絶対領域と冷えたシャンパン③


 ワンハンドレッドがラジカセのスイッチを入れた。くすんだサックスの音が軽快に鳴りはじめる。

ゆったりとした四つ打ちと唸るような低いベース。

古びたラジカセが鳴らすクラシックなヒップホップ。この豚眼鏡、相変わらず音楽のセンスは上等だ。


「ロシアのマフィアが潰されて、バミューダってスピリチュアル企業が北海道に本部を置いて、今朝ファミマの前で普通の子供がB・Bにごちゃごちゃ言ってきたってこと?」


「まぁ、そういうことだな」


 ウィッチさんがヒップホップのリズムに若干寄せ気味に早口で捲し立ててきたが、こっちはそれどころじゃない。あんたが脚を組み替えるたびにヒヤヒヤしてんだよ。ニーハイはもう限界まで上がってるけど、そのピッタリした水色のワンピースは青天井だということを忘れるんじゃない。


「でも、なんで北海道なの?」


「政府の機関が焼きもちやくだろ? 新しいペットを飼いはじめたら」


「だから、なんで北海道なの?」


 ワンハンドレッドが鳴らすクラシックなカタカタ音が四つ打ちの裏に入りはじめる。この豚は何をどうやって調べているんだろう。そんなに高速でカタカタやりながらググってる人なんて見たことねぇぞ。


「マフィアについてはロシアの公的な機関が動いて"なかったこと"にしたんだろうね。やったのは当然バミューダだろうし、最近は暴力よりもスピリチュアルの時代だから、ロシア政府からしたら棚からぼたもちだよ。タカリが消えて新しい道具も手に入る」


「あと、なんでファミマの前にいたの?」


 暴力よりもスピリチュアルか……





 ウィッチがキャバ嬢みたいな髪に巻きつけた赤いバンダナを気にしてゴソゴソいじっている。あんたは髪なんか気にしてる場合じゃない。そんなに腕を上げたら大変なことになってしまうだろうが。あんたが着ているのはワンピースだということを忘れるんじゃない。


「ところで、ウィッチさん。ボクのバスプロショップスの帽子はどうしたんです?」


 ボクの?……


「だーかーらー。ミニ丈ワンピだよ? なんであの帽子なの? バンダナリボンでしょ? ふつう? ニーハイで外してんだからよくない? バスプロショップスの帽子被る? ふつう?」


 猫耳カチューシャはふつうなのか?……


 専門用語で捲し立てられたワンハンドレッドが、キョトンとした顔で俺の顔を伺っているが、残念ながら私も専門家ではない。なんならミニ丈ワンピという言葉がウィッチさんの口から飛び出したとき、軽く動揺したほどだ。


「俺を見るな。それにアレはもうお前の帽子じゃない」


「そうだよ。アレはあ、た、し、が買ったの」


 ウィッチが人差し指を突き立ててワンハンドレッドの顔の前で振り回す。


「そ、そうですね。アレはもうウィッチさんにお買い上げ頂きました……」


「よろしぃ」


 ウィッチは腰に手を置きウンウンと大きく頷いている。


「そういえば、ウィッチ。座標特定デバイスなんて何に使うんだ?」


「ぎょっ!? ざ、座標を特定するんだよ、裏の……」


 ぎょって……


 コイツは脳筋なところがあり、あまり考えて行動するタイプではない、宇宙マーケットで如何わしいモノを買えば、当然俺たちに筒抜けになる。わざとやってるのか?……


「わ、わざとじゃないよ」


 ん?……


 ウィッチがわざとらしく口笛を吹きながら顔を逸らすと襟足に何かキラキラしたものがぶら下がっているのが見えた。


 なんだ? アレ?……


「何が?」


 ん?……


「いや、襟足のところに何かぶら下がってるぞ?」


 ウィッチは髪の毛をガサガサといじり「あっ、あった。さっきバンダナ触ったときに外れたみたいなんだよね」と、手のひらの上にソレを乗せて俺とワンハンドレッドに見せた。


「かわいい制御チャーム」


 細い鎖でできたピアスだろうか?なんだかよく分からないが、コイツがコレを付けていないということはとても危険な状況である。


「ところで、ワンちゃん? 座標デバイスだけど、1万円でいいんだよね?」


「え? いや……アレは精密機器だから結構高くて2万円ですと電話で話したと記憶しておりますが……」


 ワンハンドレッドの口調がかしこまっている。


「さっき言ってたでしょ? デバイスに1万乗っけてるからまぁいいかって」


 ウィッチがバンダナリボンの結び目に手をかける。


「い、いつです? 誰がそんなことを?」


 ワンハンドレッドが丸眼鏡をこめかみに食い込ませるとウィッチがバンッとカウンターを両手で叩き勢いよく立ち上がる。俺はラジカセからジブラの『真っ昼間』が流れていることに気がついた。「hey,yo!」という軽快な合いの手が2人の動きとシンクロしたような気がする。




