金魚と君と夏の花

三日月紫乙

祭りは最後の想い出として

 僕はただ、自分のためにやった。それだけなのに――。


 長く暑苦しい程の太陽が照り付ける真夏も、終わりに近づく八月中旬。お盆に入りアルバイトが休みになったその日、大学で知り合った友人に誘われて、近くの祭りに顔を出していた。

「いやーやっぱり人混み凄いね~」

 友人が言った。凄い、と言いながら華麗に人を避けて進む。正直尊敬に値するスキルだ。羨ましい。

 入り口で貰った団扇で仰ぎながら、絶えずにじむ汗を拭く。友人が笑いながら肩を叩いてきて、少し酔った。

「何食べようか。焼きそば? 串焼き? イカもいいなあ」

「……お腹空いてんの?」

 お昼を食べた僕にとっては、まだ夕飯時ではない今、あまり屋台の食べ物に目がいかない。しかし友人はと言えば、元気よく頷いた。

「もっちろん! 昼寝てて食ってないんだ」

 まるで子供みたいに顔を輝かせながら、並ぶ屋台をキョロキョロ見ている。まったく、僕とは正反対だと思った。

「っていうか、彼女とくればよかったんじゃ――」

「ああ、まあねえ」

 曖昧に言った友人は少し顔を曇らせる。しまった、と思ったときには、彼のうんざりする愚痴が始まってしまった。

 ああ面倒だ、と思いつつ頭を悩ませる。が、ふと、視界に見知った人物が映った。

「なあ、あれって彼女さんじゃない?」

 友人がハッとしてそちらに目をやった後、おっかなびっくりといいだけに「ほんとだ」と呟いた。そのまま目線を逸らさずに口を動かす。

「わりぃ」

 僕は「ああ」と口にする。聞こえたか否か、弾かれたように走って行った友人を見送りつつ背を向けた。

 別に友人の事を応援してるわけではなかったけど、無性に腹立たしかった。だから友人の背中を押すようなことを言った。それだけだ。

 だが一瞬、目の前にセピア色の女性が過った。「優しいね」なんて幻聴が聞こえた気がして、気持ち悪くなる。僕は、そんなやつじゃない――。

 祭りの喧騒がやけに耳障りで、逃げるように俯いた。が、視界の端に小さな赤を見つけた。

 近づいた瞬間、慌てて持っていたカップに移し、移動しながらペットボトルの水を注いだ。弱々しい息遣いをするそれを、チラリと確認してから、近くの川へと向かう。

 落ちていたのはまだ小さい金魚だった。誰が落としたか知らないが、とても弱っていて見放すには虫の居所が悪かった。ただの出来心に過ぎないが、せめて水のある場所に放してやりたかった。

 幸い近くには川があった。さすがに屋台の金魚すくいの水槽の中に入れるには問題があったから、そちらに放す。すっかり弱っていって、今にも消えてしまいそうな命だったが、川に入った瞬間だけは元気に見えた。

 それだけにホッとして背を向けた。例え短く散る命でも、最後だけはきっと自由に生きられる。自己満足だとしても、今の僕には十分な行動だったと思う。

 そう思って帰路に着いた。着いたはずだった。

「あ、にいに。あれ食べたい!」

 元気にはしゃぐ少女に引っ張られ、半ば強引に購入した串焼きの匂いに、頭がクラっとした。何故こうなっているのか。ひとまず数分前の僕を殴りたい。


 数分前。僕は確かに帰路に着いた。だが、祭りを出ようと出入り口のに差し掛かったところで、服の袖を引かれた。

 振り返ってみれば、赤い浴衣が印象的な可愛らしい少女がそこに居た。不安なんて欠片も感じさせないくらい笑顔を浮かべたその子は、こう言ったのだ。

『にいに、一緒に来て』

 意味が分からなかった。まず思ったのだ、この子の保護者のことだ。見た目は小学生低学年んもいいところなくらい小さな少女。いるはずのその保護者を真っ先に探した。しかしそれらしき人は見つからない。探している人もいなかった。

