終章

第39話 理想の世界への一歩目

 目を覚ますと、そこはベッドの上だった。狭い個室だが清掃が行き届いている。見覚えがあった。


「どうしてここに……」


 混乱していた脳が、徐々に記憶を呼び覚ます。


「僕は、生きているのか」


 身体は問題なく動く。痛みはない。傷も見当たらない。


 部屋の中には誰もいなかった。起き上がり、窓を開けて外の様子を窺う。景色は記憶に新しかった。


「ウォーレンハックか」


 人間と悪魔が共存する街。


 魔王を倒したことで、これから世界が変わっていくだろう。再び人間と悪魔の争いが激化する恐れもある。この街がどうなっていくかはわからないが、変わってほしくないと思う。


「アリス!」


 ノックもなしに扉が開き、シェーラが駆け込んできた。


「シェー――っ!」


 勢いよく胸に飛び込んで来た彼女を受け止める。危うく窓から落ちそうになったが、怒る気にはなれない。


「よかったわ! 本当に、よかった……」


 安堵の笑みを浮かべて涙を流す彼女を見たら、そんな気持ちは吹っ飛んでしまったのだ。


「シェーラも無事でよかった」


 生きていてくれて本当によかった。魔王を倒したところで、シェーラが死んでいたらなんの意味もない。安堵がこみ上げて来て、思わず目が潤む。


 シェーラの話では、アリスは七日間も眠っていたらしい。


 魔王を倒した後、やはり城はもぬけの殻となっていたそうだ。道連れの魔法は城全体にかけられていたのだろう。残ったのは献上品の少女とアリスだけだった。


 致命傷を負っていたアリスはその場でありったけの治癒液をかけられ、すぐにウォーレンハックへと運ばれた。命の危機に瀕していたものの、ウォーレンハックに住む人々のおかげで命を繋ぐことができた。


「エイノたちは、しばらくの間ここにとどまることになったわ」


 今戻れば混乱の種になりかねないから、ということだった。


 献上品として捧げられたはずの少女が戻ってきたらパニックになるのは想像に難くない。まして、魔王を倒したなどと話しても信じてはくれないだろう。実際、ウォーレンハックでも多少の混乱があったらしい。シェーラがいたおかげで理解を得ることができたようだが、他の街でも同様のことを期待できるわけではない。


 それに少女たちだけで自分の街に戻ることは不可能だ。送り届けるなら運び屋が必要不可欠。だが、ここにはアリスしかいない。人手不足だ。


「みんなこの街の光景に最初は戸惑っていたけれど、少しずつ慣れてきたみたい」


「彼女たちがこの街の悪魔に恨みをぶつけないといいけど」


「たとえそうなっても、ここの魔人の方たちなら大丈夫。わかってくれるわ」


「魔人?」


 聞き慣れない言葉にアリスが首を傾げる。


 シェーラは口を緩め、窓枠に肘を置いた。ウォーレンハックの穏やかな街並みを眺めながら口を開く。


「人間も悪魔も同じ人だっていう考え方だそうよ。素敵だと思わない?」


「うん、そうだね」


 姿形は違えども、ともに生きていくことはできる。それはこの街が証明している。


「私はずっと、魔王を倒すことがゴールだと思ってたわ。けれど、違うのね。人々の生活は続いていく。私たちには魔王を倒した責任があると思うの」


「責任?」


「ええ、世界を変える責任が。だからね、お願いがあるの」


 シェーラの真っ直ぐな眼差しから目を逸らすことができない。


「私と一緒に、人間と魔人が争うことのない平和な世界を作ってほしいの。誰も悲しむことのない、理想の世界を」


 世界を変えるだなんて、自分はそんなことをできる器ではない。魔王を倒すことができたのは奇跡だ。もう一度同じことをさせられたら間違いなく死ぬ。


 強い意志の中にも垣間見える不安。断られたらどうしようと怯えているのが伝わってきて、アリスは思わず苦笑する。


 そんな顔をされたら断れない。


「まだ旅は終わってないからね。シェーラの願いは叶える約束だ」


「ふふふ、ありがとう」


 悪戯っぽい笑みに、アリスはドキリとしてしまう。そしてすぐにハッとした。


「もしかして今の演技?」


「なんのことかしら?」


 澄まし顔で言うものだから、シェーラには敵わないなと思う。この旅を通して彼女はすっかり強かに成長してしまったらしい。


「私、本当は起こってるんだからね」


「え、どうして」


 思い当たる節はない。


「君にだけは生きていてほしいんだ、なんて自分勝手すぎると思わない?」


「あ……」


 思い出して、顔がカッと熱くなった。あんな状況下だから言えたことで、今思えばまるで愛の告白めいていて恥ずかしい。


「私はね、アリスと二人で生きていたいわ」


「二人で……って、それは、つまり」


「お腹空いたわよね? さ、行きましょ」


「ま、待って。今のってそういうこと? シェーラってば!」


 スタスタと出て行ってしまう彼女の背中を追いかけて、アリスは駆け出した。



 この先なにがあろうとも、君と一緒なら大丈夫だって。


 緩む頬を摘まみながら思うのだ。

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