ぼくはポリゴン

koumoto

ぼくはポリゴン

 ぼくはポリゴン。醜いポリゴン。

 二〇二〇年の最新ゲームともなれば、実写と見まがうフォトリアルのグラフィックなんてもはや当たり前。それはすでにして驚異の対象ではなく、大作ゲームなら前提条件みたいなものだ。少しでもほころびが目立つと、プレイヤーからは非難囂々、罵詈讒謗。ネット上では汚物のように軽蔑される。そんな世知辛い神の国の事情を、天使たちが知らせてくれたのだ。だから周りのみんなは、当然のように精細で美麗な整った顔立ちをしている。風になびく髪。きめ細かな肌。皺まで描写された服。リアルな世界のリアルな住人。神に愛された被造物たち。

 なのにぼくはポリゴン。カクカクでギザギザのローポリゴン。何十年前は最新だった、前世紀末まではトレンドだった、粗いテクスチャのつぎはぎだらけの、貼り絵みたいな醜いポリゴン。神に愛されなかった時代遅れのポリゴン。

 夕暮れだった。蝉が鳴いていた。雨上がりの道をぼくは歩く。コツコツと、大げさな足音を立てながらぼくは歩く。ローポリゴンは音で自分を表現するのだ。なぜなら情報量が足りないから。

 黄昏に染まる水たまりは、造られたものとは思えないほど美しい。雲が映っている。静止していない、陰翳のある雲。レトロゲームでは考えられない風景だ。

 ぼくは立ち止まり、水たまりを覗きこむ。雨が止んだのになおも傘をさしているぼくが映っている。輪郭だけなぞったような、大ざっぱな容貌。かろうじて眼はある。口は閉じたまま。開けるのは不可能だ。口を閉じたままぼくは会話するのだ。ローポリゴンに細部はない。ニュアンスが命なのだ。ぼくは自分の表情すらはっきりとはわからなかった。鏡のように澄んだ水たまりにさえも、ぼくは劣る存在だ。

 この世界のすべてがぼくよりも神に愛され、この世界のすべてがぼくを拒絶していた。

 死にたかった。なんだかわからないけど、どうしようもなく死にたかった。しかし死ねない。死ぬためには死亡フラグを立てなければならない。しかしぼくはイベントに参加できない。このゲーム世界の恥部であるぼくは、プレイヤーの眼からは隠されている。世界でなにが起きようとも、ぼくはそこから切り離されているのだ。死んだところで、プレイヤーがリセットすればまた生き返るが、仮初めの死すらぼくには許されていないのだ。永遠になにも起き得ない生涯。恥辱だった。

 向かいから小学生くらいの子どもたちが歩いてくる。高度なモーションキャプチャによるリアルな歩行動作。造物主の愛を一身に受けた笑顔。その子たちの表情が曇る。ぼくを見たからだ。かわいそうな生き物を眺めるように、子どもたちは遠巻きに距離を置いて、ローポリゴンのぼくを通りすぎる。そして背後から笑い声。ぼくを嘲笑しているのかと、被害妄想じみた憂鬱。

 なぜこんな身体で生まれたのだろう。なんのためにぼくは生まれたのだろう。だれからも求められない場違いな不純物。欠陥品だ。生まれてくる時代を間違えた。生まれてくる必要がなかった。

 生まれなければよかったと、いつだってそう思っている。

 ぼくはこの世界がいかなる目的に奉仕しているのかもわからない。なんのジャンルに属しているのかもわからない。このゲームはアクションゲームなのか? アドベンチャーゲームなのか? RPG? ホラー? ウォーキングシミュレーター? まったくもってわからなかった。

 オープンワールドかどうかすらもわからない。精緻な世界像と豊穣すぎる情報量は、その可能性を予見させるけど、造物主たる神とも聖霊たるプレイヤーとも神の子たる操作キャラクターとも関係を失ったぼくは、なにを確かめる術もない。ぼくのいないところで世界は動き、ぼくのいないところで愛は生まれるのだ。そのことについてなにを言えるというのだろう。

