第12話

 数日後、影山から康夫に電話が入った。

「若旦那の予想、当たりましたよ。事件関係者の一人が割れました」

 影山の声は興奮していた。

「それで、そいつは何者だったんですか?」

「それが、日本人ではありません。除という台湾人です。新大久保を拠点とする、台湾マフィアの下っ端です。少し厄介かもしれません」

 康夫が影山に指示したのは、犯人が写っている全てのカメラに、別の共通人物が写っているはずだということだった。被害者と一緒に歩く人物は、各防犯カメラの位置を熟知していた節がある。ならば事前に、誰かが防犯カメラの所在を詳しく調査していた可能性があるのだ。とすれば、とにかく一定期間の範囲で、問題の防犯カメラに写っている共通人物を割出せば、そいつが犯人の一味である可能性が高い。その筋から犯人を辿るというアイディアだった。

 そうやって浮かび上がったのが、台湾人マフィアということだ。

 可能性の一つとして、この件に海外マフィアが絡んでいる可能性を考えないでもなかった。

 新宿の海外陣営としては、主に台湾、上海、香港、そして北京のマフィアが幅を利かせている。いずれも華僑の潤沢な資金をベースに、日本へ進出しているグループだ。それらお互いが牽制しあい、隙あらば自分たちが一番になろうとせめぎ合いをしているのだ。彼らのしのぎは主に、麻薬やバーの経営、バーで働かせる地元国女性の管理売春に拳銃密売などである。それ以外にも、金の匂いがするところには、床に落ちた砂糖に群がる蟻のように寄ってくる。

 それぞれには台湾、香港や大陸マフィアと太いパイプを持つ頭目がいて、下の者に睨みを利かせている。裏切りには徹底したリンチを加えて殺すという掟があり、つまり組織内の結束は固く、お互いの組織は反目し合っている。

 よって海外組が連合を組んで一円を貶めようとした可能性は考えにくい。あるいは、どこかの国内勢力と台湾マフィアの共謀という線もある。

 台湾組織の背後を洗う必要がある。しかしどうやって……。頭の中にある影があった。何かを一つだけひねり出すことができたら、その影は色も形も明瞭になり最終型になるはずだが、たった一つのピースが足りないせいで、全体までもがぼやけているというもどかしさがあった。

「若旦那、今後どうしましょうか?」

 考え込む康夫は、影山の言葉で現実に引き戻された。

 康夫は思い付きで言った。あまり深い意味も思慮もなかった。

「台湾組織の幹部クラスの顔写真を集めてみませんか?」

 影山は意表をつかれたように、「えっ」と小さな声を出す。

「若旦那、まさかそれで、全国のカメラ映像と顔写真を照合するんじゃないんでしょうね。もしそうなら、それは無謀な試みだと思うんですが。それより、張り込みや潜入の方がまだ効率的です」

「それは分かってます。確かにデータが膨大で、時間が掛かり過ぎる。しかし張り込みや潜入は危険です。相手に気付かれたら終わりですよ。あの人たちの拷問は凄まじいらしいですから。顔写真を照合するのは全国じゃなくて、東京だけでいいと思うんですよ」

「東京だけでも大変ですが」

「そうですよね。それで先ずは、彼らの行動パターンを分析したらどうでしょう」

 影山は眉間に皺を寄せた。康夫は、自分の中にある影の正体を見つけるように、絡まる自分の思考を整理しながら説明した。

「彼らが人と会うときにはどんな店で食事をしてどこで飲むなど、行動エリアを調べて調査範囲を絞ったらどうかと思うんです。僕は彼らが、新宿や新大久保辺りからあまり動かないと予想しているんです。的が絞れたら、今度はそのエリアの画像を徹底的に調べることで、何かが分かるかもしれない」

 こうした作戦のもと、早速台湾組織幹部の顔写真が集められた。そして彼らの本拠地近辺のセキュリティービデオ画像から、幹部たちの足取りを追う。それらは難しい作業ではなかった。

 その調査によると、彼らが人と会う際、新宿の京王プラザホテルやハイアットホテルを利用することが分かった。しかし食事をするのは、新大久保か歌舞伎町の中華料理屋であった。酒を飲むのは歌舞伎町の自分たちの息がかかるバーで、銀座などへ行くのは皆無だった。もちろん彼らは、渋谷や六本木なども行かない。歌舞伎町以外で行くのは、たまに池袋くらいのものだった。そこには、馴染みのない場所で腰を落ち着かせるリスクを決して取らない頑なさが垣間見える。元々歌舞伎町は台湾華僑が先鞭を付けた場所で、風林会館に代表されるように台湾資本が幅を利かせている。よって台湾マフィアにとって香港や大陸マフィアと揉めることがなければ、歌舞伎町は自宅の庭のようなものなのだ。

