第2話 受信

 『君のえがく絵には、個性ってものが感じられないよ』

 『高月たかつき、相手が先生だからってそんなこと気にしてもしょうがないだろ?自分の好きなようにやってみたらどうだ?』



 彼の発した「電波塔」という言葉が僕の頭の中にこだまする。塔というにはあまりに簡素過ぎるそれで一体何を発信するというのか。

 そんな疑問が顔に出ていたのだろう。彼はそんな僕にまた優し気な笑みを浮かべ


 「もしよかったら、少し休憩がてら僕の話に付き合ってくれないかな。知りたいことがあれば分かる範囲で教えてあげるからさ」


 僕に右手を伸ばした。

 それは話を聞いてほしいという彼の意志だったのか、それとも一人にはできないという優しさだったのか。どちらにしてもその木製の道具を電波塔などと表現する彼に興味が涌いてきた僕はその手に乗らずにはいられなかった。


 「じゃあ、お願いします」

 「君がよければ大歓迎だよ」


 彼の差し出した手はその表情と同じく、やさしく僕の手を包み込んだ。



 『宮西みやにしはさ、絵を描くのになんの悩みもなさそうだよね。羨ましいよ』

 『俺だって行き詰ることはあるんだぞ。そうだ、高月。お前ちょっと気分転換に付き合ってくれないか?俺も悩んだ時には必ず行くところがあるんだ』



 右足の痛みはそこまでひどくは無かったがまだ一人で下山するのは無謀に思えた。僕がいた所から涼しい木陰までのたった数メートルでさえ慎重に体重のかけどころを見極めなければならなかった。そんな僕のために彼は自分の荷物だけでなく僕の荷物まで一緒に運んでくれたうえに、折り畳み式の椅子を準備してくれていた。本来なら彼が使うべくして持ってきた椅子を目の前に僕が躊躇ちゅうちょしていると、「さぁさぁ、けが人は座わって座って」と半ば無理やりに座らされてしまう始末。

 そんな彼に僕はただ「す、すいません。ありがとうございます」とまるで中身のない返事を返すことしかできなかった。

 どうしてこんなにも優しくしてくれるのだろうか。僕はこのままだと碌に感謝の気持ちを伝えられないまま別れてしまう気がして、あのイーゼルとかいう道具を取り出している彼に声を掛けた。


 「あの、なんでそんなに優しくしてくれるんですか?僕は、あなたを勝手に熊と勘違いさえしたっていうのに」

 「そんなこと気にしなくていいよ。目の前で怪我をした人をほっとくなんてできないもの。何より僕はね、君がこれに興味を示してくれたことが嬉しかったんだ」


 彼の言葉が終わるのとほぼ同時にそれは三本の足を支点に地面に直立した。だが、やはりそれを電波塔と表現するのは難しかった。三本のうち二本の足が交差した角が横長の板の上にひょっこりと顔を見せている。その板の上下の端は直角に出っ張っていて何かを引っ掛けられそうな形をしていた。

 そう、これは電波塔というより


 「これって、絵を描くための道具ですか?」


 芸術やら美術に疎い僕でもなんとなくその予想はついた。


 「そうだよ、これを見たことがある人は多いと思うけど、分解した状態はあまりなじみがなかったかもね」

 「でもこれって・・・」 


 僕は見た瞬間から思っていた疑問を口にする。


 「どこが電波塔なんですか?」

 


 『個性、個性っていうけどさ。そんなこと言う奴らが嫌うような作品も俺は好きだな。強烈な個性なんて調和もなにもないだろ?』

 『あんな絵を描いてる宮西だけには言われたくないよ、そんなこと』



 僕の疑問に対して彼の返した言葉は


 「君は、絵を描くことはどういうことだと思う?」


 だった。あまりにも唐突でかつ、抽象的な質問に僕は二重の意味で「え?」と声をあげた。


 「大丈夫、ちゃんと君の疑問には答えるつもりだよ。ただその質問は少し遠回りをしたほうがわかりやすいと思ってね」

 「そう、なんですか?」


 そんなにも小難しい話になるのだろうか。


 「うん。じゃあ先に答えてしまうと、あれはそのままの意味だよ。僕にとってこれは電波塔みたいなものなんだ」


 まるで答えになっていない。まるで子どもの屁理屈を聞かされているようにに落ちない。それでも彼の顔にはどこか懐かしむような哀愁が漂っている。そんな表情を浮かべる彼が僕をからかうためだけにそんなことを口にしているとは思えなかった。きっと特別な何かをなのだろう。僕はもう少し彼の想いに手を伸ばしてみたくなった。


 「えっと、それでなんでしたっけ?」

 「え?あぁ、そうだ。もう一度聞くよ、君にとって絵を描くことってどういうことだと思う?」

 「絵を描くこと、ですか」


 絵を描くこと。それはただの落書きとかそんなレベルの話をしている訳ではないのだと感じた。こんな道具をわざわざ持って山に登る彼の言わんとしていることはきっと、芸術や美術としての話だろう。

