風の姿

風を捉えろ 第一

 ケロウジが奇妙な狼の夢を見た次の日、ハナガサは始末書を提出するために一度、港町の自宅に戻った。

 シイの引っ越しの準備なんかもしてくるだろうから、少なくとも数日はここへは来ないだろうと思っていたケロウジとササだが、次の日にはハナガサの顔を見る事になった。


「お前また来たのか……早いな」

 ササが驚いて漏らすように言った。

 ケロウジも驚いている。ハナガサがすぐに戻ってきた事にではない。

 ハナガサの後ろに女の霊体が付いて来ている事に驚いているのだ。


「あぁ。食事はどんな物を食べるのか、屋敷の周囲の林であっても魔病の原因になりうるのかなど、聞かなければならん事は山ほどあるのだからな」

 ハナガサはすでに文机に紙を広げ始めている。

 その後ろに霊体が立っている。


 焼けた肌に緑の目、麦の穂のような髪の色をした女だ。長い髪を一つに結わえ、じっとハナガサを見おろしている。

 霊体は死の間際の事を全身で知らせているはずだけれど、その女は困った顔をしているだけで苦しそうでも憎々しげでもない。

 どう切り出したものか、とケロウジは悩む。


「あの……港町の方は平和ですか?」

 ケロウジが聞くと、ハナガサは首を傾げる。

「なんだ、急に。そうだな、まぁ……あ、そうだ。半年ぶりに船が帰って来ているぞ」


 歯切れの悪いハナガサの言い方が少し気に掛かったが、それよりも伝えるべきかどうか、ケロウジは決めかねていた。

「おい、ケロウジ。首を突っ込むつもりなら話す事だ。話さねぇなら首なんか突っ込むんじゃねぇぞ」

 ササが言った。


「ん? なんだ。何の話だ?」

「いや、実は……おじさんに女の霊体が付いて来ているんです」

「なに⁉ 私が犯人なのか⁉」

「そんな訳はないでしょう。霊体が出てきている時にはもう殺す意思を固めている、あるいは準備をしているはずですから。それに、おじさんは誰も殺さない」

「もちろんだ! ではなぜ私に付いて来ているのだ?」


 ケロウジとハナガサが考え込むと、ササが言う。

「事件がお前の近くで起こる予定だったり、犯人がお前の知り合いだったり、お前が巻き込まれそうな時にも霊体はそいつに憑く事がある。とは言っても、霊体の考える事なんて分かんねぇよ」

 ケロウジはほっとしてササに頼む。

「この人の顔に化けられるか?」

「おぅよ! まかせとけ!」


 ササが威勢よく答えると、すぐに銀青色の煙がモクモクと立ち込める。煙の中でササが言った。

「顔しか見えねぇんだ。着物や体つきは参考にすんなよ」

 そしてササが焼けた肌に麦の穂のような色の長い髪の女になって煙の中から現れる。


「ほぅ、これが私に付いて来ている霊体か。いやぁ……知らんな」

 ハナガサが女に化けたササを見ながら腕組みをする。

「え? 知らない? まったく知らないんですか?」

「あぁ。私はこんな人は知らんぞ」

 ケロウジの問いに、ハナガサははっきりと答えた。


「ありゃ……こりゃあ被害者探しから始めるしかありませんね」

 ケロウジが言うと、ハナガサは難しい顔をして溜め息交じりに言う。

「まだ起きとらん事件の被害者を探すのか? まるで風を捉えようとしているみたいだな」

「そうですね。今のところ手掛かりはおじさんだけですから、港町に行きますか」


 ケロウジが言うと、ササは尻尾をシュンと入れ込んで留守番すると言い出す。前回の事で魔病を警戒しているのだとすぐに分かった。

「安心しろ。今は私の屋敷にシイがいるから、魔力を吸う前の光草がかなり置いてある。少しずつ飯に混ぜてやろう」

「それならいいけど、俺はあの女には会いたくないんだよ」

「大丈夫だよ。シイはササを食べたりしないよ」


 ケロウジが頭を撫でると、ササはポン! と帽子の姿に変わった。羽根の付いた南蛮の帽子だ。

『このまま行くぞ! そんで船乗りの釣って来た魚を食いに行こうぜ!』

 帽子からそう声が聞こえ、ハナガサは声高らかに笑った。ケロウジはササであるその帽子をかぶり、三人で港町に向かう。



 ケロウジは八歳から八年間、この港町で育った。

 とは言ってもハナガサに拾われた時に本当に自分が八才だったかは、当のケロウジにも分からない。なので、ハナガサが大体の見た目でその日を八歳の誕生日に決めたのだ。

 自分の名前どころか、今なにをしていたのかすら覚えていないケロウジに名前を付け、ハナガサは言葉を教えた。


 あの時からここは変わらない、とケロウジは思う。

 潮の香り、女たちの笑い声、海鳥の鳴き声、異国の言葉。風はいつもベタベタと肌に纏わりついて、山に吹く風とは大違いだ。


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