夜空にいっぱいのおっぱいを

チクチクネズミ

星は母乳でできている

 十四年と四か月ぶりにおっぱいに興味を注がれたのは、授乳室でよそのお母さんが赤ちゃんにおっぱいを上げていたのを見てしまったからだ。

 女子トイレという安心する場所だからか、私以外誰もいないからかそのお母さんは洗面台に赤ん坊を下すと、片乳をむき出しにしてまん丸と膨らんだおっぱいの先を赤ん坊に与えた。そこまでは特に惹かれることもなかった。だって自分にも同じもの(大きさは違うけど)があるから、恥ずかしくないのかなと思ったぐらいだ。

 けど感情が変転したのは、授乳するところだ。私の五分の一にも満たない体で、歯も生えてないような赤ん坊が美味しいものを渡さないようにちゅーちゅーと音を立てた。


 これは食欲なのだろうか、性欲だろうかよくわからなかった。とにかく私は自分のではなく、他人のおっぱいが欲しいと思ってしまったのだ。これって同じ食べ物を注文したけど他の人が持っているものの方がおいしそうに思えてしまう衝動と同じことだろうか。じゃあこれは食欲じゃない? でもおっぱいはエッチなものだから性欲? 同じおっぱいを持っているのに?


 とまあこれが昨日から続いてしまい、放課後まで私の頭はおっぱいと母乳のことしか入らないほどの重症に陥っていた。


 こりゃだめだ。部室で頭冷やしとこ。


 入学したときの部活選びで、星が好きだからという軽い気持ちで天文部に籍を入れていた。といっても入部してからほとんど顔を出してなくて、私はほぼ幽霊状態となっていた。でも人数確保のためには貢献しているから唯一黙々と活動している天海先輩は、私が天文部の机の一角で寝ていても黙認してくれている。頭を冷やす場所としてはサイコーの環境だ。


 部室に入ると、机には天文図と枕になりそうな山積みの本と先輩のカバンが置いてあるだけで相変わらず誰もいない。当の先輩は一応挨拶はしておこうと壁向こうにいる先輩に声をかけようと覗くと、声が出なかった。


 先輩が服を脱いでいた。そこまでならまだ声は出ていた。でも先輩はブラまで脱いだ後に、露わになったものの先から乳白色の体液がトロトロ出ていたのだ。


「三木ちゃん。来てたんだね」


 ところが先輩は自分の異常事態にまるで何事もないですよという体で話しながら、自分の胸に圧をかけて母乳を吐き出していた。


「あの、先輩。私最近おっぱいに興味がありますから。え~とおめでとうございます?」


 考えがまとまっていない私の言葉は支離滅裂だった。でもそうならざるおえない、だって女子高生の体から母乳だなんて、つまりはそういうことして赤ちゃんできちゃって……それをこっそりとだからこういう秘密は自分と共有したほうがいいのではと思考がねじ曲がったイヤホンの紐と化していた。

 だが先輩に困る様子はなくまるで私がおかしいようにクスクスと笑った。


「子供できていなよ。自然現象だよこれ。たまにいるんだってなにもしなくても母乳が出る特異体質な人、それに私は当選してしまっただけ」

「……あっ、そう。なんですか。今日は覗いただけなので帰ります」

「待った秩父さん。秘密を共有しちゃった人間同士になったんだから協力してくれないかな」


 逃がさないぞと先輩は私の腕をつかんだ。ああまずったな、なんで勝手に心配して自分の秘密打ち明けちゃったのかなと不承不承先輩の方を振り向いた。


「何に協力するのでしょうか先輩」

「夜空に母乳をまき散らして新星をつくる実験だよ」


 ああもう。めちゃくちゃだ。



 夜中に先輩に呼び出された場所は、鉄で固められた街灯もアスファルトを垂れ流した道もない、草を刈り取った一本の山道だった。

 重たいものでも持たされるかと思ったが、私が受け持ったのは望遠鏡の三脚だけで、本体の方は先輩が持ってくれていた。一応胸に実験用の器材を抱えているというのことで先輩の方が重たいのだろうけど。

 夜の星の瞬きぐらいしか灯りがない道を進んでいくと、私はようやく実験のことについて聞いた。


「部長、なんでそんな変態みたいな実験をするんですか」

「昔から伝わっている変態神話を知らない? 天の川はゼウスの奥さんであるヘラの母乳が零れたものからできた話」


 変態神話と聞いて一時困惑したが、ゼウスと聞いてそれがギリシャ神話だとわかった。変態というのは神話に失礼だけど、天の川の話やゼウスというトンデモクソ神と、嫉妬狂いのヘラのことは知っていた。


