第22話

 世間やその筋の業界には全く知られていないが、実は楊華健ヤン・ホアジェンと五所川原一徹には、意外に深い関係がある。それはもとを辿れば、台湾の歴史に関係があった。

 一八九五年、日清戦争に勝利した日本は、下関条約により清朝(当時の中国)から台湾を割譲された。それから一九四五年の日本敗戦まで五十年間、台湾は日本国の一部として日本に統治されることになる。

 しかし第二次世界大戦の日本敗戦で、台湾は蒋介石の主導により、中華民国による接収が行われた。つまり日本は、台湾を取り上げられたのだ。大勢の接収要員が、上海、重慶から台湾に送られた。これがのちに、台湾に元々いた人たちと区別され、外省人と呼ばれる人たちとなる。

 台湾には未だ、日本統治の功罪を告げる賛否両論の意見がある。日本が現在ある台湾の基礎を作ったという話もあれば、その逆の意見もあるということだ。実際に日本統治の時代、台湾内ではいくつかの抗日運動が起きている。

 つまり台湾に、民主化の意識が芽生え始めていた。そのような土壌が形成される中で、中華民国による台湾接収が起こったのだ。

 このとき楊は、まだ生まれていなかった。

 楊の父親となる男は当時台湾で、日本統治の下、台湾中央省の役人をしていた。

 日本統治の時代、五十年間で十九人の日本人が台湾総督を務めているが、台湾の行政方針は、総督の考えで随分変わった。大きく分ければ、台湾は日本の延長であるという考えのもと、日本国内法を台湾に反映させた内地延長主義と、台湾は日本との同化が難しく、内地法の適用が難しいとする特別統治主義の二つである。

 しかし台湾統治の終盤は、日中戦争(志那事変)や第二次世界大戦で疲弊する日本が台湾に物資や人的資源を求めたため、皇民化政策が推し進められることになった。この政策は、日本語の推奨、日本の名前に変える改姓名、志願兵制度、宗教・社会風俗改革からなる、台湾人の日本人化運動である。

 韓国の実績と比べれば名前まで変更した人は少ないが、楊の父親はここで、姓名を原田吾郎に変更した。役人として働くには、日本への従属をアピールした方が、出世に有利だったからだ。

 普段原田は完璧な日本語を操り、日本人上官に仕えながら、役所の中で重要なポジションに就いていた。当時の総督は武官出身で、幹部にも武官上がりが多く、その中で原田にも軍人気質が身についていった。

 しかし、完全に日本人と同化した原田の身の上に、突然中華民国による台湾接収という悲劇が降りかかったのだ。日本人が幅を利かせる役所も消滅したのだから、原田にとっては青天の霹靂ともいうべき事件だった。

 素知らぬ顔で台湾人に戻った人間も多かったが、原田は台湾混乱の中、上役の手引きで日本へ渡った。

 しかしその日本は、敗戦の後遺症を色濃く残す混沌とした姿を晒していた。

 アメリカの統制下にあった役所は、そもそも原田が台湾人であることを理由に雇ってくれず、彼は見知らぬ国で途方に暮れることになった。もちろん他の勤め先などあるわけがなく、各所で台湾人であるがゆえの差別を受けながら、彼はますます身動きの取れない状況に陥る。

 そんな中で偶然知り合ったのが、のちに五所川原一徹の父となる、五所川原忠男であった。五所川原忠男は、占領軍や旧日本軍物資を上手にくすね、それを闇市に流す商売をやっていた。

 五所川原は、売れる物なら何でも仕入れてきた。ときにはジープや拳銃などを手に入れ、それをヤクザに横流しすることもしていた。誰もが食っていくのに精一杯の時代、五所川原忠男は少ない手持ち資金を効率良く回し、それを順調に増やしていたのだ。

 そんな彼の逞しさに感化された原田は、どうにか自分を仲間に加えて欲しいと五所川原に頼み込み、闇物資の横流しビジネスに参加することができたのである。

 原田は商才を発揮し、二人は自分たちのビジネスを拡張した。順調に稼ぎを増やし、五年ほどで政治家までも袖の下でビジネスに利用できるほど、名声を上げた。そうなると、派手にやればやるほど噂が広がり、金の方が勝手に舞い込んでくる。

 一度日本に捨てられた形となった原田は、自分の持つ金に尻尾を振り寄ってくる政治家たちを見て、日本に対する復習を果たした気になった。自由になる金は潤沢にあり、仕事も私生活も順調なのだ。

 当時原田には、結婚を決めた女性がいた。相手は真田組の組長、真田太一という大物ヤクザの次女だった。真田組と長年取り引きをし組長宅へ招かれるようになった彼は、自然に真田の娘である頼子と親しくなったのだ。

 頼子はヤクザの家に育ったとは思えないほど優しく、清楚な女だった。

 真田は原田が台湾人であることを知っていたが、金を持っている彼が娘と結婚することに異存はなかった。むしろ、原田が次女と結婚し、加えて五所川原忠男には長女の恵美と一緒になってもらい、盤石な経済体制を築きたいと願っていた。