 普段の僕なら適当にはぐらかして終わりだっただろう。でもこの場だけは少し考えてみようと思えた。きっとこれまでは考えようとしなかっただけで、やってみれば何かしら思うところがあるかもしれない。

 だが、実際考え始めてみると何一つ頭に浮かぶ言葉が見つからない。思い返してみても、僕は絵を描くのはあまり好きではないし、学校で受ける美術の時間が何よりも苦手だった。どうしてこんな風景や人の絵を描かなくてはいけないのか、常に頭の中はそのことを思っていた。加えて嫌だったのは自分の描いた下手くそな絵を他の上手い絵と並べて飾られることだった。テストの点数ですら個別に渡されることが当たり前なのに、どうして絵にはその秘匿性が通用しないのだろう。

 つまり僕にとって絵を描くことは、義務的にさせられているだけの苦痛、といっても過言ではない行為なのかもしれない。


 「え~と、そうですね」 


 僕の体は何とか別の意見をひねり出そうとするあまり首や腰周りまでもが一緒にねじ曲がり始める。そんな思考と体が一緒くたになった僕がおかしいのか彼は声をあげて笑った。その声でようやく僕は深い思考から解放されたのだが、彼と会ってから笑われることが多い気がして少しだけむっとした。


 「ごめん。わざわざこんな難しく聞かなくてもよかったね。その様子からだと君にとって絵を描くことはあまり好きなことじゃないみたいだね」

 「いや、そ、そんなことは」


 図星とはいえそれを認めることは彼に対して失礼になる気がして僕は咄嗟に否定しようとするが


 「別に構わないんだ。好きか嫌いかは問題じゃない。考えてみてほしいのは、どうして人は絵をえがくのかということなんだ」


 彼は、言葉ではなくその目から答えを導き出そうとするように僕の目をまっすぐに見つめている。

 人が絵を描く理由、それは


 「・・・絵を描くのが好きだからじゃないですか?」

 「そう、それが一番だと思う。でも、科学技術が進化して写真で残したりデジタルでも描ける時代を迎えても学校では絵を描かせるよね。あれってなんか面倒じゃない?」


 まさか彼の口からそんな芸術や美術を否定するような言葉出るとは思わず、心の中にあった大きな壁は一気に崩れ落ちた。彼がそう言うのだから自分も好き勝手言わせてもらおう。


 「そうですよ。好きでもないのになんでわざわざやんなきゃいけないんですか」

 「でもそれは他の教科でも同じじゃないかな。好き嫌い関係なくみんなが受けるってことは何かしら意味があることなんだと思う」


 それは、その通りだ。国語だって数学だって、化学や歴史、社会もそれなりに学ぶ意味があるからこそあるのだろう。僕は言いくるめられたように感じ下を向く。

 それでも最も学ぶ意味が見出せないのはやはり美術だ。

 僕は言いくるめられてばかりで何も納得できずにいるのが不満で、少々意地悪な言い方で彼に


 「じゃあ、お兄さんは知っているんですか?美術を学ぶ意味について」


 と投げかけた。

 彼はイーゼルの向こう側の景色を見つめたまま、少し間をおいて


 「それは、自分を見つめ直すこと・・・なんじゃないかな」


 と静かに答えた。

 その瞬間だけ、彼の姿がぼんやりとかすんで見えたのは多分気のせいだ。



 『あの絵のどこにいるって?何言ってるのさ、あれは風景画で僕自身はどこにもいるわけないじゃないか』

 『いや、いないはずがないだろ。あれはお前の描いた絵なんだから。あの絵の中にはな、高月たかつき、お前がちゃんと存在してる。それを自覚しろ』



 彼の意識はまるで千里眼で見つめた先にそのままついていってしまったようにどこか遠くにあるみたいだった。思い出か何かに浸っているのを邪魔するのも申し訳ないと思いつつ、あの、と声を掛ける。


 「あぁ、ごめんごめん。何言ってるんだろうね、自分は」

 「いえ、そんなことないです。あの、もし嫌じゃなかったらお兄さんの考えを教えてもらってもいいですか?」

 「え?」


 彼は一瞬こちらを見て、僕の表情を確認する。どう受け取られるかは相手次第だが、僕は至ってまじめだった。彼の言った「自分を見つめ直す」という言葉には彼の心に残る何かが関係している気がする。それが何なのか暴きたいわけじゃないけれど、それは彼の心だけでなく、僕の心にも何かを残してくれる。そんな気がしたのだ。

 彼はまたイーゼルの向こう側へと視線を戻すと深く息を吸い込み、深呼吸をした。それからまたこちらに目を向けると、その目はしっかりと僕を捉えていた。

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