紅霞後宮物語 雪村花菜・新作「春はばけもの」

「春はばけもの」


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「イ……イ……ィアァァーイ!!!」

 ホイットニー・ヒューストンの熱唱の途中を、部分的に切り取ったみたいな悲鳴をあげてしまった。 


 冒頭に「エンダー」を言ってれば、もっと完成度は高かったのに……なんてことを、悲鳴をあげた本人が、悲鳴をあげたときに思えるわけもなくて、これは友人が後に述懐した内容だった。

 心底感心する友人に「あんなときにそんな感想持てるって、胆力ヤッベェな!」と、こちらも心底感心した。リスペクトしあえる関係って素晴らしい。私たち、相愛ではないけど相思ではある自信がある。

 この友人とは中高一貫のつき合いで、大学も同じところに入った。腐れ縁とは思わない。私たちの縁は常に鮮度を保っている。


 大学に入るまで、地方の進学校生にありがちな感じで清く正しく勉学にのみ励んでいた私だけれども、そろそろアルバイトという社会経験を積みたいと考えた。率直に言えば「遊ぶ金欲しさに」。

 で、この友人の彼氏が「手伝ってほしいんだよね」と、声をかけてくれた。同僚の引越しらしい。お礼がご飯ってあたり、バイトというよりお手伝いだけど、初めてにはぴったりのハードルの低さ。

 でもこういうのって、男手のほうがいいのでは? と当然の疑問を抱いたんだけど、なんでも同僚さんは女の人で、しかもあまりにも忙しくて、全然荷造りできてないんだとか。

 だから私と友人は、同僚さんの服をとにかく箱に詰める要員ということになる。納得。

 しかもその同僚さん、他の人のフォローで引越し当日に出張しなくちゃならなくなったという、非常に間の悪いことになってしまったとか。

 話を聞いただけの私でも、手伝いたい気持ちになってしまった。


 当日、友人の彼氏のみねさんの車で現場に向かったら、ものすごく腰の低いお姉さんに出迎えられた。

「ありがとう、ありがとう……汚れ物だけは始末してるから」

 そんな同僚さんの手には、やたら大きいスーツケース。見ただけで、たいへんそうだなってわかった。

「そんなたいへんな仕事なんですね……お気をつけて……」

 でも、たいへんさの種類が想定してたのとちょっ違った。

「いやこれは、洗ってない洋服……残しておいて若い娘さんたちの手を煩わせるのは、あまりにもしのびないから、出張先に持ってって、ホテルのコインランドリーで洗う……」

 ──お姉さん……。

 でも気持ちはちょっとわかるし、正直ありがたい。


「いや寝てって言ってたのに、そんなことしてたの小野ちゃん……。というか、そのスーツケース丸ごと引越し先に持っていってもらえばいいでしょ」

「ハッ! 確かに」

 ──お姉さん……。

 でも私も言われるまで気づかなかったので、思考レベルはどっこいどっこい。


 横から口を挟んできたのは、えらい美人さんだった。峯さんも美男子だから、局所的に顔面偏差値がすごい。

 小野さんは天啓を授かった! って感じの顔をしたけれど、すぐに肩を落とした。

「でも無理なんだわ……要るものもケースに詰めちゃってるから……パッキングし直す時間がない」

「小野ちゃん……こういうとこ、とことん立ち回り下手ね」

 結局小野さんはでっかいスーツケースを引っ張りながら、しょんぼり出発していった。

「まあ、ああ見えて優秀だから、下手すりゃ今日中に戻ってくるわよ」

 パチンとウインクする美人さんは、とっても色っぽくて、同性の私でもどぎまぎする。でもイケメンを彼氏に持つ友人はそんなこともないようで、なにやら考えこむと、ややあってちょっと申しわけなさそうな顔になった。

「でもそれって、単にあのキャリー持って行って、持って帰るだけになるかもしれないってことですよね」

「……そっかあ、そうだねえ」

 友人の鋭いツッコミに、美人さんが遠い目をして、彼氏の峯さんがヒイとイケメンらしからぬ声をあげて笑った。この人が友人とお付き合いしている理由を理解できた気がする。


 その後は引越しの手伝いをした。とりたてていえることは……他人のパンツとかブラジャーはご遠慮申し上げたい。あえていえば、美人さんが友人と峯さんのなれ初めを楽しそうに聞き出そうとして、手がめっちゃ止まっていたくらいか。



「小野ちゃん、あんたやっぱりすごいわ。本当に今日中に戻ってきた」

 引っ越し先でトラックから荷物を下ろし終わって、今日はお疲れさまでした?と声をかけあっていたら、ガラガラガラガラガラガラ! という音とともに小野さんが、こちらに駆けてきた。

