短編集

阿部2

対自核

私は私のものごころがはじまった日を精細に記憶している。そのころ私の家はエレベーターのない四階だてのマンションの三階にあり、でかけるときはつねに、つねにかわいたミント色のこけのはえた階段をおりていた。まず七段目に右足をおき、つぎに左足も七段目におく。六段目も同じように、まず右足を置き、つぎに左足を置く。五段目に足をかけたとき、私の手をひいていた父が、「左足をこっちの段に出せる?」と四段目をつまさきでかるくたたきながら質問してきた。私は言葉でなく行動でそれにこたえた。左足を四段目におろしたとき、私は父の意図を理解した。右足を三段目、左足をニ段目、右足を一段目、左足をニ階に。この歩きかたならニ階までの移動はいともかろやかになる。二階から一階もおなじだ。


私が通うことになるという、療育センターという施設をみにいく、私はたしかにそう両親から伝えられた。しかし、その施設をみにいく日がきょうだということは、理解していなかった。


療育センターの窓ガラスは、紙でかたどられたひまわりの模様がはりつけてあり、歌と電子音の和がもれきこえた。


「いつのことだか、おもいだしてごらん。あんなこと、こんなこと、あったでしょう」


父は「卒業式の練習かな」といった。このとき、そのあとにつづく歌詞はおどろくほどのものではなかった。大事なのは「いつのことだか」だった。


私はありとあらゆるできごとをすでに記憶していた。たとえば洋梨をたべたとき、ねっとりとあまいケーキのようなくだものが存在することにおどろいた。しかしそれがいつのことだかをおもいだすことができなかった。記憶には記憶の記憶があることに気づいたのだ。


記憶の記憶という言葉は「ぐりぐらぐりぐら」のような、音のひびきをつくるための反復ではない。お母さんのお母さんがおばあちゃんになるような、言葉によって意味される内容のなかにある反復だ。


記憶の記憶はできごとそのものに対する記憶よりも重要な場合がある。私のものごころはこのころからはじまり出す。


窓にはりついたセロハンテープは指紋で白くにごっていた。施設は門の前の敷石は白すぎてまぶしかった。なるべく目をあけないようにしてあるいていると、「ねむいの?」と父にたずねられた。


家にかえってから母のつくったチャーハンをたべた。普段のチャーハンは、茶いろい米が皿の上に平たくもられていることが多かったが、この日はめずらしく茶いろい米がまるくもりあがるようにもりつけられていた。

「砂丘」

と私は言った。スプーンで崩すと砂漠になる。

「砂漠」

と私は言った。


両親が「よくそんな言葉しってたね」「まえニュースで鳥取やってたからかな」とわらっていた。しかし、このころの私は、砂丘はまるいから「砂球」なのだと思っていた。


父は「下北にも砂丘あるんだよ」と言っていた。


「観光客は入れないみたいだけど」


食事のあとは、お昼寝をすることとあらかじめ決められていたようだった。ふすまがしめられると、視覚が封印されることでほかの感覚が肥大していく。どこまでがじぶんの肌なのか、触覚がどこからくるのかわからなくなる。私自身がぶよぶよにふくらんで部屋に充満したかのようだ。そんな状態で横たわっているとどちらが上でどちらが下かもわからない。


闇の中でラジカセのモーターがうなるブーという単調な持続が聞こえ、私はそれが怖かった。


思えば、このころの私の記憶は、合唱曲の伴奏のようにいつも恐怖が鳴っている。


両親は、私がくるくると回るものが好きと思っている節があり、それは正しいのだが、そのことはくるくると回るものが光がある世界に置かれている場合にかぎる。


暗い世界のラジカセ、時計の針の音、ときおり通り過ぎる自動車かバイクの音、そういったものは、どうにも得体が知れない。


さて、両親がバザーで買ってきたラジカセといくつかのテープは、もっぱら私の入眠のために使われている。


この日セレクトされたカセットテープは、歌ではなくお話で、世界が産まれる様子を語ったどこか外国の神話を、子供向けに語り直したものだった。ちなみに、話者はテレビによく出る噺家の林家木久扇だった。


このお話のテープはすでに何度も聞いたものだったが、このときはじめて私の感覚とお話の内容が接続する。


私にとって原初の感覚は水に浮いた油膜のように、広がって形のないものなのだろう。目をとじることでそれがわかった。ふとんにふれる感触はどこからくるのか。私の体はどこにあって、どこまでがふとんなのか。


神によって、黒い部分やものが濃い部分が分かれ、地面と空ができる。


こののちに、母のやくわりを持つ人間と父のやくわりを持つ人間が産まれ、実のなる木がそこらじゅうに生えた楽園にふたりで暮らすことになる。


ふたりは、この後に禁じられていた木の実を食べたことで神の怒りをかい、園から追い出されることになることを、私はすでに知っているが、テープがそこにさしかかるのがいやになり、私は押し入れの中に隠れることにする。