「B・B? 大丈夫なの?」


「何が?」


「何がって、軌道制御……もう時間ないんじゃないの?」


 ワンハンドレッドがウィッチの耳元で揺れる細いゴールドのピアスを凝視しながら口を開く。


「そうだよ。せっかく有給取って仕事休んだのに昼間はなにしてたんだい?」


 豚の目線はウィッチの耳元から離れないが、おそらく俺に話しかけていると思われる。


「ん? 仕事休んでどこほっつき歩いてたのかって? そんなプライベートなことを聞くのか?」


「何もしてないの?」


「ファミマでコーヒー飲んだよ」


「それは聞いたよ。そこでバミューダの子供に会ったんだろ?」


 ワンハンドレッドは、ウィッチさんが席を立ってカウンターの端に置いてあるヴィンテージの冷蔵庫からコーラの缶を一本取り出す様子を目で追い続けている。


 おい、豚よ。たまたまだ、あれはたまたまピアスが外れてしまったんだ。心配するな。ピアスが外れてしまうなんてそうそうあることじゃない。女がピアスを外すときは大抵わざとか、たまたまだ。でもウィッチさんがわざとピアスを外す様な女に見えるか?わざと助手席の足下にピアスを落としていく様な女に見えるか? あれはたまたまだ。心配するな。


「コーヒーにしといてよかったよ。ワンカップなんてキメてたらおかっぱ頭の女の子が耳元に直接声を飛ばしてきたなんて話、信じてくれなかっただろ?」


「…………」

「…………」


 ウィッチさんは相当喉が渇いていたようで、無言でコーラの蓋を開けると腰に手を当て、もの凄い勢いでコーラを流し込んだ。その様子を無言で伺っていたワンハンドレッドが恐る恐る口を開く。


「あの……100円になりますが……」


「ワンちゃん? いいかげんにして頂戴」


「いや……それとこれとは……」


「ワンちゃん?」




「そういえばババアの様子はどうだ?」


「え? 婆さんかい?」


 ワンハンドレッドが「ちょっとまって」と旧型パソコンをカタカタやりはじめる。いつもならこういうときは雷門の提灯を眺めはじめるウィッチさんもババアの動きには一目置いているようで、興味津々に旧型パソコンの画面を覗き込んでいる。


「えーと、今日の昼頃、台風の発生要素確立チャネを完了させてるんだ。『B・B台風』より東側、赤道付近に台風が発生してる。そこまではボクも追ってた。その後はたぶん『高次元空間』を通ってるね。恐山に現れてる。そこで『シャーマンチョコ』を買って食べて、それから柏に戻ってチャネル場に入ってるね。その時に何かブリングストン製の和紙で依り代を飛ばしたみたいだよ。でもこれ、なんか……おかしいな? シャーマンチョコの宇宙エネルギー程度でリーディングに引っかかるなんて……」


「ゴルばあちゃん、磁界を張ってないんでしょ?」


「やっぱりな。あのババア、メソった時からおかしかったんだ。磁界張らずにチャネリングするなんて自分がやったと知らせているようなもんだ」


「確かに、あの時は婆さんがよくやる遊びかと思ったけど、今回のは何か妙だね」


 腕組みをして首を傾げるワンハンドレッドの横で、カウンターから身を乗り出して旧型パソコンのディスプレイを覗き込むウィッチさん。もちろん、その横で俺はニーハイとワンピースの隙間をぼんやりと眺めている。なにしろ凄いんだ。身を乗り出しちゃってるもんだから。


「俺の場合は余計な小物にウロチョロされるのが面倒だったから磁界を張らなかったが、ババアのことだ何か企んでるに決まってる」


「何かってなんだい?」


「時間でしょ?」


「時間?」


「そうだな、ウィッチ。お前も分かってたんだろ? どこの仕事を受けてるのか知らないが、俺の邪魔はするなよ?」


「別に邪魔なんてしたことないじゃん。だいたい、あたしは台風なんてどうでもいいの。用があるのは……」


「ババアか?」


 ウィッチは顔を逸らしてわざとらしく口笛を吹きはじめた。耳元でゴールドの細い鎖みたいなピアスが揺れている。古ぼけたラジカセが鳴らすクラシックなヒップホップ。ウィッチさんの緑と黒の縞々のニーハイは既に膝の辺りまでずり落ちている。どうやら諦めたみたいだ。それはそれで、少し寂しくなってしまったのは言うまでもない。剥き出しの方がいいなんて思っていた頃が遠い昔のようで懐かしくも感じる。


 あと、豚眼鏡はどうやら気がついてしまったみたいだ────俺がコーラを一本、がめていることに。















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