 仕方なしに少女に問う。

『……えっと、迷子?』

 だがそれには首を傾げて、首を振るだけ。袖を掴んだまま話してはくれず、とにかく『一緒に来て』しか言わないのだ。

 どうすべきが迷ったが、ひとまずこの子の保護者を探すことにした。さすがに振り払って帰るのは良心が痛んだせいだ。こういうときだけは自分を恨みたくなる。

 だが、わかった、と口にしたときの少女の笑顔にある人の顔が重なった。振り払うつもりで、少女と歩き出す。

 そして現在。気付けば少女に「にいに」と呼ばれていた。名前はハナ。それを聞いた時は頭の片隅に追いやっていた記憶がうずいて辛かった。

 事あるごとに「にいに」と呼んで服を引っ張るわ、買ってくれとせがんでくる。かと思えば気になったところに走って行く。これじゃあ迷子になるわけだ。

 かき氷、焼きそば、タピオカジュースにイカ焼き、チーズスティックとかたこ焼きとか綿飴とか。とにかく食べて食べて食べまくる。一通り回って満足したかと思えば、今度は射的にくじ引き、宝石すくい。スーパーボールすくいとかヨーヨー釣りとか。途中にあったカラオケ大会で叫んだりまでしていた。

 一通り楽しんだころには、すっかり祭りから外れて、静かな住宅街が待つ道に来ていた。そこでふいに目的を忘れて振り回されていたことに気付いた。

「ハナ、親まだ見つからない?」

 一応聞いてみるが、ハナは「なあに?」と聞き返すだけで、気にした様子もなかった。

 迷子って自分の知らない人ばかりがいると不安がるものだと思っていたのだが、そんな素振りは全くない。ちょっとだけハナという少女が怖いものに見えた。

 二回目の綿飴を小さい口に頬張るハナ。じっと見ていると、気付いたようにこちらを見てまた「にいに」と言った。今度はなんだ、と思っていたら、ハナは綿飴をこちらに差し出した。

「にいにも食べて」

「え、僕は、いらな――」

 言いかけたら、ぷくっと頬を膨らませてもう一度「食べて」と言った。正直食べたくなかったが、泣かれても困る。仕方なしに一口だけ食べた。すうっと舌の上で溶ける綿飴は、甘ったるい。

 ハナは嬉しそうに笑った。それがまた、昔の記憶を刺激する。ズキリと痛むこめかみを抑えて無理やり笑って返した。

 一瞬不思議そうな顔をしたハナは、じっとこちらを見つめる。

「今度は何?」

 また何かをせがむのか。今度はなんだろう。りんご飴とかまだ食べてなかったから、それかもしれない。

 だが、僕の予想は外れた。ハナはさっきまでの笑顔を忘れたように真顔で、ちょっとだけ俯く。言いにくそうに口を開いた。

「あのね、にいに。ハナ、言いたいことがあって」

 急にハナを取り巻く空気が変わった。冷たいような、でも優しい匂い。懐かしい感じがまたズキン、と頭に響く。

 少女は僕に体を向けると、ゆっくりと口を開いた。

「花菜と……私と一緒にお祭り回ってくれて、ありがとう。楽しかった」

「……え?」

「本当は、もっと一緒に居たかったな。二人暮らしして、大好きなスポーツの番組見て……今年のオリンピックも、一緒に見たかったな」

「な、何を言って――」

「それで、大学卒業したら籍入れて結婚式上げて。子供も三人くらい欲しかった。皆でバドミントンとかしたり、人生全うしたかったな。今年のオリンピックは……できそうにないけどさ」

 少女の身体で、饒舌に語る姿が、段々とブレていく。もうすっかり色褪せていたはずの彼女の姿……花菜が被って、いつの間にか浴衣を纏った彼女がそこに立っていた。

「でも今日の事で、結構満足できた。やっぱり君は優しいね。そういうところほんと大好きだよ」

 もう、言葉は出てこなかった。彼女の放つ言葉が、何を意味しているのかも理解できなかった。

「それじゃあまた来世でね、昂(こう)くん」

 すうっと少女の身体が透けて、光の粒になったかと思えば、消え去っていた。何も返せないまま、カラン、と落ちた綿飴の棒。そこにあった雲のようなお菓子は、跡形もない。

 ああ、どうして。

 僕はそのまま膝を地に着けた。とても立っていられない。ぎりっと歯を食いしばる。それでも溜め込んだ感情を抑えきれず、雫となって頬を伝う。

「僕だって――」

 ようやく飛び出した声は、かすれて、花火の弾ける音にかき消されてしまった。

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金魚と君と夏の花 三日月紫乙 @mikaduki0927

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