翌日

「お前、バカだろう」

 自宅である狭い山小屋の煎餅布団でケロウジが目を覚ますと、枕元に座るササが楽しそうに笑った。


「そうかもな。でも魔力を感じることは出来たよ。拒絶されなかった」

「こんな事はこれっきりにしてもらいたいものだな」

 ハナガサの声が聞こえて体を起こすと、今までは無かったはずの文机に向かって書き物をしている。

 ハナガサは筆を置くと、ケロウジの方を見て溜め息を吐いた。


「おはようございます」

「何がおはようございますだ。私は耳を塞げと言ったのだぞ」

「はぁ。確かにそう聞きました」

 それからケロウジは少し考えて「ありがとうございました」と言う。


 耳を塞がずに雷の轟きと魔力を全身で感じたケロウジは気を失った。それを看病してくれたのだろう事へのお礼だったのだけれど、ハナガサはまた深い溜息を吐く。

 ケロウジはと言えば、少し頭の痛みがある程度で元気なものだった。ゴソゴソと起き上がり囲炉裏の前に座ると、鍋にキノコ雑炊がある。


「これ食べていいですか?」

「食え、食え。しかしケロ。なぜ耳を塞がなかった?」

「魔力の流れを感じてみたかったからですかね」

「感じるどころか激流に飲まれておったぞ。それで気を失って目が覚めたのが次の日の夜。今だ」

 そりゃあ腹も減るわけだなとケロウジは思った。


 しかし文机に広げられているのが始末書である事に気付き、ケロウジは申し訳ない気持ちで少しうな垂れる。

「シイだがな、私の屋敷で預かる事にした」

「へぇ、オオツガ様がよく許しましたね」

「いや、あれから色々あってな」


 ササの放った雷は真っ直ぐ天に向かったものの、予想以上にその威力が大きくオオツガ様を含む武士や魔獣師がすぐに集まって来てしまったのだとハナガサは言う。

 例の魔獣師の縄は解いたものの、やって来たオオツガ様は娘の食肉を知っており、シイが何かやらかしたと思ったそうだ。

 そこで倒れているケロウジと、獣の臭い。拭いきれないシイの着物の血。


 しかし問題なのはオオツガ様よりむしろそれ以外の武士や魔獣師たちだった。

彼らが来る前に娘をどのように隠そうかと悩むオオツガ様の前で、ハナガサは自分が預かる、と進言した。

 自分の屋敷で魔病の治療と仕事をさせるので、預けてもらえないかと。


「それで、おじさんにはバレたのだと分かって預けることを決めたんですか」

「そうだ。まぁ、遠くで暮らされるよりはいいと思ったんだろう。手元に置いておくと自分は口が悪いから、とも言っておられた。それからな、ササは魔病により消滅した事になっている」

 ハナガサとササは、二人で目も見合わせて二ッと笑う。


「あの……彼女も色々と悩んでいて……」

 ケロウジはそんな二人に、まるで言い訳をするような気持ちで言った。

「シイは偶然、作品の材料を採りに山へ入り食肉をしていた老人に出くわした。仲間を食われて怒った魔病の狸が雷を放ったが、その隙に老人は逃げてしまった」

 ハナガサは得意気な顔で言った。


「あぁ、その老人を逃がしたから始末書を書かされてるんですか?」

「そうだ。居もしない老人をな」

 すると、すっかり元気になった様子のササが飯をねだりながら言う。

「まぁ、俺が魔術で姿を消しておっさんに教えたんだけどな。じゃなきゃ嘘なんてつける奴かよ」

 嬉しそうに尻尾を振るササの向こうで、ハナガサは頭を掻いて下を向く。


「それにしても、お前って本当に頑丈だよな。あの女だってまだ寝込んでるってのによ」

 ササが雑炊を食べながら笑う。

 シイは耳を塞いでいたのにも関わらず体調を崩し、治り次第あの広いハナガサの屋敷の、五つある小さな別棟のどれかで暮らすのだそうだ。


「それにしても、丸一日も看病してもらってすみません」

 ケロウジはハナガサに言った。

「いや。私はこれからも通うぞ」

 そういえば、とケロウジは思う。

 ササの毛は乱れており、ハナガサの着物は毛だらけになっている。

 なるほど、これからはしょっちゅう来る事になるのだろうなとケロウジは気付く。それが何だか少し楽しみに思えて、ケロウジは珍しく微笑んだ。


「ところで、その文机どうしたんですか?」

「ん? これか。これはササに作ってもらったのだ」

 なんだか仲良くなった様子の二人を見ながら、ケロウジは先ほど見た夢のことをハナガサに聞けないでいた。

 何の解決にもならないと知りながらもケロウジはまた言葉を飲み込み、何の解決にもならないと知りながらも失くした記憶が気になって仕方がない。


「どうした、ケロ?」

 ハナガサが聞くけれど、ケロウジはただ「いいえ」と答える。

「あの女もだけど、人間ってのは本当に不安定で歪みやすいなぁ」

 そう言うササに、ケロウジは何も言えない。

 格子窓から散り始めた紅葉が舞い込んだ。



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