貴族さんの声は夢のなかと同じで、だからわたしは幻聴を聞いているんだと解釈しました。

 近くになにが見えるか教えてくれ、と頭のなかにいつもの貴族さんの声が響きます。その声はしばらくつづきます。聞こえているな。そちらの思念波は受信しているが、座標はまだ特定できていないんだ。この街にいるってことはわかっている。距離はもうずいぶん近くなっている。夢を介在しなくても、直接コンタクトを取れるはずだ。くり返す、近くになにが見えるか教えてくれ。それを頭のなかで念じるだけでいい。

 わたしはパイン缶を思い浮かべてみました。

 うまそうだが、いまはそれじゃない、と貴族さんの声が届きます。だが、やはりこちらの声は届いているようだな。近くにあるものを念じて、位置を教えてくれ。もうだいぶ近くにはいるはずなんだが、雨のせいで情報が揺らぐんだ。あとちょっとで会える。もうすこしなんだよ。

 じゃあ、これはほんとうなんだ、とわたしはぼんやりと思います。

 そう、ほんとうだよ、とくっきりとした貴族さんの声がします。数日まえから夢のなかでコンタクトしているだろう。バス停の情報も共有したはずだ。アンドロイドには探知できない思念波で、情報のやり取りをできる技術があるんだ。おれたちはいま、エンタングルメントしている。この機会を逃すわけにはいかない。

 会って、どうするの、とわたしは尋ねます。すこし長い間があって、貴族さんは問い返します。じゃあお前は、ほかの人間に会いたいとは思わないのか?

 わからない、とわたしは答えます。もうすこしだけ考えてみて、つけ足します。でもいまは、ヒトミちゃんといっしょにいるから、あまり思わないかもしれない。

 だがそれはアンドロイドだろう、と貴族さんはいいます。人間とはちがう。

 ちがわない、とわたしは反論します。ヒトミちゃんはわたしと、なにもちがわないよ。

 しばらくは貴族さんからの返事はありませんでした。雨脚がすこし弱まって、窓の向こうの風景は先ほどよりもクリアになります。道の先に見える、本屋とうどん屋。思念がもれないように、わたしはあわてて目をそらします。ひとりで生きていくのか? ふたたび貴族さんの声が聞こえます。さとすように、低い声でゆっくりと、貴族さんはつづけます。知っているだろう、アンドロイドはいつか動かなくなる。いまは大丈夫でも、いつかその日はやってくるんだ。そうなったとき、お前はどうする? ひとりきりで取り残されて、お前は生きていけるのか?

 発電所に行くの。足もとのフロアマットをにらみながら、わたしはすがるような気持ちでつぶやきます。ひとつひとつたしかめるように、言葉をつづけます。だって、そこへ行けば、ヒトミちゃんは充電できるんでしょう? いつまでも、生きていられるんでしょう? だったらわたしは、ヒトミちゃんを、なんとしてでもそこへ連れていくの。ヒトミちゃんを、絶対に死なせなんてさせないから。そう念じてから、自分がそう思っていることを、はじめて知りました。

 深呼吸を三回したくらいの間のあとで、貴族さんの声が届きます。そこへお前は行けないんだ。声の響きには、どこかいたわるようなニュアンスが感じられました。発電所は機械兵士たちのものだから、人間はすぐに排除される。それがやつらのレギュレーションなんだ。アンドロイドは人間を捨てなければ、発電所へは受けいれられないんだ。

 雨の音が聞こえないことに気づきました。顔をあげると、あらたにフロントガラスを叩く雨粒はもうなくて、歪んだ視界が固定されて、その先に本屋とうどん屋が目にはいりました。なあ、おれたちはいちど会ったほうがいい、と貴族さんはいいました。そこからうどん屋と書店が見えるんだな。そのすこしさきに、コンクリート建ての商工会議所があるんだ。おれはそこへいく。発電所のことを教えてやる。発電所の地図ももっている。まだしばらくはアンドロイドのメンテナンスはつづくはずだ。チャンスはいましかない。おれたちはいちど、会って話をしたほうがいい。


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