 原田と頼子の結婚が秒読みだと確信すると、真田は今度、長女の恵美と五所川原忠男を一緒にさせるため、ことあるごとに二人が会う機会を設けた。

 五所川原は真田の意図に気付いていた。しかし、相棒の原田が頼子との結婚を決めているのであれば、五所川原は原田と義兄弟になるのも悪くないと考えていた。

 五所川原忠男は、役人上がりで軍人気質を併せ持つ生真面目な原田と違い、結婚も打算で考えていたのだ。妻に飽きても金さえあれば女に不自由することはないし、真田との親族関係があればビジネスにも都合がよい。

 こうして原田吾郎が真田頼子と、そして五所川原忠男が真田恵美と一緒になり、それぞれの夫婦に生まれた子供が、原田一郎、すなわちのちの楊華健ヤン・ホアジェンと五所川原一徹である。つまり二人は、従兄同士としてこの世に生を受けたのである。

 母親が姉妹であり、父親同士は緊密なビジネスパートナーであることから、五所川原一徹と原田一郎(楊華健)の二人は、幼少の頃から一緒に遊ぶ仲であった。

 しかし、真田太一の率いる真田組が抗争で壊滅すると、五所川原忠男が真田組の残党にかつがれる格好で、五所川原組を興すことになる。そして五所川原忠男は任侠の世界へ、原田吾郎はビジネスの世界へと袂を分かつことになった。

 その後、五所川原一徹が五所川原組を引き継ぎ、原田一郎は父親の会社を継いだ。

 二人は戦後の復興が本格的に立ち上がる日本経済成長を背景に、ますます大きくのし上がった。どちらにも父親譲りの商才があり、そこへ経済が底なしの膨張を遂げたのだ。五所川原一徹は価格が上昇一方の土地転がしや建築、立ち退き業務で大儲けし、原田が自分の商売の傍ら五所川原の余剰資金を金融投資で何倍にも増やす役割を果たしながら、共に発展したのである。

 それが落ち着きを見せると、原田はビジネスを台湾にも展開する。彼が日本を追いかける台湾で成功を収めるのは難しくなかった。日本で成功した手法を、そのまま台湾で実践すればよかったのだ。

 更に原田は、自分の経済活動を、韓国、シンガポール、香港、中国新興地域に拡張し、アジアの各経済中心地でその名を馳せるが、彼は実入りのよい各地域の黒社会と関わりを持つことにも躊躇がなかった。そして原田は、次第にアジアの黒社会で顔が利くようになる。

 それら裏社会の情報やビジネスは、常に五所川原一徹と共有された。その代わり原田が危うい立場に立たされると、五所川原が自分の組織や影響力を駆使して彼を助ける。幼少から築かれた二人の信頼関係は、崩れることなく継続されていたのだ。

 原田との二人三脚で築いた資金力を背景に、五所川原組は関東で最も影響力を持つ組織になっていた。

 それが安定すると、彼は次に、四国地方に目を向け始めた。神戸の花田組を中心とする関西勢が関東進出を狙い、五所川原のお膝元で活動を活発化させていたからだ。

 五所川原一徹は、四国地方に強い影響力を持つ広島の桜凛会に近付き、会の中心である吉野組の吉野組長と兄弟の盃を交わした。これで関西勢を、挟み撃ちできる。実際に抗争を始めるわけではなく、狙いは関西勢の牽制である。

 五所川原の本拠地でドンパチが始まれば、留守にする関西に四国の勢力が攻め込むことになる。関西でドンパチを始めてもそれは同じことだ。これで関西勢は簡単に事を起こせず、自ずと弱腰になる。

 当時の五所川原一徹は、三十六歳とまだ若かった。若いというだけで舐められることもある世界だ。彼は吉野との兄弟契りをより強固にするため、吉野の長女、京子を自分の嫁にくれと吉野に懇願した。

 しかし吉野は、長女は駄目だが、次女の雅子ならくれてもいいと言った。当時の雅子は、まだ二十歳を少し超えたばかりである。子供が女二人の吉野は、できれば長女には、跡目を継ぐことのできる婿をもらいたいと考えていたのだ。そこで五所川原一徹は、自分が次女の雅子を貰い、京子の相手として原田一郎を吉野へ推挙した。

 原田一郎の噂は吉野の耳にも届いていたため、彼は、それが実現するなら申し分ない相手だと喜んだ。仮に跡目を譲ることができなくても、原田の顔とツテがあれば組にも大きなご利益がある。京子自身も、金に不自由することのない暮らしができるのだ。加えて五所川原との繋がりもあれば、吉野組は盤石だ。

