ちょっと煩悩と戦っていただけだ」

 心配してくれたクラスメイトにげっそりと返した。


 割り当て分を生徒や教師に一輪ずつ配布し、ハナは夕方の早い時間に帰宅した。

 冷蔵庫に入っている食材を確認して、明日の朝食の下ごしらえと、夕食の席を整えながら待つことしばらく、移動車モービルの乗り入れる音がかすかに聞こえてクレメンスが帰宅する。

「おかえり」

 キッチンから離れて玄関まで出迎える。「うん」と返した獣人の様子は普段通りだ。平時用の軍服姿。白いシャツにネクタイ、モールのないジャケット。

 じっと、己の邪念を見つめなおす。

軍服これ……じゃないな、たぶん)

 軍服はかっこいい。それは認める。略装と最正装のちがいはあっても、見慣れていると言えば見慣れている。いまさら妄想で取り乱したりはしないたぶん。

 だから昼間、ハナを混乱に陥れた原因は――

「ハナ?」

 これだ、この顔。

 眉間に、ほんのひとつまみだけ寄ったシワ。強く、まっすぐ、真剣に相手を見つめて、見極めようとしているこの表情が……

「……ッ!」

「ハナ?」

 全反射神経を使って距離をとった。頭を後ろに引いて、一歩だけ後ずさった。

 敵を目の前にしての後退。逃亡ではない。戦略的撤退だ。もう一歩下がって、方向転換し、夕食作りに戻――るつもりだった。

 鍛えられた太い腕が腰に巻きついた。

「なんで逃げる」

「鍋の火が気になるからだ!」

「ほう」

 小型の犬猫のように小脇に抱えられたままキッチンに運ばれた。シチューが入った鍋は火から下ろされて食卓の上で温かな湯気をくゆらせていた。

「火か」

「…………」

 ハナは現実から目を逸らした。

「火が? 気になる?」

 クレメンスは追及の手を緩めない。

「ほう?」

 すごまれ、硬く決意する。

 真剣な横顔がかっこいいだなんて、絶対に教えるものか。

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ハナクレ【試読版】 ひつじ綿子 @watako

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