第15話 バイバイありがとうサヨナラ

「出てきたぁ!?」


 どういうことなの!? フラスコの外に出られない筈じゃなかったの!?

 背中に壁がぶつかる。


「のけぞるほど驚くことはないだろう。お前の作品だぞ。むしろ誇りに思って欲しいところだ。お前の腕の証明なのだからな」


 ホムさんは自分の入っていたフラスコを私の机の上に置く。


「で、で、でも!」


 続いてお菓子の包み紙を開けてぺろりと一口で食べてしまう。

 もう大きさも、佇まいも、お兄ちゃんと変わらない。話し方は違う。けど、よく笑い、妙に自信満々で、甘いものに目がない。お兄ちゃんだ。


「美味いな。自分で食べるとこんなにも美味いのか。バターとレーズンがしっとりと口の中で広がって甘酸っぱいのにまろやかだ。こうか、こういうものなのか」

「食べたこと無いの?」

「初めてさ」

「戻りなさいよ! 死んじゃうわよ!」

「それなんだがもう遅い。完成したホムンクルスがフラスコの外部から何かを摂取すると死ぬ。遅かれ早かれな。こう、崩れてしまうだろう……調和がさ……」

「はぁ!? なんで大事なこと言わないの!? そういうとこ本当にお兄ちゃんそっくり!」

「そんなに似ているか? しかし俺は二階堂サトルではなく、ホムさんとして生きている。お前が悪知恵を働かせて始めた実験は、お前の思う通りの結果にはならなかったが、このホムさんを幸せにした訳だ。お前は一人の人間を死ぬまで幸せにした。良い経験になったな。お前は良い魔女っ子だ」


 そういう問題じゃない。幸せだからってなんで死に急がなくちゃいけないんだ。


「良いから戻りなさい! 命令よ! さもないと……」

「さもないと、なんだ?」

「なん……なに、を。何を……? 何も……できない?」


 そう、何もできない。私はホムンクルスを作れたけどフラスコの中に今すぐ無理やり戻すこともできないし、フラスコを割って殺すことはできてもフラスコの外で生活できるようにはしてあげられない。私は彼の服のすそを掴んで無理やり引きずっていこうとするが、彼はびくともしない。


「あ、そ、そうだ! ホムさんにお外に出てもらえるようにするから! だからもうちょっと待ってよ! 私才能あるからできる気がする! そしたら何も死ぬことはないでしょう!? だから……」


 ホムさんはカーテンを開けて陽の光をその身に浴びて目を細める。


「すまんな製作者ははうえ、それは無理だ。重ねて伝えておくが……俺は生まれてから死ぬまで楽しかった。礼を言う。お礼がてらに一つ教えてやろう。お前の母親のことだ。お前の母親、あれはな。神だ」

「神!?」

「この星を旧くから支配する人ならざる者だ。ああ、戯れに人の型をとって、それからまた、かの世界へ戻っていった。それだけだ」

「何言ってるのよ!?」

「お前の母は死んでいないということだ。あれは死すら死する彼方の存在だからな」

「わけわかんないよぉ! ねえやめてよ! なんでそういうことするの? 怒ってたの?」

「お前は悪くない。何も悪くない。ただ――」


 ホムさんは私の瞳を見つめて、焼き付けるよう見つめて、頭を撫でる。

 それから窓を開けて、外の風をその身に浴びる。気持ちよさそうにため息をつく。


「――ただ、俺が死ぬには手頃な日だっただけだ」


 まるで昼休みに校庭に飛び出してサッカーを始める男子みたいに、ホムさんの姿はあっという間に消えていった。あとには何もない。町の空気は静かすぎて、何処からともなく電車の音が聞こえてくるほどだ。


「どうして……どうして!?」


 くらっとした。そういえばここ数日ちゃんと眠っていない。こんな時に。パパを呼ばないと。それから、それから、なんにも考えられない。足がもつれる。今転んだら誰にも助けてもらえない。私は一人だ。諦めてベッドに倒れ込むと、すぐに意識が遠くなった。私は、私は……悲しい。悲しいことしか分からない。目の前が、真っ暗になる。


     *


「ゆみ、ゆみ?」


 耳慣れた声が聞こえて、私は思わず飛び起きる。


「ホ、ホムさん!?」

「誰だそれ?」


 ベッドサイドに立っていたのは――お兄ちゃんだった。


「お兄ちゃん……!」


 上半身だけ起こしたまま、私はお兄ちゃんに抱きつく。

 何が有ったかは言えない。私がやっていることは、秘密にしなくてはいけない。

 辛いことや嫌なことはお兄ちゃんに何でも言っていたのに。


「心配してくれたの?」

「ここ最近ずっと大人しいから不安になってな……何か悪いことでもしてなかっただろうな?」

「まさか……悪いことはしてなかったよ。悪いことは」


 少なくとも、お前は悪くないと言われてしまった。

 だからホムさんの言葉を本当にする為にも、私は悪いことはしなかったと言うしかないのだろう。


「ゆみ、雰囲気が変わった?」

「そう? 調子が悪いだけだと思うけど」


 お兄ちゃんは勘が良い。なんでも知っているホムさんとよく似ている。お兄ちゃんをモデルにしたから、なんでも知っているホムさんの存在が安定したんだろうか。


「まだボーッとしてるな? 根を詰めすぎだぞ」


 お兄ちゃんは無邪気に笑って頭を撫でる。


「ご、ごめん。本……読みすぎちゃって」

「模型作りの本か? あんまりやりすぎるなよ? なにかに一生懸命なゆみはお兄ちゃんも好きだが、それで倒れられたらお兄ちゃんは悲しいからな」

「うん……」

「まあ、気にしすぎるなよ。話したいことだけ話してくれれば良いからさ。おじさんや友達じゃ話せないこともあるだろ? 俺にしか話せないことも、俺には話せないこともある。どうしようもない時は、できることだけ大人しくやれば良い」


 お兄ちゃんは私がなにか秘密を抱えていると知っている。だが決してそこに踏み込んでくることはない。

 なんでだろう。なんでこんなに優しいんだろう。

 これだけなんでも知っているなら、嫌になってしまわないものだろうか。


「じゃ、目が覚めたみたいだし俺は帰るよ。おじさんも心配しているから、元気になったらちゃんと下に降りてお話するんだぞ」

「……うん、そうする。後で戻るって、帰りがけに伝えておいて」

「分かった。おじさんとは話すこともあったしな。じゃあまた来る」

 

 お兄ちゃんならこんな私を許してくれるかも知れない。

 けど、は。どうなんだろう。


「バイバイ、ホムさん」


 私は、お兄ちゃんそっくりに振る舞うホムさんに声をかける。

 部屋を出ようとしていた“彼”は足を止める。


「気づいたか?」

「ホムさんが名前だって知ってるの、貴方だけだよ」

「迂闊だったな。だがそれだけではあるまい」

「よく考えたら私が倒れている時にお父さんが来ないのも変だもん。おじさんとは話すこともあったしな……って、それを聞いて気づいたの」

「愛情たっぷりか?」

「まあね。私可愛いくって甘やかされて育ってるから」

「それは良かった。達者でな」

「ホムさんも。良い人生を」


 パタリと扉が閉じた。

 開けたままの窓から風が吹いて頬をなでた。

 振り返ったフラスコの中には、船の模型が浮かんでいた。

 私の夏休みの自由研究は終わった。

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