「知ってます。天の川は別名ミルキーウェイつまり母乳の道というのでしょ。だから先輩の母乳も夜空にふりかけたらもう一本天の川ができるというのですか」

「半分正解だね」

「もう半分はなんですか」

「処女の母乳で星ができるのかだよ。当たり前だけど、ヘラに母乳が出てくるというのは子供がいるということだ。けど私は処女、その処女の母乳を夜空に振りかけたらどうなるのかなと好奇心が生まれたわけ」

「どっちにしても変です」

「じゃあ、他の人のおっぱいを欲しがるのは違うの?」


 先輩の手に持っている望遠鏡のレンズが私の方を向き、自分の中を覗かれた感じにあった。

 先輩が変というなら私も変だ。十六歳にもなっておっぱいがほしいなんて、卑しいか変態でしかない。


「だってこの年でおっぱいが欲しいなんて変だし、エッチだし」

「うん、そうだよね。でもおっぱいや母乳って赤ちゃんにあげるものなのに、エッチとか、最悪猥褻物扱いなのは変じゃないかい。別に法律で母乳を後輩の女子高生にあげてはいけないことも、母乳を空にまき散らすこともない。自分の欲求に素直になるのが一番じゃないかい」


 先輩が一瞬私の方を向いて、長い髪がなびいたとききれいだと思った。今まで一人黙々と真面目にしている人間だとしか考えてなかったのに、とても変態的で、おかしくて、きれいで。言えるわけもないことをこの人の前では言ってしまって、それを許してくれて。


「いや母乳を空にまき散らす欲求は同意できないです」

「冷たい後輩だね」


 山道を抜けて到着した山頂に人は誰もいなかった。あるのは山の上から瞬く星々の灯りと下界の町の小さな灯りしかない。


「このあたりなら人に見つからないし、母乳が草に吸われるから証拠も残らない」


 そうして望遠鏡を下すと先輩は制服の上だけ脱ぎ、上半身を露出した。どこから見て見ても変態行為だが、私のはもっと変態行為に走るのだ。

 先輩が手を出してと誘うと左乳房からぴゅっと私の手に母乳を吐き出し、右乳房の母乳を打ち水のごとくぴゅっと夜空に向けて吐き出した。

 手皿の中に溜まった母乳は手に持ってみると、いつも飲んでいる牛乳と違い色が薄くサラサラとしていた。これが母乳であると、奥から何かドキドキとしたものがあふれ出した。別にタバコや酒みたいに禁止されているものではないのに、背徳感が沸き上がってしまう。そして先輩の母乳を口の中に流し込んで味わった。


「……あんまり味がしない」

「……ぷぅ、残念だったね」

「直接吸った方が味が変わるかもしれないです」

「どっちも同じだと思うよ」


 と言いながらも先輩は私が乳房を授乳するのを許した。さっきよりも恥ずかしけど、ほんのりとした人肌の温かさが感じられてなぜかうれしく感じる。でもやっぱり味は変わらず、期待外れでがっかりだ。


 そして先輩が出した母乳はというと、夜空はさっきと何も変わってなく小さな星々が瞬いていただけで、第二の天の川はできてなかった。これは失敗だなと思ったが先輩は諦めてなく、出しっぱなしの乳房を片付けもせずに望遠鏡を母乳を飛ばした方向に回して必死にのぞきこんでいた。


「どうですか先輩。天の川できましたか」

「できちゃったみたい。新星」


 先輩の言葉につられて望遠鏡をのぞいてみると、まるでミルクを床にこぼしたかのような白くて大きな丸い星が真っ暗な宙に横たわっていた。先輩はうきうきした顔で(まだ乳房を露出しっぱなしにして)「あんな大きい星母乳を出すまでなかったよ。私がつくったんだ」と喜んでいた。


「あれなんて星になるんでしょう」

「そりゃあミルキースターだね」

「お菓子みたいな名前ですね」

「そりゃあ私の母乳でできているからね」


 星の創造者はできたての星を誇らしげに目視で眺めていた。望遠鏡から目を外して先輩の横顔を見ると、できないことが実現したことに満足していた。でも私は満足していない。また新たに興味というか欲求が産まれていた。


 先輩がつくったあの星はどんな味がするんだろうと。

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