第4話 苦しくも 降り来る雨か 三輪の崎

 走りはじめてすぐ、ぽつりぽつりと小粒の雨がフロントガラスを叩きました。

 でもそれはすぐにやんで、お昼すぎになるまではなにごともなく進むことができました。わたしたちは先日よりはもうすこしだけ規模のある集落にはいりました。銀行とか、ゲームセンターとか、そういうのがあるやつです。

 はやく通り抜けたいですね、とヒトミちゃんはいいます。こういう場所には、なにかがひそんでいないとも限らないですから。でもその言葉をあざ笑うかのように、急にまた雨が降り出しました。雨脚はすぐに強くなって、豪雨になり、視界を不確かにさせ灰をぬかるませ、それ以上の運転が難しいところまで一気にたどり着きました。まいったですね。ヒトミちゃんはくちびるを噛んで、ゆっくりと車をとめます。もうそろそろ日も傾くので、きょうはこれ以上進めないかもしれないです。あの山荘にもう一日滞在するべきでした。ヒカリ、申し訳ないですが今夜は野宿も覚悟しておくですよ。

 ヒトミちゃんでも天気大ハズレなことあるんだね。別におちょくるようなつもりもなく、自然におどろいてそうつぶやきました。天気はカオス系ですからね、とヒトミちゃんは弁明します。初期値鋭敏性を打ち破るには、わたしでは荷が重いですよ。

 雲はさらに分厚くなって太陽の光をますます弱めます。おまけに雷鳴までとどろき始めました。十五時の時点で判断しましょう、とヒトミちゃんはつぶやきます。うん、とわたしもちいさく答えます。激しく叩きつける雨の音を背景に、沈黙がどっしりとのしかかってきました。音楽も聞かず声も交わさず、わたしたちはおのおの窓の向こうの歪んだ風景をただ見つめてときを過ごしました。

 そして判断の時間になっても、雨の勢いはほとんど衰えていませんでした。

 仕方ないです、きょうはもう進まないことにするです。ヒトミちゃんはあきらめたようにつぶやくと、からだをひねって後部座席の荷物に手を伸ばします。さいわい雨が強いので、エンジンの熱ももうだいぶ下がってきているですから、熱探知の心配はしなくていいですね。街の中心部からはなれているので、まあ、大丈夫とは思いますが。しゃべりながらヒトミちゃんは、荷物のなかから光沢のないチャコールグレイの長い筒状のものを取り出します。備えあればうれいなし、というやつです。

 なんだっけ、それ。以前にも見た覚えがあるのですが思い出せず、聞いてみます。レールガンですよ。ヒトミちゃんは点検作業をしながら答えます。武器です。わたしに接続して使うです。なみの銃では効かない相手も、これなら難なく倒せるですよ。それくらい威力が出せるです。

 目からビームじゃないんだ、とわたしがつぶやくと、わたしのことをなんだと思っているですかとヒトミちゃんは冷たい視線を向けてきます。ちいさく笑ってから、そう、レールガン、と思い返します。電磁誘導の仕組みを使って発射する電磁砲。電力をエネルギー源にして、通常の火器をはるかに上回る威力を実現する、高性能兵器。破壊力に関しては申し分ないいっぽうで、ひとつだけ、おおきな弱点があります。消費電力があまりにおおきいので、連射ができないということ。

 消費電力、とわたしは心のなかでつぶやきます。いまとなっては連射性能なんて、ささいなことだとわたしは思います。おおきな電力の消費こそが、問題なんです。そしてまた、昨夜の夢のことを思い出します。貴族さんが最後につぶやいた、発電所、という奇妙なひと言。朝からずっとくり返していた堂々めぐりをまた、はじめてしまいます。発電所とはたぶん、電気をつくる場所という意味なんだろう、と予想します。発電所はまだ、どこかに残っている? だとすればヒトミちゃんはそのことを知っているのでしょうか。そこへいけば、ヒトミちゃんは生きつづけることができるかもしれない。わたしの胸はかすかにざわめきます。でも、知っているとしたら、どうしてヒトミちゃんは、それをわたしに隠すんでしょうか。

 聞けばいいんです。わかっています。うだうだ考えてなんかいないで、すぐに聞いちゃえばいいんです。ねえヒトミちゃん、発電所って知ってる? 発電所はいまもまだ、どこかに残っているの? と。なんども頭のなかでその構文を用意しました。口を開け、その発音をする直前までなんどもなんどもいきました。でも、聞けなかった。声を出すことができなかった。開いた口はまたすぐに閉じられてしまいました。なにかがわたしを強く押しとどめます。聞くことがなぜか怖いんです。理由なんてわかりません。でも、ともかくわたしは、それをヒトミちゃんに聞いてみるのが、どうしてもどうしても怖かったんです。張り裂けそうなほど切実に、怖かったんです。

 心配しないでいいですよ。ヒトミちゃんはきっと、わたしの心拍数の高鳴りを誤読してつぶやきます。わたしが夜通し見張っていますから、なにかあってもすぐ逃げられるです。レールガンのほかにも目くらましはいくつかあるですし、それにレールガンを見ただけで、たいていの相手は怖気づいて逃げてしまうです。仮に戦車が来たとしても、こいつがあれば勝てるです。これはそれくらい強い武器なんですよ。

 でも、その分電力の消費もおおきいんでしょう。わたしは低い声でつぶやきます。ふいに重苦しい沈黙が車内に満たされます。ダメだよ、それじゃあ。ヒトミちゃんは言葉をとめ、おおきな瞳で静かにわたしを見つめます。天板をたたく雨の音が、パラパラパラ、と聞こえます。

 ヒカリがいなくなったら。ヒトミちゃんは、それまでにない芯のとおった声でいいます。わたしは生きつづける意味を失って、自分で自分の電源を切ってしまうですよ。いや、もう目覚めたくないから、レールガンで自分の頭を撃ち抜くかもしれないですね。そんな状況にわたしは耐えられないです。だからわたしは、仮に命尽きてもヒカリを守るです。電力の消費がなんですか。わたしはいなくなってもいいですが、ヒカリ、あなたがいなくなってはダメですよ。それじゃ意味がないんです。

 それはわたしも同じなんだよ。

 わたしはそのひと言を、不思議なほど抑揚のない声でいいました。

 ヒトミちゃんは黙っていました。わたしももうなにもいいませんでした。雨の音がまた強くなりました。わたしたちふたりともどうしようもなく出口の見えない深い霧のなかへと迷いこんでしまって、もうこれ以上、一歩たりともまえへ進むことができなくなってしまいました。


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