押し入れはそのせまさからつねに体に触れる壁があり、感覚をおさえこむ枠ができる。


私はお話を思い返し、神がふたりに対して善悪を知る木の実を食べないよう命令した理由を考える。


「それを食べると、あなたがたの目が開け、善悪を知る者となるのです」と、へびは語った。


お話は、世界のはじめを語ったものとされているので、善悪を知る木の実を食べて知った善悪とは、いま私があたりまえに知っている善悪でなければならない。そうでなければものの起源のお話にはならない。しかし、ふたりははじめから神の命令に従うことを知っていた。言葉を話すことを知っていた。木から実をもいで食べることを知っていた。神の命令に背くことを知っていた。話を聞く限り、善悪を知る木の実を食べて知ったのは、自分たちは裸であるということ、裸は恥ずかしいということ、たかだかその程度なのである。


自分が裸であることを知るとは、自分がどのような姿か、どのように見えるかという発見であったのだろうか。


お話のなかの登場人物の内面がすべて作者の考える登場人物の内面でしかないように、すべてを創造した神を仮定した場合、すべては神の似姿でしかない。善悪を知る木の実は鏡のようなものなのだろうか。


木の実を食べると神に近づくとへびが言ったのは、鏡を手に入れるようなことだったのだろうか。


ところで、お母さんは、赤ちゃんのころの私は鏡が好きで、泣いているときでも鏡をみると泣きやんだといった。


この日も、母の化粧の手順をみるのはおもしろかったようにおもう。


鏡は、三面鏡であってもひとつの自己像を与えるが、それは目を離すと雲散霧消する。


そこで私は押入れのなかの積み重なった布団を踏み台にすると、天井の板に押せば動く部分があることに気づいた。四角くて重いふたであった。


私はよじ登り天井の上に入ってみる。体がぴったりとおさまる箱であった。


私はやや安心してつづきを考えることができる。


神は「ひかりあれ」と言った。すると光があった。呼びかけることと返事することの間にはどのような規則があるのだろうか。両親は私が返事をしないと大きい声で何度も呼んだりする。返事をすると喜ぶこともある。一回返事をしたからそれでいいというようなものではない。固い地面や水は四日目にも五日目にもあり続ける。一回あったからそれでいいというようなものではない。


呼応によってもたらされるものとは、まず第一に、自分は呼びかけられることができるという知識ではないか。光や草木にとって、呼びかけられる経験はそれによって未来まで完成するものだったが、人間の男女にとってだけは、そのことはそこにあってあり続けるような経験ではなかった。呼びかけられるということは、外側から観察と介入をされ得るということで、あたりまえの事実だが、恥ずかしかった。


私にとっても、裸を見られることは恥ずかしいのだろうか。


私はあいまいに白くて丸い影のようなものをいくつか思い浮かべる。


両親が天井のふたをあけ、「いた」と言った。


それから私をひきずるようにして床におろした。


母は私を抱き止めながら、「さちをはじめて抱っこしたとき、背骨がぐにゃぐにゃして腕にまきつくような感じがして、赤ちゃんってこんなに柔らかいのかなって思ったよ。後でいろいろ検査して、やっぱりさちは普通じゃないってわかったんだよ。だからさちの体がすごくやわらかいのは知ってたけど、あんなせまいすき間に入れるなんて知らなかったよ。これからはもうひとりで知らないところにいかないでね」と震える声で言った。


私は、いつのまにか眠っていたようで、おねしょをしていた。本当に赤ちゃんのころならわからないが、これまでに私はおねしょをしたことなんてなかったので、最初は寝汗をかいたのかと思った。


眠っていたということは、私の、実のなる木の生えた園についての思索は、夢だったということだ。思い返すと、たしかに思索というにはとりとめもなく、あいまいで、飛躍していたようだった。


お昼寝のときはあまりねむくなかったので寝なくてもいいかなとおもっていただけなのに、お母さんに「さちはあまえんぼうだから、だっこしてもらえないと寝れなかったんでしょ」といわれて、いやな気持ちだった。


両親は私の服を着替えさせながら「さちは変化に弱いところがあると思うから、療育にいくのが不安だったのかな」とはなしあっていた。


カレンダーを見る。今日は二月二十日で、これが一日めである。記憶には順番が大事であろう。


新しいズボンをはいて、私は「いつのことだか、おもいだしてごらん。あんなこと、こんなこと、あったでしょう。うれしかったこと、おもしろかったこと。いつになっても、わすれない。いつになっても、わすれない。もうすぐみんなは、一年生」と歌った。


お母さんが「さっちゃん、そんなに上手にお歌歌えたの」とおおげさに驚いていた。


春になったら、一年生。

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