第7話ウィータ

「……どうして、それを?」

「おや、どうして、とは。随分と気軽に存在を認めるのですね?」


 シンジ・カルヴァトスは苛々と眼鏡の弦を撫でた。

 異端審問官インクィシゾーネが調べているのなら、小手先の誤魔化しなど何の意味も無い。彼らは聖都最高の捜査機関であり調査機関なのだから、手抜かりなどあるわけが無い。

 だから気になるのは、その方法だ――魔術師の秘密を、どうやって調べ上げた?


 睨み付けるシンジに、エリクィン神父は肩をすくめる。


「魔術師の研究をどうして、というのなら申し訳ありません。手段を自慢することは出来ないのです」

「そうでしょうね」

「あぁいえ、そういう意味ではありません」

 神父は慌てて首を振った。「『説明できない』というのは別に、機密だとかそういった話では無いのです。少々、その、神のお導きと言いますか……」

「詰まり偶然のことですか?」

「見方によるでしょうけれど、私は神の御業と思っています」


 それは彼の自由だが、とシンジは顔をしかめる。

 どういうことなのか、いまいちやりとりに要領を得ないのだが。


 特に隠すつもりも無いのだろう、神父は袖から一枚の羊皮紙を取り出した。


「これです、私はこれを手に入れ、貴方に注目したのです」

「……」

「見覚えがありますよね、教授? この手紙、差出人は……おや、どうかしましたか?」


 シンジは今度こそ、万年筆を引き抜いた。

 一呼吸で魔力を精製、魔術の発動準備を終える。後は呪文スペルを一言呟けば、人工の神秘が牙を剥く。


 突き付けられたペン先切っ先の向こうで神父は、静かにシンジを見詰めている。まるで危機に気付いていないかのようなその態度に、シンジは眉を寄せた。


「……僕は魔術師だ、あと一言で君を、攻撃できる」

「そうでしょうね」

「答えてくれ、神父さん。それをどこで手に入れた?」

「……拾いものですよ」

 鬼気迫るようなシンジの様子に何かを感じたのか、エリクィン神父は短く答えた。「元の持ち主は、


 シンジはちらりと、倒れた全裸死体を眺める。

 血液の殆どを抜き取られ乾燥した、木乃伊ミイラのような有様。恐怖に歪んだ顔からは人相を読み取ることは出来ず、半ば以上が抜け落ちた毛髪も白く変質してしまっている。

 外見的な個性を奪われた死体。だが、これを持っているということは……?


「……文面を読んだか?」

「えぇ、失礼とは思いましたが、名前が書かれているのではと思いましてね」

「何処まで理解できた?」

「殆ど何も」

 神父は溜息を吐いた。「貴方の名前、それと、どうも貴方が大それたものを見付けたということだけです」

「『聖伐カーニバルの謎を解けるかもしれない』、か。人類史上最古の謎だ、確かに大それたことかもしれないな」


 教会にとっても、という言葉に、神父は微笑みを深くする。


「創世の伝説は信仰の基盤です、

「創造も破壊も、等しく神の御業か。だとすると、奇跡の種明かしを防ぐために、教会は君を派遣したというわけだ」


 神秘とは、元来説明も解明もできないから神秘たり得る――魔術師も魔術の根本原理を全てのヒトが理解したら、その力の大半を失うというもの。呪文で火が付けば神秘だが、仕組みを説明すればライターと大差ないのだ。

 神も同じ。

 『わからない』というヴェールは非常に強力で、上品だ。強く上品なものにヒトは弱い。


 中でも【聖伐カーニバル】、前世代のあらゆる文明を薙ぎ払った。その神秘が神の手にある以上、教会は神秘を保ち続けるだろう。

 逆に言えばその、教会史上最大の神秘を解きほぐす鍵となれば、その切っ掛けでさえ最悪の脅威だ――異端審問官は昔懐かしい鎖と棍棒を手に、馴染みの職務に戻ることになるだろう。


 しかし「」。エリクィン神父はゆるりと首を振る。


「教会は口封じのために私を使わしたわけではありません、今のところは」

「……それは流石に、虫が良すぎるんじゃないか? もしも僕が教会の上役なら、そんな手紙を放ってはおかないと思うが」

「えぇ、そうでしょうね」


 知られれば。

 ということはまさか。


?!」


 教会にとって致命の毒ともなり得るこの文言を、異端審問官が?


「えぇ、勿論」

 衝撃に対してエリクィン神父はあまりにも気軽に頷いた。「

「……僕の研究が実を結べば、教会の神秘は失墜するかもしれないぞ?」

「貴方がそれを許す家に生まれたとは思えませんが、しかし例えそうなったとしても、私は神を信じます。きっと、同じように信じるヒトは絶えません」

「楽観的だな」

「悲観的な方々を導くのですから、それくらいでないと」


 神父の笑みに、嘘の気配はない。

 やれやれとシンジは魔力を霧散させ、万年筆を懐にしまう。信用するには根拠薄弱だが、そもそも疑惑の根拠だって強いわけじゃないのだ。なら後は、気分次第という奴だ。


「……ウィータ。僕の見付けた神秘の鍵、その名前だ」

 吹っ切るように、シンジは自分の人生を賭けた研究を開示する。「エリクィン神父、君は魔術について、どの程度の理解がある?」

「一般的な範囲ですね。呪文と魔力により神秘を為す存在。魔力の素を空気中から取り込んで血液と共に運搬、魔力炉と呼ばれるヒトには無い内臓で魔力に精製して、それを使って魔術を使うのだとか」

「なるほど、一般的な理解ではある」

 具体的には脳の構造も、魔術行使のために最適化されているんだがそれはさておき。「だが意外だな、対魔術師の急先鋒だった異端審問官なら、魔術の理論まで理解しているかと思ったが」

「そこまで理解していたなら、魔術師は滅んでいるでしょうね。それにそもそも、理解から我々は対立していたのです」

「真理だな」


 シンジは魔力を精製する。勿論今回は、攻撃のためでは無い。


「魔術師は確かに魔力で魔術を使うが、実際のところ魔力を『どのように』神秘に変換するのかはあまり、知られていない」

「それが呪文なのでは? 或いは魔方陣というやつでは?」

「例えば呪文を唱えて火を起こす魔術があったとして、多くの者はそれを、『魔力で火が生まれた』と理解する。が、実はそうじゃあない。正解は――」

 シンジが呪文を囁くと、万年筆の先にポツリと、小さな火が点る。「――『魔力で火のを操作して火の形にしている』だ」


 世界は元素で溢れている――元素エレメント、あらゆる物質をその物質たらしめる根本の情報。

 魔術はそれを操作する。


「『火がそこにある』と世界に誤認させて『火を起こす』。それが魔術の根本原理であり、魔術師の信じる世界の真理だ。さて」

 シンジは火を消すと、万年筆を行儀悪くくるくると回した。「あらゆる物質には元素が存在する。世界は元素で出来ている。とするなら――?」


 神の奇跡は説明できない。解明できない。

 それはもしかしたら。未だ誰も操作したことの無い元素を、神は操作できたのでは無いか。


「魂に元素がある、それを僕はウィータと名付けた。魂の構成要素を、僕は見付けたんだ」

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