第3話 送信

 彼の話はほんの少し難しくて、それでも彼の一番言いたいことだけは確かに理解することができたと思う。

 はじめはあまりに奇天烈だと感じた、電波塔という表現もまた彼の言う通り、まさしく電波塔という存在そのものだった。電波塔とは仲介点ちゅうかいてんであり、そこではある二点の間で情報の送受信が行われる。その一点は彼自身であり、もう一点は彼の見つめるどこまでも広がる世界だった。


 「まずはじめに、君は絵画、写真、イラスト。この三つにはどんな違いがあると思う?直感で構わないよ」


 彼の話はまた質問から始まった。

 僕は改めてその三つについて考えを巡らせてみた。使う道具はそれぞれ絵の具にカメラ、パソコン機器と様々だ。あれ、でも絵の具を使って描かれたイラストもあったような。僕の頭の中にこれまでSNSなどで目にした個性豊かな作品の記憶が蘇る。確かにそこにはデジタルやアナログに限らずイラストと、称された作品の数々があった。そう考えると一部絵画と重なる部分があるように思えたが、僕の直感はそうではないと言っている気がした。では描くものに違いがあるのか。いや、どれも人や風景を描いている(撮っている)ものばかりで明確な差は見つからなかった。

 僕は彼のどこかに答えを求めるように視線を彼の方へ向ける。彼は僕に気を遣ってか気にしていない様子でどこか遠くを見つめながら僅かに口角を上げていた。そんな穏やかな表情につられて視線が移動すると僕の目に彼のイーゼルが入った。

 それは依然として何を描くことも描かれることもなく直立している。その板が邪魔で向こう側の景色が一部分だけ隠れてしまっている。

 遮られている向こう側にはどんな景色が浮かんでいるのだろう。

 ふと、僕の頭の中でイメージが膨らみ、繋がり、一つの言葉に収束した。


 「切り取られている・・・?」


 意図せず声に出てしまった僕の言葉は彼の耳にも届いていたようで


 「え?今なんて」


 と彼に聞かれてしまう。


 「いえ、何でもないです。全然まとまってないんで」

 「そんなにしっかりしたものじゃなくていいんだよ。さっきも言ったように僕は君の直感とか、そういう意見が聞きたいんだ」


 僕のような絵に全く関心を示さなかったような人間の意見が欲しいだなんて。僕は聞かれた恥ずかしさに喉を締め付けられながらも、その言葉に少し勇気と自信をもらい先ほど感じた考えを彼に伝えることにした。


 「その、切り取られている気がした・・・んです」


 言葉の最後のほうはごにょごにょと聞き取りずらい上、声量も小さくなってしまう。


 「どんな風に切り取られていると思ったの?」


 彼は相変わらずどこか遠くへ視線を向けているがその言葉を聞いた瞬間、彼は耳だけでなく心で僕の言葉を受け止めてくれているように感じた。そのことが僕をさらに強く後押しする。


 「さっきの三つとも描きたいものを切り取っている、気がしたんです。写真や絵画は、それこそ目の前の風景や人物の一部だけを描くことができるし、イラストってのは・・・ちょっとよく分かっていないんですけど、自分の描きたいものと描きたくないものとを選べるじゃないですか。だから、その切り取られているように感じたんです」


 まとまらない思考と言葉に一気に流される形でまくし立てた僕の呼吸は、苦しくもやり切ったという達成感もほんの少し混じっていた。


 「ありがとう。とっても面白い意見だったよ」


 本当にそうなのだろうか。僕はついその目のうちに疑心を抱いてしまう。僕はどんな表情をしていたんだろう。きっと彼が僕の心境を容易たやすく察する程度にははっきりと表れていたのかもしれない。


 「疑っているみたいだね、それも自分のことを」

 「え?」


 確かに疑ってしまっていたのは事実だ。でもそれは彼に無意識に向けていたもので自分に対して向けていたわけではなかった。僕がそう弁解するよりも先に


 「僕は君の意見を本当に面白いと思ったんだ。それにこんなにも早く話が進むなんて思わなかったよ。君はもう僕が言いたいことの半分くらいは捉えていると思うよ」


 と言って僕の右肩に手を置く。その手や彼の顔が一気に近づいてきたものだから僕はまた別の意味で恥ずかしくなって俯いてしまう。そのことに彼はこれっぽっちも気づいていないのだろう。「自信持って」と笑顔を見せる。