 ぼくは夕暮れの道をとぼとぼと歩く。とぼとぼと強調されたような足音を響かせながら歩く。傘をさしたまま、うつむいて。カクカクでギザギザのテクスチャをさらして。

「なにがそんなに哀しいの?」

 だれかの声がした。周りを見まわす。だれもいなかった。人影はなかった。

「こっちよ、こっち」

 声は上から聞こえる。ぼくは天をあおぐように見上げた。

「き、きみは……?」

 ぼくはのっぺりしたポリゴンでは表現しきれないほどの驚愕を顔に浮かべたまま立ちすくんだ。

 電線の上に、ドット絵の鴉がとまっていた。ピクセルを丹念に配置され塗り込まれた、職人芸ともいえるドット絵の鴉。フォトリアルな三次元の世界に、絵から飛び出してきたような二次元の鳥が存在していた。

「わたしもこの世界では変わり者だけど、あなたも相当な変わり者みたいね」

 ドット絵の鴉は透明な声で語る。くちばしを動かしながら語る。滑らかなアニメーションだった。

「それで? なにがそんなに哀しいの?」

 ドット絵の鴉は、ポリゴンのぼくに問いかける。ぼくは戸惑いながらも、この異形の鳥にこころを打ち明けた。

「なにって、なにもかもがだよ。世界の標準から落ちこぼれたぼくは、なにもかもが憂鬱なんだよ。人を見れば憂鬱だし、空を見れば憂鬱なんだ。なんて綺麗な人々だろう、なんて綺麗な青空だろう。それなのにぼくはこんなにも汚い。こんなにも醜い。カクカクでギザギザで、人工物まるだしだ。生きているのが恥ずかしいんだ。存在しているだけで痛ましいんだ」

「それならばわたしは? わたしもこの世界の標準からはずれているけど。わたしを見て、どう思う? わたしも汚くて醜いのかな」

「きみは……きみは、綺麗だよ。もしかしたら、最新のグラフィックなんかよりも、ずっと」

「ありがとう。お世辞でも、嬉しいわ」

「お世辞なんかじゃ……」

「それなら、あなたも醜くなんかないわよ」

「なんで? どこが? こんなガサガサのローポリゴン、どう見たって過渡期の産物じゃないか。なまじドット絵よりも背伸びしようとしたぶん、醜悪さが際立っている。不完全な欠陥品だよ。救いようがない」

「完全な存在なんていないわ。わたしたちはみんな不完全で、みんな過渡期の産物。そう思わない?」

「慰めならいらないよ」

「じゃあなにが欲しいの? あなたはなにを求めているの?」

「……わからない。生きている意味が、わからないんだ」

「そんなのなくても、楽しめばいいじゃない」

「楽しめないんだ」

「困ったものね」

 ドット絵の鴉は笑ったようだった。

「あなたは人も空も、そしてわたしのことも、綺麗だと言ってくれたじゃない。なにかを美しいと思えるなら、きっと生きる価値はあるわよ。意味なんてなくても」

「……そんなものなのかな。無意味なポリゴンでも、生きる価値はあるのかな?」

「ま、知らないけど」

 ドット絵の鴉はあくびをして、眠そうにこちらを見下ろした。飽きてきたらしい。

「生きていれば、いつかは自分の価値もわかるかもね。こんど会ったときに、あなたなりの答えを聞かせてよ。それまでは、さようなら。世界が消えないかぎりは、きっとまた会えるわよ。元気でね」

 そう言い残して、ドット絵の鴉は電線から飛び立った。羽ばたきのアニメーションも、掛け値なしに見事なものだった。二次元の鳥が、三次元の夕空を飛んでいく。

 取り残されたぼくは、しばし呆然とそれを見送っていた。やがて鴉の姿が見えなくなると、ぼくは夢から覚めたように、またうつむいてしまった。

 そこに、黒い羽根が落ちていた。美しい濡羽色のドット絵の羽根。

 ぼくはずっとさしたままだった傘を閉じて、その羽根を拾い、ポケットに入れた。古いお守りのように、守護天使の形見のように、うやうやしく大切に。

 それからは、うつむいたまま歩くよりも、空を見ながら歩くことの方が多い。

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