第8話魔術と信仰

 魔術の基礎として、魔術師は魔素を感じるよう求められる。


 火には火の魔素、水には水の魔素。

 全ての物質に存在するそれらの要素を把握し、自在に操るのが魔術の基本である。世界を目で見て耳で感じるより、シンジ・カルヴァトスは魔力で世界を把握する。


「魔術とは万能の奇跡じゃあない。魔術師とは魔学者であり、魔術は学問。厳密に決まった法則があって、それにそぐわないことは出来ない」

「魔術師ならば誰でも、指を弾いて火を放つことが出来るのかと思っていましたが」

「出来なくはないよ」

 エリクィン神父の子供っぽい疑問に苦笑しつつ、シンジは万年筆の先に小さな火を点した。「得手不得手の問題なんだ、同じ力でどれだけのことが出来るかはそれぞれの素養による」


 火の魔術師が一の魔力で作る炎を一とするなら、例えば水の魔術師は十かそれ以上の魔力を使わなくては、同じだけの炎は作れない。唱える呪文や必要とされる集中力を考慮すれば、労力はそれ以上だろう。


「属性の適合とその深度。魔術師の素養というのはそれぞれということさ。個人の努力ではけして、その属性を変えることは出来ない。だから何とか深く、拡くしようと努力しているんだ」


 血統の管理や、果ては養子縁組など。

 その努力の成果は随分と気の長い話になる。子に未来を託すどころか、魔術師は孫の孫まで掛けて、夢を追い求めているのだ。


「その甲斐あってか、最近になって魔術属性は随分と幅広くなった。森羅万象を紐解くにはまだまだ程遠いが、道筋としては間違っていなかったというわけだね」

 だが、とシンジは続ける。「そうではない分野も、ある」

「と、いうと?」

「言った通りだ。魔術師は属性を拡大し深化しているが、それらは結局何処まで行ってもなんだ」


 『火』から『炎』や『溶岩』、『爆発』が生まれるように。

 魔術師が今現在採れる計画では、――火の一族と風の一族が交わって爆発を生み出すようなことは出来るが、全く存在しない魔術体系を生み出すことはけして、ない。


 そして。


「【聖伐カーニバル】以来たったの一人も存在しない属性があるんだ」


 この世界に存在するありとあらゆるモノに、魔素が存在する。

 だというのに『それ』の魔素を誰も、誰も操ったことがない。存在しないわけではないのに、試した者も、疑問に思う者さえいない。


「それが、魂。そしてそれこそが、神の奇跡を解く鍵だと僕は思う」









 奇跡とは、常識的には不可能である筈の事象であり、現状存在する手段では理解出来ず、『方法は解らないが何故かその結果が生まれた』ということである。


 魔術師はそうでない者に比べるとその範囲は、ひどく狭いがそれ故に深い。

 そもそも神秘を扱う性質上、魔術師が『理解できない』神秘というのは非常に少ないのだ――再現することが出来なくても、その方法の推論くらいはどんな神秘でも、立てられるものなのである。

 ものなのだが、しかし中にはそれでも、どうしようもない神秘というものが存在するのだ。


 その一つが、【聖伐】。神の手による地上の殲滅現象。


「神が実在するのかどうかはともかく、ヒトが何かを神聖視するときの基準はとても簡単だ――理解できるかどうか、だ」

「『魔術師に神は居ない』というのは、その辺りが関係しているのでしょうね」

 エリクィン神父は寛容に頷いた。「神秘への理解が進むあまり、信仰心を置き去りにしてしまった」

「信仰心『が』置き去りにしたのかもしれないがね」


 信じる心に追いつきたくて、魔術師は脇目も振らずに突き進むのかも、しれない。


「その結果がしかし、魂の解剖ですか」


 静かな呟きに、シンジは僅かな緊張を覚えた。

 よく考えると自分は、ひどく危険な道を進んでいることに気付いたのだ――若く柔軟とはいえ信奉者に、彼らが奉じる神の領域を侵しつつあると宣言している。しかもその手段は魂の分析だというのだから、大概である。


「先ほどの話からすると、教授。貴方は『魂を操作できる』と考えているのですよね?」

「少し、違う」

 加えて厄介なことに理解も早い。内心で舌打ちしつつシンジは、慎重に言葉を選びながら続けた。「僕はと思っている」

「というと?」

「手段がなさ過ぎる――君たちの聖典は読んだ。そこに記されている神秘の数々を実現するには、あまりにも、既存の手段では足りなさすぎるんだ」


 青年神父の寛容さを見定めつつ、シンジはしかし真実を語るしかなかった。

 自分の不器用さは知っている――虚実を程良くシェイクしてグラスに注いで差し出すような技術は、持ち合わせていない。

 不慣れなカクテルは、素材そのままよりも質が悪い。


「僕は確かに信仰を持ってはいないから、神という存在について人知の及ばぬ神秘の根源とだけ見て、そのまま目を背けることはできない――多くの魔術師がそうだろうが、『解らない』という空白を放置することは出来ないんだ。そして、先にも言ったが魔術とは、手札の組み合わせと深化だ――それで解析できない以上は何か、僕らはピースを見逃している」

「それが魂だと?」

「魂そのものは、世界を構築する要素の一つとして昔から考えられては居たんだ。これだけヒトが居て、生きているヒトがいて、その魂が世界にカウントされないなんてあり得ないだろう?

 見逃している、或いは見付けることが出来ないでいる最後のピース。そういうのは大抵足下に転がってるものだ」


 それを教会は神の領域と呼び。

 それを魔術師は未踏領域と呼び。

 跪くか、踏み込むか。

 それだけ。


「賛否は認めるよ。だが、今必要なのは暗闇を切り裂くランプだ」


 シンジは死体に近付いていく。

 その背に、神父の突き刺さるような視線を感じながら。

 その歩みが、滞ることはけしてない。

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