第5話 二人行けど 行き過ぎ難き 秋山を

 時間がとまったような気分でした。

 音が聞こえなくなって、あたりの動きがすべてスローモーションに見えて、目の前の人影の赤い光だけが、不思議とくっきり見えていました。人影は立ち上がろうとしています。立ち上がらせちゃいけない、と反射的に思って、なにをすればいいんだっけと言葉が浮かんで、閃光弾、と自分が口にしたような気がしました。思考も動きもなにもかもがスローモーションのなか、わたしはポケットから閃光弾を取り出し、先ほど練習した手順にしたがって、ピンを抜いて、投げつける、その瞬間、自分の目をおさえておくことを思い出しました。でないと自分も伸びちゃうですからね。

 両腕で目もとをおさえてしゃがみこんで、ぎゅっと強くまぶたを閉じた、その向こうからでも、炸裂した光の洪水は真っ暗な視界を白くまばゆくさせました。音は、やっぱり聞こえませんでした。光が通り過ぎてまた暗闇が戻り、すこしして感覚が、スローモーションのような動きが急速に解除されました。

 おおきく息をつき、あわててからだをさぐってみますが特に血が出ていたり痛かったりということはありません。じゃあ弾丸はあたらなかったんだ、とわたしはほっとする気分もなしにただ事実だけを飲みこみました。いつの間にか音も戻っていて、うめき声のような、低くつづく奇妙な音を拾っていました。おそるおそる顔をあげると、人影は混乱したようにうずくまり、痙攣的な動きをくり返していました。

 機械兵士、とわたしは凍える気分で思いました。たぶんこれがそうなんだろう。まるで鉄パイプと硬いゴムを組み合わせたような奇妙な人型をしたそれは、わたしには車とかエアコンとかの延長線上のものとしかみなせませんでした。震える機会兵士には、混乱はありましたが情緒は感じられませんでした。与えられたプログラミング通りの動きをくり返すだけの、ただの人形。わたしは立ちあがろうとしますが、ガクガクと足が震えてなかなか思うようにいきません。そうこうしているうちに、機械兵士は震える腕で銃を虚空へ突きつけます。弾丸を発射します。轟音がまた部屋に響き渡ります。十分に回復しない視界のまま、ともかく機械兵士は攻撃をつづけようとしているようです。このままではいつかほんとうに当たってしまうかもしれませんし、機械兵士が混乱状態から、いつ立ち直るともしれません。自分を殺そうとしている存在がいるという事実にあらためて冷たい水のような恐怖を感じて、わたしは必死で立ちあがります。その音を探知したのか、今度はかなりわたしに近い方向へ銃を向け、発射します。衝撃にわたしはまた転んでしまいます。立ちあがりたくても、立ちあがれません。呼吸が追いつかないくらい早さを増して、足も指先もくちびるも、震えがまったくとまりませんでした。

 ここで死ぬのかな、とそのとき思いました。でもいちどそう考えてしまうと、不思議とそのことをすんなり受けいれている自分を発見しました。そしてヒトミちゃんのことを考えました。車にひとり取り残されて、いまもメンテナンスで動きをとめているヒトミちゃん。目覚めたとき、わたしがいなくなっていることに気づいて、死ぬほどびっくりするんだろうな、とわたしは思います。なんていって謝ろうか、いや、ちがう、もう謝れないんだ。そのことを心苦しく思ういっぽうで、わたしには安堵する気持ちもあります。人間がついていなければ、アンドロイドは発電所に行ける。貴族さんのいうとおりだとしたら、これでヒトミちゃんは、生きつづける道を選ぶことができる。それはとてもうれしいことだから、ここで死んでしまうのも、そんなに悪いことじゃない。

 最後にちゃんと大好きだよと声をかけられて、ほんとうによかったとわたしは思います。機械兵士が近づく音が背後に聞こえます。たぶんもう、混乱状態を脱しかけているような足どりでした。もしかしたらいま、銃を向けられているかもしれないな、とぼんやり思います。もうからだは震えていませんでした。なにも怖くありませんでした。だから最期に聞くことになる音を、わたしは、不思議なほど静かな気持ちで待ち構えていました。

 その汚い銃をヒカリに向けるのをやめるです。

 聞き覚えのある声がして、視線をあげようとすると、伏せているですと強く短い言葉が返って来ました。そして先ほどの銃声の、何倍もの強い轟音が鳴り響いて、わたしの頭上を稲妻のような衝撃が突き抜けていきました。弾丸はなにもかもをなぎ払って壁という壁を突き抜けてはるか先まで衝撃をつたえたようでした。商工会議所の建物自体が、地震におそわれたようにようにちいさく震えて、パラパラと細かなほこりを落としました。

 わたしはゆっくりと視線をあげます。レールガンを撃ち終えたヒトミちゃんが入り口のあたりに立っていました。ヒトミちゃんは呆然としたような表情でしばらく立ち尽くしていましたが、ゆっくりとまぶたを落としておおきな瞳を閉じてしまうと、力尽きたようにその場へ倒れてしまいました。


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