第2章 神様の記憶

第5話 欲

「ご馳走さまです」


 僕は満足げにコーヒーカップを受け皿に置く。嬉しいことに今日は喫茶店が開いていたのだ。


「ええ、ありがとうございます」


 彼女はカウンターの向こう側で微笑みを漏らす。


 相変わらず客は僕の他には一人もいない。外は秋の冷たい風が吹き荒れているはずだが、店内はいたって静かだ。


 それにしても、なぜ今日は開店しているのだろう。ちらりと彼女を盗み見るが、いつもと変わらないように見える。いつもと言っても三回しか会ったことがないのだけど。


「今日は…寒いですね」


 『何故、喫茶店を開けたのですか』と聞きたいのに当たり障りのないことを言ってしまう。


 ビビりなのは昔からだ。自分のふとした発言で相手を傷付けてしまうのではないか。言いたいことを言えない。他人から見ても、やはり臆病に見えるのかもしれない。


「そうですね、今日は志那都比古(しなつひこ)が近くに来ていましたから」


「しなつひこ…さん?」


「風神と呼ばれることもある有名な神様ですよ」


 風神と言えば、風神雷神図屏風絵にも描かれているように、とても有名な神様だ。


「近くにいるだけで天候を変えてしまうとは、神様も大変そうですね」


「いえいえ、今回は彼が酔った勢いで団扇(うちわ)を扇いだせいで」


 そんな理由でホイホイ天候を変えられたんじゃ、たまったものではない。しかし、天の候と書くのですし、天の気分次第で変えられるというのは、そういうことなのか。


「と言っても、団扇を扇いだだけなんですね」


「それもそうですね」


 高良玉垂命が苦笑にも似た表情を浮かべる。


 大きな動物は大きさゆえに行動しただけで、小さな動物を踏み潰してしまう。力を持つと言うことは、それだけで脅威になり得ると言うことなのだろう。


「志那都比古は風神様、風を司っているのですよね?」


「そうですよ」


「高良玉垂命さんは何の神様なのですか?」


「そうですね…」


 彼女は困った表情を浮かべる。


「高良玉垂命という神は、強いて挙げるとすれば芸能、武芸と言ったところでしょうか」


『高良玉垂命という神』と彼女が表現したことに少し違和感を覚える。明らかに第三者の目線に近い表現の仕方だ。


「芸能、武芸。なんというか…」


「意外ですか?私もそう感じます。神格というのは人の子の信仰によって生まれるのです。菅原道真(すがわらのみちざね)が後に学問の神様として祭られたように」


「なるほど、納得です」


 それでも、さっきの表現は少し違和感があった。なにか別の人を指して言ったような。


「…………人の子…」


 すぐとなりで男とも女ともとれない声が突然聞こえた。


 反射的に隣を向くと顔に"紙の面"をしている何かがいた。黒い装束に身をまとっているそれは、明らかに人じゃない。


「いらっしゃいませ」


 にこやかに高良玉垂命が応じる。


「お知り合いですか?」

「いえ、お初お目にかかります」


 全く動じないとは、流石にプロだと感心しそうになるが、考えてみれば神自体もなかなか怪異なわけで 。こういうことには慣れっこなのだろう。


「ご注文は?」


 お水をテーブルの上に置きつつ聞く。


「…私が欲するのは」


 紙の面は言葉につまる。メニューを見ているようで、顔は下を向いている。どうやって、紙越しに文字を見ているのか。


「…欲、喉が乾いている。それは、水を飲むことで解決する。お腹が空いている。さんどいっちが欲しい」


 不思議な話し方だ。欲に忠実というか、無駄を省いているというか。


「あの、喉が乾いているのでしたら、コーヒーやジュースはどうですか?」


 少し質問をしてみる。万年コミュ症の僕にしてみれば、なかなか珍しい行為だ。


「…水で欲は満たせる。他のものを頼む必要はないであろう?」


 紙の面がこちらを向く。紙で表情は見えないのに、まるで鋭い眼光に目を覗き込まれているような感覚がした。


「あ、味を楽しむこともいいかなと…」


「………それは、何の欲であろうな?」


「えっと……」


 言葉が出ない。確かに喉が乾いているだけであれば、水でいい。だけどそしたら、何故人はコーヒーやジュースを作り出したのか。


「……人は嗜好品を造りたがる。何故か?私は知りたいのだ。これは知識欲なのであろう」


「お客様、サンドイッチ出来ていますよ?」


 ナイスタイミングで高良玉垂命が口を挟む。

 人が妖怪を不思議がるように、妖怪も人は不思議な存在なのか。


「…ありがとう」


 紙の面は紙の口元を少しめくり、サンドイッチを口へ運ぶ。


「…ふむ、おいしい。ところで、人の子よ。お主、何故我らが見えるのだろうな」


 何故見えるのか。

 見えてしまうのだから、仕方がない。


「"見たい"と思ったのでしょう」


 なんとなくそんな事を言ってみる。根拠はないのだけど、なんとなく正解に近いような気がした。

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