 『お前はどうして絵にこだわる』 『僕に絵は向いてないってこと?』

 『いや、そうじゃない。ただ行き詰ってるからって何となくで描いて欲しくないって思ってな。悪い』



 「これは受け売りというか、昔僕も同じことを聞かれたんだけどね、僕もその三つの違いについて考えてみたんだよ。そして君と同じような答えにたどり着いたってわけ」


 彼は僕と肩を並べるようにしゃがむと木の幹に寄りかかった。立っているのにも疲れたのだろう。申し訳ない気持ちで、彼に椅子を返して座ってもらいたくなるがきっと彼は断るだろうし、僕も彼の考えを早く聞かせてほしいと思っているので話を遮るのは抑えた。


 「でも僕の考えたのは君のと似てるけどちょっと違うんだ」

 「違う?なにがお兄さんと僕とでは違うんですか?」

 「僕はね、時間の流れって観点から見つめ直してみたんだよ」


 この人は一体芸術家なのか科学者なのか、曖昧だったイメージがもはや形を崩していい加減定まらなくなってきた。


 「時間・・・ですか?」

 「うん、時間の流れ。そんなに難しい話じゃないから安心して」


 そう言って笑顔を向ける彼がそれから話したのはやっぱり少し難しい話だった。

 なんでも、写真とイラストは共に流れる時間の一瞬を捕らえて形にすることができるが、絵画はその制作過程の都合上、同じように一瞬を切り取ることが難しいという。 

 写真のくだりは理解しやすい。スマホの連写機能を使えば人の動きをコマ撮りにした写真が撮れるから、きっとそういうことだろう。だが、イラストの世界観に時間という概念を見出したことのなかった僕は、この辺りでかなり頭をフル回転させられることとなった。


 『例えば、髪の毛や服が風になびく様子を描いたとするよ。僕らはそれが描かれたものと知っているからあまり意識しないと思うけど、これを現実世界に当てはめて考えてみるとそこにも時間の流れってものがあると思うんだ。

 風の吹く勢いは増したり弱まったりするし、それに合わせて髪や服の動き方も違ってくる。その全然違う動きの中から作者は最も描きたい瞬間を切り抜いているんだ』


 では、絵画はどうなのか。

 絵画は写真のように現実の人や風景を描く対象とするが、写真のようにボタンを押すだけで記録するなんてことはできない。もちろんイラストのように元から止まった時間の一瞬を描くことも難しい。どうしても描き始めてから完成までに少なからず時間が流れてしまう。

 そのため作者が捕らえたい一瞬を描ききるのは難しいと言える。しかし、だからこそできることがあると彼は最後に教えてくれた。

 


 『なぁ、どうして人間ってのはあえて面倒な手間をかけるんだろうな?わざわざ面倒なことするなんてアホだと思わねぇか?』

 『それを肯定したら僕も君もそのアホになるじゃないか』 『ほんとそうだな』



 「絵画だからこそできること、ですか?」

 「そう。説明したように手間もかかるし変化に流されやすいとも言える絵画だけど、それだけ変化させやすいとも言えると思うんだ。僕はその変化こそが個性なんだと思う。 

 目の前に広がる景色をそのまま描くだけじゃ写真を撮る方が手っ取り早いでしょ。でも作者はそこに自分の描きたいものを加えることができるんだ。実際には降っていない雪を降らせたり、自分だけのメッセージを混ぜ込んだり好きなようにできる。でも、自分の好きなように描くだけじゃそれはイラストになってしまう。

 だから絵画においては両者のバランスが大事なんだ。現実と個性のバランスが」


 彼はそう一気にまくし立てた。幾分彼の息が上がっているように見える。少し休憩を取ってもらうためにも僕は続きを聞きたい気持ちを胸の内にそっとしまい込んだ。ここまで本当にたくさんの情報を頭に詰め込んできたがまだ肝心のことを教えてもらってはいない。

 あと少しで彼にとっての電波塔という意味が分かる。僕が胸中をそんな期待で満たした時、


 「省吾!?よかった無事だったか!」


 とずっと忘れかけていた父の声が響いた。

 

 

 

 

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