 こうしてお互いの母親が姉妹である五所川原一徹と原田一郎は、今度は実の姉妹をそれぞれの伴侶として迎えることになった。

 あからさまな政略結婚だったが、五所川原と原田は、それぞれ歳の離れた嫁を可愛がった。二人とも人形のように美しく、そしてヤクザ稼業の家で育ったためか、慎ましやかな物腰の裏に肝の座った芯の強さが見え隠れしていた。ときには危ない橋も渡る二人には、まさにうってつけの嫁だったのだ。

 原田は次第に、海外ビジネスが忙しくなっていた。アジアが本格的に立ち上がろうとしていたのだ。

 原田はいつも京子を連れ立ってアジア各国を飛び回っていたが、そのうち自分の本拠地を、父親の生まれ故郷である台湾にしようと思い始めていた。

 アジア各国では原田の配下がそれ相応に組織を作っていたが、普段その場にいない社長が日本人というだけで、上手く地元に馴染めないことがあったのである。

 香港、中国、シンガポールと、全て中国系が牛耳っている。ならば生活拠点を台湾に移し、自分は中国人になった方がよいのではないか、幸い自分には、実際に台湾人の血が流れていると原田は考えた。

 妻の京子は、原田の思う通りにしたらよいと同意してくれた。日本の基盤は、五所川原と吉野に任せておけばよい。

 原田は京子と台湾に渡り、名を楊華健(ヤン・ホアジェン)に変えた。そして潤沢な資金をベースに台湾政治家とのコネクションを強固にし、大きなビジネスを手掛けていった。

 台湾政治家との繋がりが強くなると、自然と楊華健ヤン・ホアジェンの、台湾黒社会との繋がりも色濃くなった。台湾マフィアの頭目は、政治の世界にも随分進出していたからだ。

 楊の台湾での台頭は凄まじかったが、政治家との繋がりが既存組織の反目を退けた。楊の黒社会を受け持つ組織は拡大し、青龍会と名前を改め表向きの老板ラオバンを置いた。裏では楊が難しい話を全てつけてくるのだから、台湾内で青龍会に刃を向ける者は誰もいなくなった。

 台湾百万人の黒社会で事実上のトップとなった楊を、自ずと香港、中国大陸、シンガポールマフィアも注目した。百万という勢力は、どうしても無視できないのである。しかし楊は持ち前のビジネス感覚で各国の組織と友好的に接し、更に強い関係を築いたのだ。

 気付けば楊は、アジア各国の黒社会で、誰もが一目置く大物のドンになっていた。


 楊は説明の合間に中国茶をゆっくり飲みながら、猪俣の話にじっと耳を傾けた。事件一連の流れや敵対勢力の不穏な動きのことだ。

 猪俣は、事実をありのままに語った。

 彼が説明する間、部屋の中は静かで、そこだけ時間がゆったり流れているようだった。その部屋で楊とその妻の京子に向き合っていると、そこが台湾であることも忘れてしまいそうだった。

 猪俣の話が終わると、楊は言った。

「中々上手い説明じゃった。よう分かったよ。一徹さんの送ってきた人じゃ、裏は取らせてもらうが、まあ、信じてもよいじゃろう。それにしてもあんた、随分怖い顔をしている割に、既に人間の悪い角が取れている。もう親分のような貫禄が身に付いとるのう」楊はヒャヒャヒャと、顔の皺を深くして笑う。「流石に一徹さんの片腕じゃ。その分じゃ、武闘の方も相当な腕前なんじゃろう?」

 猪俣は恐縮した。

「ありがとうございます。剣の腕前は、親父には敵いません。あれは国宝級ですから」

「いやいや、お前さんの眼力は大したもんじゃ。どうじゃ、わしの下で働かんか」

 猪俣が返答に窮すると、楊はまた朗らかに笑い飛ばし、冗談じゃよと言った。

「とにかく、関西は相変わらずせこいのう。昔からそうじゃった」

「関西のヤクザをご存知で?」

「ああ、関西だけじゃない。日本のヤクザは隅々まで知っとるよ。これまで散々取り引きをしたからのう。しかし最近は、一徹さんのような豪傑はおらんようになった。ここや中国大陸には、もっとぎらついた奴が五万といる。このままじゃ日本は、奴らに飲み込まれてしまうんじゃないかと心配しとるよ」

「はい、せめて関東だけはそうならないよう、気合いを入れてやらせて頂きます」

郭協志グオ・シェーチーのこともよく知っとる。あいつは肝っ玉の小さな小悪党だ。とにかくこの件は分かった。郭協志グオ・シェーチーのことはわしが預かる。やんちゃなだけの奴だから、何があっても許して欲しいが、あんたの悪いようにはせん。ところで今晩、時間を取れるかね。京子共々、一緒に食事でもしたいんじゃがのう。久しぶりに日本の話でも聞かせてもらえるとええんじゃが」

 猪俣は、ありがとうございますと、深々と頭を下げた。

「私でよければ、今夜は喜んでお付き合いさせて頂きます」

 楊はまた、嬉しそうに笑った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る