第3話 ゲーム開始! 


「はい、田村さんすいません。朝から迷惑かけて。二度としないのでどうか許して下さい」


「はぁ〜〜…… それ、何度目ですかね? 私は貴方の二度としないをかれこれ十回以上は聞きましたが……」


「うっ……! ですが、今度こそは二度としません! 田村さんに迷惑はかけないと!」


 その発言に田村まなみは眉間を押さえた。そして再度ため息をついた後、諦めるように幸彦にらみつける。



「ハイハイ、次こそはそうだといいですね。では、もう一度一から十までご説明しますので、耳の穴かっぽじって聞いて下さいますか?」


 彼女は青筋をビキビキと立てながら笑顔で、頼んでくる。それは彼女の秘められし怒りなんだろう。


 お隣さんに苦情を頂くのは何度目だろうか。何度頭を下げたか。幸彦は数えるのがいい加減難しくなってきた。現在進行系で悪い思い出である。寛大なお隣さんにマジ感謝。


「はい、分かりました!」


「返事だけはいいんですね。まぁいいです。私のお仕事って、夜に有るんですよ。幸彦君と違って私は人間なんです。妖怪の頑丈な体と比べて人間は脆いんです。そこん所分かってますか?」


「はい、すいません」


 そんな事は分かっているが、指摘すると余計に怒られそうな気がした。平謝りは重要である。


「ですから、どうか朝は静かに、静かにお願いしますか。私に文句をこれ以上言わせないでください。言いたい事はそれだけです」


「はい、お休みなさい! いい夢を!」


 ガチャリと扉が閉まる音がする。幸彦は一気に脱力し、背筋を下ろす。そうして隣人が部屋の中に引っ込むのを見て、彼も自分の部屋に戻ろうとした。


 しかし、背後から何かにクッと引っ張られ、優しく抱き留められる。それは細く柔らかい腕なのに全く振り解けなかった。何故だろう。昨日もこんなことがあったような気がする。


 背後の人物は男と言うには柔らか過ぎており、体の各所に丸みを帯びていた。というか胸の大きさが明らかに男と違った。

 髪の毛や首筋からは相変わらず良い匂いがする。それは昨日嫌というほど擦り付けられた覚えのある匂いだった。ここまで情報が揃えば誰に抱きつかれているかの見当もつくというものだ。


「おはよう、いつからここに?」


「おはよう、愛しのマイダーリン、来たのはついさっきよ。散歩してたら幸彦君を見つけたの。ねぇ、これって運命じゃないんのかしら」


 鈴木は幸彦の耳元に囁くように呟く。幸彦の彼女はどうやら積極的らしい。

 まさか、早朝に幸彦の家にやって来るとは思いもよらなかった。運命もびっくりの出会いである。最近の神様はイカサマにも手を貸しているらしい。世も末である。

 

 それはそうと、先程からなぜか体の震えが止まらなかった。湯冷めかな? 股座がやけに冷える。


「あら、幸彦君。寒いのかしら。大変このままでは寒さで凍え死にそうだわ。家に帰って暖まりましょう。さぁさぁ、早く部屋に戻りましょう?」


 彼女の手は幸彦の胸板から徐々に下がっていくのであった。しかも手つきが妙にいやらしく、なまめかしい。

 悲しいかな。彼女の指は幸彦のツボを抑え、下腹部はトラウマ何て知らねえとでも言うようにギンギンにそびえたつのだった。


「いや、だっだだ、大丈夫だからお構いなく」


「あぁ、立てないなんて異常事態だわ。安心して私が部屋まで運んであげるから」


 断ろうとすると幸彦の視界が急に周り出す。それは彼女が綺麗きれいな足払いをかけて幸彦をお姫様抱っこしたせいだった。


「彼氏がこんなに体調が悪いというのにほっとけるわけないじゃない。今日は学校を休みましょう。私は房中術も使えます。体の隅から隅まで調べて異常を検知してあげるから心配しないでね?」


