第二章 ライバルの死

おっさんの恋愛事情

 翌朝、オレはキャベツを刻む音で目が覚めた。

 台所に、見慣れない姿が立っている。華撫だ。キッチンで鍋とフライパンを巧みに扱う。


「随分、手慣れてるな」

「ママの身の回りの世話は、あたしの担当だったから」


 深歌は料理が苦手だったっけ。


「ベーコンエッグか。お前の家だと、スクランブルエッグなんだな?」

「目玉焼きだと、しょう油かソースか、卵焼きだと甘いかしょっぱいか、ゆで卵だと半熟か堅焼きか、でケンカになるでしょ? だからスクランブルエッグに統一しているの。パンにもご飯にも合うし、料理下手もごまかせるわ」


 実に合理的な考え方だ。中学生の発想じゃない。


「家政婦とケンカしたって?」


「ええ。こう見えて、そこそこのお嬢様なのよ」

 そう、華撫は得意げに語る。


家政婦とは、料理の味付けや、深歌のスケジュール調整でよく言い争いになったらしい。


「ちょっとあたし流のやり方を押しつけすぎたのよね」

 ベーコンエッグを皿に移しながら、華撫は話す。


 こたつテーブルに、豪勢な食事が並ぶ。まともな朝食どころか、こんな時間に誰かと食卓を囲むなんて初めてだ。


「いただきます」

 オレは、スクランブルをトーストに載せた。半分に折って卵を挟み、一気にかぶりつく。


「ん、うまい」

「ベーコンエッグよ。別に大したことない」

「黄身の堅さがオレの好みだ」


 オレが賞賛すると、華撫は咳払いをして、席を立つ。

 コーヒーを淹れて、オレの席にドンと置いた。

 オレと目が合いそうになると、フッと視線をそらす。


 華撫の怒る理由が分からず、オレはまたトーストに卵焼きを乗せて挟む。

 ウスターソースをかけたキャベツで追いかける。

 ぐっすりと寝た後だからか、腹も減っていた。


「ごっそさん。いやあ最高だ。ありがとうな、華撫」


「き、気に入ったなら、それでいいわ」

 華撫は、体育座りになってマグカップのホットココアに口を付ける。


「他に作ってくれる人とかいないの?」

「音楽一筋だったから、そんな余裕はなかった」


 気がつけば、もう四十近い。なのに、すっかり仕事が恋人状態だ。


「かといって、家事にうるさそうな人……でもなさそうね」

「独身貴族を満喫するには、ライフスタイルにこだわらないことだ」


 離婚経験のあるスタジオミュージシャンから「家事が得意な男は、嫁さんの手際に妥協できなくなる」と教わった。

 そんなに気を遣わせるくらいなら、最初から不器用でいいか、と考えたのだ。


「じゃあ、今まで付き合ってきた人は?」

 身をのりだして、華撫が食いつく。いつの間にか、食事が済んでいた。


「分からん。二人くらいかな。今はいない」


 学生時代の時に、後輩と交際したことがある。

 しかし、彼女はミュージシャンと付き合いたかったらしく、オレがコミックバンド系と知って去って行った。


「失礼な女ね。もう一人は?」

「ファンだ」


「え、ファンに手を出したの?」

 引き気味に、華撫は身体を後ろへそらす。


「いやな、人づてで紹介してもらったんだが、とんでもないヤツでな。そいつから無理矢理、貞操を奪われそうになったし」


 男ってのは、いくらそう言う場面に出くわしても、たいていは尻込みするものだ。


「いわゆる熱狂的すぎる人だったと」


「半分ストーカーだったよ」


 引き合わせた人も、そいつの本性までは把握できなかったらしい。

 完全なる善意でオレに合わせたという。


 ストーカーとは縁を切ったが、紹介者とは仕事でもパートナーなので、今でも会うと気まずい。


「それ以来、人の紹介は受けないようにしてる。で、こうなったワケだ」


 誰とも出会いがなく、自分からも動かないオッサンのできあがり。


「今は音楽が恋人かな?」



「カッコつけても、相手は寄ってこないわよ?」


「いいさ。じゃあ仕事行ってくらぁ。昼はデリバリーでも頼んでくれ。一人で出歩くなよ」




 そこそこの金を、華撫の前に置いた。

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