第9話

 一円連合本部若頭猪俣と舎弟頭の権藤組長は、人払いした本部会議室で密談していた。

「兄弟、こりゃあ、ぜってえに罠だ」

 猪俣はそれを聞いて、苦虫をかみ潰したような顔をした。眉間に深い皺が寄ると、その顔は一層迫力を増す。

「そのことは、今探らせている」

「そんなに悠長に構えて、大丈夫なのか? このままだと、誰かがパクられる。もしかして狙いは、お前さんかもしれない。兄弟が引っ張られたら、うちは大打撃だ」

 猪俣はこめかみをヒクヒクと引つらせた。どうして一円の幹部には、こうも頼りない奴が揃っているのだろうと嘆きたくなる。

「バカ野郎、組織ってのはな、点の集まりで成り立つんだ。つまり、俺一人消えたくらいで、どうにかなっちゃならねえんだよ」

 猪俣は強がりを言った。まとめる者が上手くやらないと、まとまるものもまとまらないことを猪俣は熟知している。しかし幹部の中に、猪俣が信頼を置く者はいない。これだけ頭数が揃っていながら、全く情けない話である。余計な心配をする前に、お前が何とかしろと猪俣は言いたかった。

 極西の野望を見事に退けた猪俣に、再び別の難題が振りかかっていたのだ。

 最近東京に、多くのよそ者が入り込んでいる。それは、新宿歌舞伎町に集中していた。広大な関東圏の縄張りの中で、歌舞伎町だけは特殊な地域だった。

 あれだけ派手で金の流れが大きな歓楽街であるがゆえ、その地域だけは、多くの組織と共存の密約が交わされている。これも不要な抗争を避けるための、一つの知恵だった。だからそこによそ者が入り込んでも、それだけなら大きな問題ではない。

 しかし、急増するよそ者が海外マフィアとなれば、話は少し違った。

 海外マフィアの習性は、日本の極道が持つ文化と違う。少しでも隙を見せれば、彼らは白蟻のようにたちまち侵食しようとするのだ。遠慮や配慮が、決定的に欠如している。忖度などというものも一切ない。ある意味合理的で、かつ利己的だ。だから人の縄張りを荒らしても、何が悪いのかとなる。目のつけどころの良さや頭の賢さでビジネスを上手く運べるなら、利益を独り占めするのも当然ではないかと思っているのだ。

 もちろん猪俣は、中国や台湾、香港のマフィアと一定の交流を持っている。出先機関のボスとときどき会食し、表向き親交を深めながら、その実しっかり牽制するという難しい渉外活動を強いられているのだ。一円ができるだけ国内法を遵守しクリーンな暴力団を目指す一方、強力な戦闘部隊を温存するのは、そういった勢力に対する無言の圧力をかけるためでもあった。

 その上で、お互い節度を持ってシノギを競うなら、多少のことには目をつぶろうというのが、暗黙の了解事項だった。

 しかし明文化されない節度だけに、その解釈も様々存在する。

 揉め事が発生すれば直接話し合いを持ち、状況を把握しながら調停することも珍しくない。そういった調停では、力が物を言う。力のない者に、調停など務まらないのだ。そうすると、自然猪俣の出番が多くなる。これは不可侵条約がない地域の、特殊事情のようなものであった。

 事が深刻になったのは、新宿の連れ込みホテルで、中国人娼婦が殺害遺体で発見されてからだった。警視庁は殺害現場で、一円連合の幹部バッチを見つけたのだ。

 いくら警視庁でも、バッチが落ちていたからといって、短絡的に一円連合を疑うわけではなかった。話が出来過ぎの場合、それはそれで不自然なのだ。しかも幹部バッチなど、簡単に落とすものではない。揉み合いになったりすれば話は別だが、害者に激しく抵抗した跡は見られない。

 害者の死因は、薬物の大量摂取によるショック死だった。血中のアルコール濃度からみて、泥酔の中で第三者から薬物を投与されたのではないかとみられている。

 ホテルのセキュリティービデオには、害者と一緒の怪しい男が映ってはいるが、巧みに顔を隠している。害者との比較で、身長百七十五、肩幅が広いがっちりした体型の男だ。警察は、ホテル周辺に設置されているセキュリティカメラ映像も当たっている。

 一円連合の諜報は優秀だった。警察に深く食い込み、彼らが何を狙っているか、ターゲットは誰かなど、様々な情報を持っていた。

 ある日、諜報隊長の影山が猪俣に呼ばれた。

「影山、例の殺人で最近警視庁の様子はどうだ?」

 影山は直立不動で答えた。

「はっ。彼らは方針を決めかねているようです」

「なぜだ?」

「現場に落ちていた幹部バッチの件で、上層部と現場に確執ができているようです。元々一円連合解体が念願の上層部は、バッチが落ちていたことで猪俣さんのフダを取り手柄に結び付けたいようですが、一方で、それに反対の派閥もいるようです」

「俺のバッチでなくても、俺を取るのか?」

「それは彼らにとって、どうでもよいことなのでしょう。元々彼らは、目的達成のために平気で嘘をでっち上げる外道です。我々の方が、余程紳士です」

「そりゃあこっちは、任侠の世界で生きてるからな。外道はいけねえ。で? 反対派はなぜ反対なんだ?」

「今の一円連合が猪俣さんでまとまっていることを、彼らがよく知っているからです。せっかく関東が平穏になったというのに、ここで猪俣さんを狩ってしまえば、関東は再び戦国時代へ逆行し、羽目を外す輩も多く出現すると予想されています。それに、猪俣さん逮捕が他組織の関東攻略の引き金となれば、自ずと関東が荒れることになります」

「なるほど。それで奴らがフダを取ってここに駆けつける確率は?」

「我々が様々なパラメータを打ち込んでコンピュータに計算させたところ、四十四パーセントという結果が出ました」

「四四か。不吉な数字が出たもんだ。ほぼ半々か」

 猪俣はそう言ったきり、窓の外の景色を眺めて黙り込んだ。沈黙が余りに長過ぎたため、影山はたまらずお伺いをたてる。

「あの……、用件はもうお済みでしょうか?」

 猪俣が、独り言のように言った。

「桜はもう、散ってしまったな」

「は?」

 猪俣は、相変わらず遠くを見ながら言った。

「いや、何でもない。もうすぐ新緑の季節だと思っただけだ」

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