 幸彦の視界からは鈴木の火照った顔がよく見えた。その瞬間幸彦の脳裏にはある考えが浮かんだ。



 それは彼女は少々暴走しているのではないか? という疑問だった。



 なぜなら、ほおは熟れた林檎のように真っ赤に紅潮こうちょうし、息は荒く熱っぽい。

 おまけにグロスを薄く塗った淡い桜色の唇を舌で先程から何度も舐め回していたのだった。


 その様子は決してこちらを心配しているようには思えない。

 むしろ、彼女こそが一番危ないのではないだろうかと幸彦は心配する。


「さぁ早く貴方の部屋に帰りましょう。私がたーーっぷり看護してあげるわ。幸彦君の病なんて私が吸い尽くして上げる」


 彼女は軽やかな足取りでスキップしながら幸彦の部屋のドアを開ける。そうして靴を乱暴に脱ぎ捨てると、リビングにきっぱなしにしていた布団に幸彦を寝かせるのだった。

 因みにどうやって部屋に入ったかと言うと、また背中から生やした謎の鉤爪でドアノブを器用に捻り、部屋に入ったのだ。両手がフリーになった瞬間、逃げる算段だったのだが、彼の計算はあっさり狂った。残念無念。


「少し暑いからシャワー借りるわね。べたついていて、とっても不快ですもの」


 そう言って、彼女は幸彦を寝かせた後、洗面所に移動して衣服を脱ぎ始める。

 しゅるしゅると制服を脱ぐ音が幸彦の耳にも届いてくる。

 それは恐ろしいような、こそばゆいような、幸彦の心を揺り動かすには十分な音だった。


「〜〜〜〜」


 風呂場からは彼女の鼻歌が聞こえて来る。それはどこか聞き覚えがある不思議なメロディーだった。

 しばらく聞き入っていると、急に彼女の鼻歌が止まり、魂のリビドーがき散らされる。


「あぁ幸彦君困るわ。私たちまだ学生なんだもの……清いお付き合いをしないと。でも貴方が望むなら……」


 一体彼女の頭の中では幸彦はどんなことをしているのか。彼女に直接確かめるのが一番手っ取り早いがそれは憚られた。心を読むのはもっとはばかられる。


 というわけで幸彦は、この窮地きゅうちから生還するためにある小細工をするのだった。



「幸彦クーン⁉︎ タオルもらえるかしらぁ? なぜか私のかけて置いたタオルが氷漬けになってるのだけど」


 保奈美は浴槽から扉を開ける。そして寝室にいるはずの幸彦に呼びかけた。しかし、幸彦はそれに何の返答も返さなかった。


「あらら? 嫌われちゃったのかしら。返事ももらえないのはちょっと寂しいけど……裸だけど、そっち行っていい〜?」


 これには多少反応するかと思ったが全くの無言。それで彼女も、ようやく気づくのだった。 


彼女は濡れた体を拭くこともなく、寝室の扉を勢いよく開ける。するとそこには乱れた布団と、彼の制服と学校の鞄が消えているのだった。


「逃げられちゃったわね。さてどうしたもんかしら?」


 こうして、保奈美はタンスの中に入っていた衣服を漁るが、その全てが氷漬けにされているか、噛みちぎられているかのように切れなかった。


 おまけにスマホは壊されており、連絡もつかない。それらの諸々の状況を確かめた後、彼女は肩を下ろしてうなだれる。


「あ〜あ。残念だわぁ。幸彦くんが、幸彦くんが――」


 保奈美はそこで一旦言葉を切る。そしてため息をつくのだった。


「こんなに甘いなんて。月日というものはとても残酷ね。五年……人が腐るには充分な時間だわ」


(逃げるならどうか、どうか、本気で逃げて欲しい。あれではどうぞ捕まえて食べて下さいと言われているようで私の高ぶりが抑えられなくなってしまう。大体閉じ込めるにしてもやり方がぬるいのよ。幸彦君は。私の知っているいじめはもっとキツくて辛いものよ。これじゃあ幼稚なイタズラじゃない)


「こんな、子供騙しを仕掛けるなんて……これもプレイの一環かしらぁ。だとしたら……鬼ごっこ? あぁ! 大人の鬼ごっこなのね。これ。なぁんだ。びっくりしたぁ」


 彼女は幸彦の本気の逃げを、遊びと認定したようだ。そうと決まれば彼女は即座にこの状況を理解しようとする。


(遊びなら納得できるわ。幸彦君が、風呂場に閉じ込めたり、制服をビリビリに引きちぎったり、スマートフォンを壊したり、これは逃げる側のメリットなのね? でもこれ本当にハンデになってるのかしら? これでは小学生、幼稚園児以下の悪戯いたずらだわ。次からはもっとルールを厳しくしなきゃ)


「ふふふ、遊ぶのは久しぶりだけどやっぱり心躍るわね。さぁて追いかけますか」


 そうして保奈美は糸で下着と制服を形成する。そうして恥ずかしくない格好で出た彼女は、隣人の田村さんから、十分感の足止めを喰らうのだった。

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