第18話

 翌日、予定通り、除が新宿署に引っ張られた。彼がいつも懐に刃物を忍ばせていることを知った捜査員は、彼の住居に押し掛け、銃刀法違反の容疑で有無を言わさず引っ張ったのだ。彼は一瞬逃げようとしたが、アパートの周りが全て包囲されていることを知ると、直ぐに観念して警察に従った。

 除の両腕には、派手な入れ墨があった。Tシャツの後ろからは、首筋からも入れ墨が覗いている。その様子では、おそらく全身入れ墨だらけだろう。台湾マフィアは必ずといってよいほど、それが自分のアイデンティティであるかのように入れ墨を持っているのだ。

 取調べは、一課の池上が担当した。狙いは新宿娼婦殺人だが、それは一先ず横に置き、日本へやってきた理由、日本での暮らし向き、所属する組織の様子などを、池上は世間話でもするように、除へ話題を差し向けた。

 見掛けと裏腹に、彼は素直に受け答えした。歳が二十八と若い分、根は意外と素直なのかもしれなかった。

 国にいたら食っていけないから、日本へ来たと除は言った。

 日本での暮らし向きは悪くないようだった。老板ラオバンからきちんとお金を貰い、台湾にいる家族に仕送りもできているようだ。除は、そんな今の暮らしに不満はないと言った。