「あああ、間に合った!」

「え~、お疲れ!」

「お疲れさん」

 びっくりした顔の美人さんと、全然驚いてない顔の峯さん。

「いや~、うまくいったら今日中に挨拶できそうだったから!」

「じゃあこれ、小野ちゃんから渡しなよ」

「うん、そうする~」

 美人さんが、バッグから封筒を取り出して小野さんに渡す。小野さんが今度はそれを私たちに差し出した。

「はいこれ、寸志です。気持ち程度だけど」

「え~、いいんですか!?」

 このあと、肉も奢ってもらうのに。

「いいのいいの! 正直、あのタイミングで引越し業者さん追加したら、お金すごいことになってたし……」

 小野さんは遠い目をする。気の毒だけど、そんなに稼げるんなら、私引っ越しのバイトやってみようかな……と、ちょっと欲がうずいてしまった。


「ホテルのキャンセル大丈夫だった?」

「もちろん! いや~当日16時までOKのとこ予約してて助かった!」

 美人さんと小野さんが、なんか大人って感じの話をしてる。恥ずかしながらこの私、一人でホテルを予約したことがないくらいに、旅行の経験が少ない。

 けれどもいつか、藤壺×弘徽殿のカップリングを世に広めるため、いろんなところに出歩こうと、心に誓っている。今日いただいた寸志はその礎にする所存。

 封筒を押しいただいてから、バッグに仕舞いこんだ。

「それでそのスーツケース、最初から最後まで持ち歩いたのね?」

「……うん」

 二人の物悲しいやりとりは、聞かないことにした。



 打ち上げは、小野さんの引越し先の近くで行われた。

 お肉はたいそうおいしゅうございました。いつも買ってるグラム108円(税込)の豚コマなんて目じゃないくらいいいお肉を、しかも人のお金で食べられるとか、おいしくないわけがない。

 途中で峯さんが、仕事の呼び出しで出ていってしまったけど、むしろ女同士だけになったぶん、楽しい食事会になった。

 実をいうとすでに体の節々が痛む程度には、筋肉痛が迫り来てるんだけれど、やっぱり引っ越しのバイトしてみようかななどと思う。でも二匹目のどじょうかな、これって。


 駅まで送っていこうかという二人の申し出を断り、二人して駅まで歩きはじめる。5分ほどで、私はあっと声をあげた。

「ケータイのバッテリー忘れちゃった」

「お店?」

「小野さんの家だと思う。引っ越し先のほう……電話番号知ってる?」

「待って。たかしさんに聞いてみる」

 友人は峯さんに電話をかけてみるものの、出る気配はない。そりゃ仕事中だもんね。

「うーん、直接行っていいものかな」

 学生の懐には、バッテリー代もけっこう重い。

 友人も困り顔になった。

「小野さんが見つけて、崇さんと私経由で返してくれるかもしれないけど、それもそれで迷惑じゃない?」

「それな」

 あとなにより……。

「あんだけ荷物いっぱいあるところから見つけられるとしたら、今しかないと思う。それに今なら走れば、もしかしたら小野さんが帰る前に追いつくかも」

「ですね」

 なぜか小野さん、店にもあのでかいスーツケース持ってったから、動きは遅いだろう。

「あいっ、た!」

「がんばれ!」

 走ったら案の定横腹が痛くなって、ただでさえ筋肉痛気味の節々も痛い。友人もそんな感じだったので、巻き込んで申しわけない気持ちと、同じ苦しみを味わう同志への連帯感が渾然一体となる。

 私たちの苦しみを天がよみしたもうたのか、やがて私たちは、小野さんたちの後ろ姿をとらえた。でっかいスーツケースは、最高の目印だった。

 ……が、なぜか二人は人気のない公園に入っていく。

「なんで?」

「トイレじゃない?」

 納得して、追う足を止めていたらあんなことにはならなかった。


 

 そして私たちは見た。

 スーツケースから現れる、おぞましい化け物を。



 ……で、赤く光る目をしてそれを蹴り飛ばす美人さんと、ボロボロになった自分のパンツを持って、物悲しそうにする小野さんを。

 多分、それを見るのがもう少し早ければ私、ホイットニー風の悲鳴をあげなかった。


 この直後、小野さんたちが陰陽師やってる公務員なことだとか、化物は出先で始末しきれなかったのをトランクに押しこんで持って帰ってきたことだとか、美人さんは吸血鬼だけど錆びた鉄瓶でじっくり沸かしたトマトジュースでハッピーになれることだとか、私の知らなかった世界、知らなくても別に問題なかった世界が開示される。


 そしてこれが、私の就職先の先輩と上司との初めての出会いです。

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