この人でなし!

 それは、とある夜の事、所用で帰りが遅くなった木之瀬蘭子。

彼女は鞄を手に、帰路についていた。さて遅い時間故に、空腹も感じて、

少しでも近道しようと、普段はこの時間は通らない路地を、通る事とした。


 普段、何故この路地を通らないかと言うと、この道路地は街灯が少なく、

夜は暗くて、物騒だからである。


 さて蘭子は、そんな路地の数少ない街灯の下で、学生と思われる少女が、

蹲っている事に気づいた。近づいてみると、泣いているようであった。


「どうかされまして」


と声を掛ける蘭子。しかし少女は、返事をせず顔を押さえ、泣き続けるだけ。


わたくしで良ければ、助けになりますわよ」


と蘭子が言うと、ここで少女は立ち上がり、蘭子の方を向いた。


 少女の顔には、何と目も鼻も口も無い。いわゆるのっぺらぼうと言う奴であった。

普通なら


「ギャー!」


と声を上げ逃げていくところだろうが、しかし蘭子は違った。

彼女は、どうにも抑えがたい衝動にかられ、


「フフフフフフ」


と笑い声をあげながら、蘭子は鞄の中に手を入れ、ある物を取り出した。

ここで少女が、初めて声を発した。


「あの……何を……」


その声には、怯えを感じさせる。そして、


「イヤー!やめて!」


路地に少女に、悲鳴が響いた。


 少しして、鞄に何かを仕舞いながら満足そうな顔をする蘭子。

一方、少女は手鏡で顔を確認しながら、


「酷い……」


そして少女は蘭子に向かって、


「この人でなし!」


と叫んだ後、顔を押さえ、しゃがみ込み泣き出した。

さっきは嘘泣きかもしれないが、今度はマジ泣きである。


 しかし蘭子は、どこ吹く風と言う感じで、満足そうな顔でその場を去って行った。


 その後、しばらく歩くと立ち食いソバの店があった


「こんな所に、店なんてあったかしら」


しかし蘭子は、掛け蕎麦が大好きで、空腹もあって店に入った。


「すいません。掛け蕎麦ください」

「あいよ~」


と店の主人は威勢よく答えつつ、


「お嬢さん、随分上機嫌だね。なんかいい事あったのかい」

「分かります?ここに居る途中で、会った女の子がですね」


と言った後


「ウフフフフフ……」


笑い出す蘭子。


「ひょっとして、その子は、こんな顔してかい」


男は顔を擦ると、目と鼻と口が消えた。


 すると蘭子は、再びどうにも抑えがたい衝動にかられ、

蘭子は鞄の中に手を入れ、取り出したるは油性マーカー。


「ちょっと、お嬢さん……」


彼女は、キャップを外した。


 少しして、


「てめえ、何てことしやがる。この人でなし!」


と言われ、外に追い出される蘭子。

のっぺらぼうの男の顔には油性マーカーで、ここに記すのも憚られるほどの、

酷い落書きがされていた。


 外に追い出されると同時に、店の明かりが消えた。

蘭子は、マーカーを仕舞うと満足げな様子で去って行く。

その夜は、蘭子が家に帰るまでの、行く先々で「人でなし!」と言う声が響いた。

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