「なるほど、郭協志グオ・シェーチーはきちんと面倒を見てくれているようだな」

「仕事さえこなせば、あの人は問題ない。優しい人だ」

「どんな仕事をするんだ?」

老板ラオバンは、漢方薬のビジネスをしている。自分の仕事は、輸入の手続きをしたり、商品を運んだり、在庫の管理だ」

 確かに郭協志グオ・シェーチーは、新大久保に小さな漢方薬の店を持っている。普段は弱々しい老人が、一人で番をしている店だ。

 ビジネスとして漢方薬を輸入しながら、別の薬も密輸しているのだろうと池上は思った。

「その仕事に、あんなナイフが必要なのか?」

「あれは自分の護身用だ。老板ラオバンの漢方薬を狙っている奴らがいるからな。強盗みたいな奴らだ。商品を守るのも俺の仕事なんだ」

 除の受け答えに淀みはない。池上もベテランらしく、淡々と質問を投げる。

「商品を狙う奴らは、どこのどいつだ?」

「詳しくは知らない。おそらく大陸のマフィアだ。あいつらは、うちの老板ラオバンが金を儲けるのが気に入らないんだ。たまに因縁をつけられ喧嘩になる」

「しかしなあ、いくらそうでも、日本では許可なく刃物を持ち歩くことは禁止されている。こうやって、警察の取り締まりの対象になってしまうんだ」

「それは知らなかった。知っていたら持ち歩いたりしなかったよ。まあ、それが罪になるなら仕方ない。ナイフを持っていたのは事実だからな」

 池上にとって、これらのやり取りは余りに手応えがなかった。罪になると指摘した点には、もう少しむきになってもらわないと困る。

「やけに素直じゃないか。異国の日本で刑務所へ入れられるのが、恐ろしくないのか?」

「台湾に比べたら、日本の刑務所は天国だと聞いている。だから怖くない」

「誰がそんなことを言ってるんだ?」

「誰ってわけじゃない。みんな言ってる。だからそうだと思ってる。実際は違うのか?」

「日本人は、刑務所に入れられることをみんな嫌がる」

「それは日本人が、贅沢だからだ。食うのに本当に困ったら、刑務所に入った方が楽って考え方もある」

「確かにその通りかもしれん。しかし、人生の三分の一も、あんな自由のない場所で暮らしたくはないだろう」

 少し大袈裟に言って脅かすつもりが、除はまるで慌てなかった。

「刃物を持っているのが、そんなに重い罪になるのか? 俺が聞いているのは、運が悪くてせいぜい一年ということだったが」

「まあ、あんたの余罪次第ってやつだ。いろいろと違法なことをやっているという噂があってな」

「俺は真面目に働いているだけだ。何も悪いことはしていない。どんな噂があるっていうんだ」

「まあ、それはこれからゆっくりと話そう。ところで、あんたが刑務所に入ったら、国の家族は送金が止まって困るんじゃないか?」

「それは困る。だから老板ラオバンに借りようと思っている」

「なるほど。しかし、長くなるようだと、そんなに簡単に金を貸してくれるもんかね?」

「あの人と社員は、家族みたいなものだ。日本の会社とは違う。だから助けてくれる」

「それは知らなかった。俺はてっきり、中国人っていうのはもっとビジネスライクだと思っていたよ」

「俺たちは中国人じゃない。台湾人だ。台湾人は中国人と違う」

「おう、そうだったな。それは失礼した。しかし台湾人の老板ラオバンも、随分と酷い奴がいるっていうじゃねえか」

「うちの老板ラオバンは違う」

「そうか。本当にそうだったらいいな。ところで、あんた、新宿のローヤルっていうクラブは知ってるか?」

「ああ、知ってる。それもうちの老板ラオバンがやってる店だ」

「あんた、そこにも随分関わっているそうじゃないか」

「忙しいときに、たまに頼まれるからな」

「その店の女が、客と一緒にホテルへ行くって噂を聞いてるんだが、あんた知らねえか?」

「そりゃあ客だろうが、惚れたら一緒にホテルへ行くこともあるだろう。女がプライベートで何をしてるかなんて、俺は一々知らねえな」

「そうか? しかし、スミレっていう名で働いてる女のことは、よく知ってるだろう?」

 ここまでリズミカルに進んだやり取りに、一瞬の間ができた。

「刑事さん、一体何を言いてんだ?」

「あんたとスミレはできてるって聞いたんだが、それであんたが、スミレのことはよく知ってると思ったんだ」

 除が肩を上下させ、大袈裟にため息をついた。

「誰がそんないい加減なことを言ってやがるんだ? 店の女と関係を持つことは禁じられている。だからその噂はでたらめだ」

「禁じられるほど燃え上がるのが、男女の仲っていうじゃないか。それが嘘か本当か、いずれこちらで詳しく調べてみるよ。そのためには、店の関係者に色々と確認しなきゃならんけどな」

「おい、俺が刃物を持っていたこととそいつは、関係ねえだろう」

 除の感情が、ようやく振れた。常套手段ではあるが、こうして相手を揺さぶりながら、突破口を探るのが池上のやり方である。

「日本の警察は細かいんだよ。俺自身はそんなことどうでもいいと思ってるんだが、上がうるさくてねえ。まあ、関係あるかないかは、調べてからこちらで判断させてもらうよ。他にも色々調べることがある。あんたが違法な薬の売買に絡んでないかとか、傷害事件を起こしていないかとか、恐喝みたいなことはしていないか、なんてことだ。あんた一人のために、刑事たちは大忙しだよ」

「俺はずっと真面目に働いている。警察にとやかく言われることはない」

「しかし、あんたに指示を出す人たちが悪いことをやっていたら、あんたも知らずに、悪事に手を染めているってことがあるんだ。しかしその場合、あんたがどうなるかは、捜査に対するあんたの協力度合いで随分結果が違ってくる」

「俺は協力できるところは協力する。何も隠したりはしない。ただ、知らないことは話せないだけだ」

「知らないことでも、ゆっくり思い出してくれたらそれでいい。まあ、じっくりやろうや」

 しかし実際に細かな話になると、除はのらりくらりと取り調べの矛先をかわした。特に組織の頭目である郭協志グオ・シェーチーに関するところは、予想通り、知らないという言葉で何も話そうとしない。

 ヤスはそんな様子を横目で見ながら、除をどうやって落とすかを思案していた。

 除の泣き所である彼の家族は、自分たちの手の内にある。それを上手に使いこなすことが、除を自白に導く鍵を握っているのは明白だ。しかし、単に家族は安全だと言っても、除が口を割るとは限らない。だからといって家族をネタに、彼を脅すわけにもいかないのだ。ここがヤクザと違って、警察の弱いところである。

 スミレの名で働く、周小鈴チョウ・シャオリンという除の女にも事情を聞こうと思ったが、この女は除が引っ張られると同時に新宿から姿を消した。ヤスはそのことが、心の隅に引っ掛かっていた。偶然か、それとも郭協志グオ・シェーチーが手を回したのか。

 除を引っ張り五日経っても、大した収穫は上がらなかった。現場の刑事は容疑者との根比べに慣れているが、色々脅かせば直ぐに落ちると思っていた櫻井警視正が苛立っている。櫻井には、異国の地でヤクザ稼業に手を染める人間の心細さなど、到底理解できない。組織から見放されたら、彼らは孤立無援になるのだ。自分が組織を売れば、間違いなくそうなるどころか、家族や自分が報復を受ける。そんな立場にいる除が、簡単に口を割るわけがない。しかも、早々に周小鈴チョウ・シャオリンが消えている。

 康夫だったらこの場面でどうするだろうと、ヤスの頭をそんなことがよぎった。

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