 その行動パターンに沿って過去の洗い出しを行おうとしたら、新たな問題が発生した。カメラ映像は所轄署と警視庁へ自動転送されるが、保存期間は一週間のみで、それを過ぎると上書きされてしまうようだった。確かに映像情報は容量が大きいため、多数の二十四時間画像を長期間保存するのは厳しい。現場周辺画像のように捜査情報として保存されていれば話は別だが、捜査陣が目を付けていなければ、画像は自動的に失われるということだ。

 つまり警視庁は、中国人娼婦殺人事件に、台湾組織が絡んでいる可能性を掴んでいないということかもしれない。

 康夫は、尾行や聞き込みといった積極的調査に踏み込みたい衝動を、辛うじて抑えた。地下組織とその周辺は、糸の太さに関係なく必ずどこかで繋がっている。聞き込みなどをすれば、誰かが何かを嗅ぎまわっているという情報が漏れるものである。一円にしても、もし調べられる側に立てば、たちどころにそれが不穏な情報として上がり、相手の素性や目的を探ろうと動くのだ。

「何処かで僕たちの健闘を祈っている猪俣さんには申し訳ないけれど、こうなれば持久戦でいきましょう。しばらく台湾マフィア幹部の動きを同じように追って下さい。その中で彼らと接触を持つ相手を、虱潰しに当たりましょう。それで何かが分かるかもしれない」

 猪俣の居場所は、一円連合の幹部にすら伏せていた。こういった情報は、どこから漏れるか分からない。

 影山は力なく、「そうですね」と言い立ち去った。彼の背中から、一円連合の組織力を活かし、ダイナミックに手っ取り早く決着させたいという苛立ちやもどかしさが感じられた。元々暴力団である影山とカタギの康夫には、こうした波長の微妙なずれのようなものが存在する。表立って反対されなくても、そういったものが空気を伝って届くのだ。おそらく影山は、たとえ数人の組員が痛い目に遭おうと、あるいは命を落とそうと、誰かを泳がせておけばそのうち何らかの動きが出るはずだと思っている。そうした刺激を与えなければ、今後関係者に主だった動きはないかもしれない。つまり結果が見込めない可能性がある。

 康夫もその辺は承知していた。しかし闇雲に動けば、相手の思う壺ということもある。一方的にこちら側の手をさらすのは得策でない。相手の気付かないうちに相手の情報を蓄積することは、色々な意味で保険や武器になる。それが情報というものだ。

 影山の地道な活動が続いた。最初の三週間は何もなかった。彼らは仲間内で飲み食いに出掛けたり、台湾からやってきた客人をもてなすだけだった。

 しかし、事態は調査を始めた四週目に急変した。周りから老板ラオバンと呼ばれる郭協志グオ・シェーチーが、ある日本人と中華レストランで会ったのである。老板とは、日本風で言えば社長だ。つまり組織のトップである。その老板が日本人と会ったレストランは、彼らが資金を出している新宿の天開楼という店だった。自分たちの息がかかる多くの店で、接客向きの洒落た高級店だ。

 その店に老板の郭協志グオ・シェーチーが入り、しばらくして日本人が入店した。問題はその日本人が、一円会の幹部である鬼瓦だったことだ。影山は慌てて、康夫にそのことを、写真を添えて報告した。

 そして康夫はその日の夜のうちに、鬼瓦のことを猪股へ報告した。

 報告を受けた猪俣は、慌てることもなく、冷静にその情報を受け止めた。

「奴が海外勢と会う理由はないはずですぜ。定期的な会合は自分が一手に引き受けてやしたし、誰かが一緒に行くとしても、権藤だけです。鬼瓦と台湾マフィアの繋がりには、さっぱり心当たりがありやせん」

 猪俣は気難しい顔で、腕を組んで押し黙った。

 一円の幹部が事件に関わっているとしたら、康夫も益々慎重に行動しなければならない。

「鬼瓦さんって確か、池袋近辺を預かっている人でしたよね」

 極道システムを作り上げた康夫は、一円会の内情をよく知り抜いている。猪俣は黙って頷いた。

「池袋というのは、滅多に縄張りの外へ出たがらない台湾マフィアが、たまに行く場所なんですよ。繋がりができるとしたら、その辺りかもしれませんね」

 猪俣は、その情報に即座に反応した。

「え? そうなんですかい? それは知らんかった。それじゃあ奴らは、池袋が安全だと思っているのかもしれない」

 それで康夫もはたと気付く。

「つまり、池袋に行くから接点があったのではなく、繋がりがあるから池袋に行けるってことですか?」

 猪俣は不貞腐れたように、無言で頷いた。

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