秘密 第一

 次の日、団子屋の客の中に石職人がいたのを思い出したケロウジは少年姿のササと二人でその人を訪ねた。

 けれどモエギの父には生前とても世話になったとか、モエギは真面目な明るい子だといった話しか聞けなかった。


 他には、団子屋の常連客はモエギを家族のように大切に思っている人が多くいるとも言っていた。

 もちろん、本気で手を出そうとしている奴もいるらしいけれど。

 それからケロウジは、河原町を出てムジナに頼まれた椿の木を切りに行く。その後をモエギの霊体が付いて来た。

 ケロウジはその胸に何かが埋まっている事に気付く。

 そこにあったのは石だった。おそらく矢じり。


「なぁ、ササ。自分で自分に矢を射る事はできないよなぁ?」

「できる訳ねぇだろう」

「だよなぁ。じゃあ、モエギは殺される予定なのか。赤い花のそばで」

「そうだろうな。けどなぁ、ケロウジ。本当に行くのか?」

「行くよ。仕事だし」

「けどよぉ……その椿の木、赤い花とか咲かねぇか?」

「冬になったら咲くかもな」

「なぁ、やめようぜ」


 ササがケロウジに何度も訴えるが、ケロウジはどうしても切りに行くと言って聞かない。

「もし頼まれた椿の木が例の赤い花の咲く木だったら丁度いいだろう?」

「何がだよ。危ないだけじゃねぇか」

「何か分かるかもしれないだろう」

 ササは頭を抱え、ケロウジと共に歩く。


 二人は河原町から歩いて峠の手前、楠木の根が道に飛び出している所に着いた時、ケロウジを見た。

 首から下は墨のように黒く、向こう側なんてまるで透けない霊体のケロウジを。


「ありゃ」

 ケロウジは頭を掻きながらそれだけ呟いた。

「ありゃ、じゃねぇだろう。お前も狙われてんじゃねぇか!」

「そうみたいだなぁ。こりゃ、ますます入るしかないな」

「なんでだよ! 普通は帰るだろう!」

 ササは怒るけれど、ケロウジは本当に分からないとでも言いたげに首を傾げる。


「だって犯人がいるんだろう? 今、この山に。たぶん椿の木の所にさ」

「そうだよ! だから帰ろうぜ!」

「捕まえに行こうよ」


 ササは呆れたのか驚いたのか、ポンッと魔獣の姿に戻ってしまった。それからケロウジに危ないから、だとか別の方法でなどと言ってみるけれど、ケロウジはあっけらかんとして言う。

「それじゃあ、お前がモエギに山へ近づかないように言ってきてくれよ。ついでにおじさんを呼んで来てくれると助かるんだけど」

 とうとうササも諦めて「分かった」と返事をする。


「けどな、ハナガサ相手に魔術は使えないぞ。魔獣だなんて知られたくないからな。呼んで来るにしても馬で来てもらうしかないから、すぐにとはいかない」

「それでいいよ。頼んだぞ」

「気を付けろよ? 絶対に気を付けろよ? 捕まえるより逃げろよ?」

 ケロウジは何も答えず、魔術で消えて行くササを、ただ手を振って見送った。

 そして自分とモエギの霊体が並んで立つ横を通り、山の中へと入って行く。



 カサカサと落ち葉の乾いた音をさせ、ケロウジは言われた通りに真っ直ぐ進む。

 着いたのはあの弓矢小屋のある場所の近くだった。そこら中の木に矢の刺さった跡が無数にあり、練習の真剣さが窺える。

 自分の霊体を見てからこれを見ると急に気味が悪く感じられるな、とケロウジは思った。


 すると背の高い椿の木があった。木は下へと続く斜面の途中にあり、ケロウジの立っている場所からは木のてっぺんだけが見えている。

 こんな場所の木をわざわざ指定するのは可笑しいだろうと、ケロウジは椿の木を見て確信する。自分とモエギを殺そうとしているのはムジナで間違いないと。

 どこに潜んでいるのだろうと、ケロウジは斜面の上から下を覗き込んだ。


 すると、足がズルルッと滑ってしまったのだ。

 ケロウジはそのままゴロゴロと転がりながら落下していく。やっと止まった時には、痛みで体が軋んで起き上がる事さえ辛いほどになっていた。

 そのケロウジの横にゴザが落ちている。なるほど、これで滑らされたのか、とケロウジは思った。


「ササになんて言い訳するかなぁ……いててっ」

 なんとか体の向きを変えて上を見上げると、随分と下まで落ちたらしい事が分かる。

 近くに犯人がいる以上、声を上げて助けを呼ぶ事もできない。そうかと言って、今ここで弓矢を向けられても逃げる事はできない。

 さて、どうするかとケロウジは頭を捻る。


「まぁ、いくら頭を捻っても無駄なんだよなぁ」

 そう呟くと、ケロウジは痛む体を引きずってなんとか上半身を起こす。


 逃げ隠れするしかないのだ。それをケロウジはよく知っている。

 ケロウジは、足は速くないが隠れるのが上手い。それは獣たちのように。


 すると上で落ち葉を踏む足音が聞こえた。カサッ、カサッと一人分の足音が聞こえる。

 ケロウジは慌てて隠れる場所を探したけれど、ケロウジのいるあたりは丁度開けている。仕方なくケロウジは斜面にピタリと背中を添わせ、息を殺す。


 計算されているな、とケロウジは思った。

 カサッ、カサッ、カサッと聞こえる足音はやがてケロウジの頭上で止まる。

 音を立てないように気を付けて上を見ると、丁度ケロウジに向けて弓が引き絞られるところだった。


 自分がここにいる事が分かっているのだと気付いて、ケロウジはのろのろと移動するけれど、矢じりは嘲笑うようにケロウジを追う。


 シュンッと一本目が射られ、それはケロウジの左腕を掠めた。

 焼けるような痛みが走り、思わず呻き声を漏らす。

 自分は一人ではこんなものなんだよなぁ、とケロウジは思った。


 考えが及ばなくていつも正しい答えを選び損ねる。力は弱いが体力はあるので、体力まかせの作戦を立てては失敗する。

 それでも助けたいのだから仕方がない、とケロウジはいつも不器用に動き回る。

 そろそろ霊体の事をハナガサにも言うべきだろうなと、ケロウジは荒く息を吐きながら思った。


 そこへ二本目が射られる。けれど木の幹に隠れたケロウジは、辛うじて二本目を避ける事ができた。

 木の幹に背を預けながら、ケロウジは昨日のモエギの言葉を思い出す。

 思うほど弱くない、と彼女は言ったけれど、自分は思うほど強くないのかもしれない、とケロウジは思う。

 冷たさを連れた風が吹き過ぎ、胸に痛みを残していく。

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