第25話:最初の栄誉は実験台
そのままホリィは、調薬を手伝ってくれた。沈澱を待ったり、重石をして抽出したり。時間のかかる作業も、ずっと離れずに。
だから聞く機会は、いくらでもあった。
うまく薬が完成すれば、もう人狼にならなくてすむ。裏付けはできないけど、間違いないのに。
「あのさ――」
「なに?」
修道院の一室を借りて、作業を始めてから。もう一度だけ、勧めてみようとした。
他の話もして、自然に切り出したつもりだった。それなのに彼女は、その声だけを厳しくする。
なにか、と聞き返しただけだった。短い返答に、もう言うなと気持ちがこもっていた。
ほかはいつもと変わらない、溌剌とした彼女だ。調薬も「まだかな、まだかな」と楽しみにさえしてくれる素振りだった。
そんな中で彼女に薬を飲んでほしいと、それだけを決定的に拒まれる。僕にはもう、発すべき言葉が見つけられない。
「これで完成?」
「その筈だよ」
次の日の夕刻。やっと全ての工程が終わった。出来上がったのは、黒くてふにふにと柔らかい丸薬。正露丸によく似ている。
あの特徴的な臭いでなく、乾いた藁に似ているだろうか。
それがとりあえず、四粒。
【ミヌスの解毒薬。鉱物を媒介とした魔術的中毒症状に効果。平均的成人で、指先ほどを服用する。治癒には数時間が必要。水分を多量に摂取すること】
触れて問うと、効能が頭に浮かぶ。失敗していれば、分からなかった。
――中毒症状のない人間が飲んだらどうなる?
もう一つ、重要なことをたしかめた。シンの答えが出るまでの、一瞬にも満たない時間に緊張が走る。
【蓄積した魔力に反応する為、症状のない者には効果なし】
獣化していない僕には無害。
そういうことだよね。と確認したかったが、ホリィに聞いても分かるわけがない。視線を向けた僕に、彼女は首を傾げる。
「うん、うまく出来てるみたいだ」
「本当?」
テーブルに載せた粒を、二人して覗き込んでいた。そこでホリィが手のひらを見せて、まっすぐ向き直る。
まずは完成を祝して、互いの手を軽く叩き合わせた。
「良かった!」
「ありがとう!」
笑ってくれる彼女に飲ませてあげたい。その気持ちを、ぐっと堪える。
さっそくマルムさんに報告した。夕の祈りを終えた彼は、聖職者らしいと思える穏やかな微笑みで頷く。
「まずはよくやってくれたと、言わせてもらうよ。でも言ったように、効くかを試してみなければね」
「ええ、もちろんです」
僕は効能を疑っていない。でも飲ませてみたら、なぜか治らなかった。そんなことがあるのではと、矛盾した心配はしている。
それを僕以外の誰が、無条件に信用するものか。マルムさんだって、結果も分からない物を町の人に勧められはしない。
「この薬は必ず効きます。でも僕以外の人には、得体が知れませんよね。だから最初は、実験台という扱いになってしまいます。そんな役目を、誰にやってもらえばいいでしょう」
予想した問いだったらしく、マルムさんは顔を引き締めた。しかし間を空けず、ホリィに「どうだろう?」と聞く。
僕なんかではダメでも、お世話になっている修道院の院長なら。飲んでくれるかもと期待した。
「あたしは飲まない。薬がもったいないからさ、他の人が飲むべきだよ」
「飲まない? シンが作ってくれたんだ。きっと彼も、まず君に飲んでほしいと言っただろうに」
「その気持ちは嬉しかったよ。でもあたしには必要ないんだ」
粘り強く。強引にならないよう、服用が勧められた。でもホリィは頑として譲らない。
ついにマルムさんも、「次の機会にまた勧めるとしようか」と諦める。
「しかしそれなら、誰にすべきか――」
悩むときの癖なのか、こめかみをトントンと指が叩く。ゆっくりとしたリズムが二十も刻まれる間、何だかマルムさんは表情を堅くしていく。
「ホリィ。地下の人たちで、誰だか分かっていなくて長いのは?」
「キツネさんだね」
彼女も同じように、抑えた声で返す。付けられた条件がそうさせるのか。僕には判断がつかない。
誰だか分からない。それはたしかにかわいそうで、早く戻してあげたいと思うだけだ。
「では明日。みんなの前でやってみるとしよう」
「みんな? みんなって、修道院のみんなですか」
「いや、町のだよ」
実験をするのなら、なるべく多くの人に見てもらったほうがいい。修道院の院長が保証するのでも良いが、自分たちの目で見るほうがもっと良い。
獣化が治るさまを目の当たりにすれば、手伝う気持ちも倍加するだろうと。
――たしかにそうだけど、いいのかな?
僕は結果を疑わない。でもマルムさんは、何を根拠に、そんな大胆なことができるのか。何も起こらないならともかく、悪化するのは考えないのか。
「失敗だったら、どうするんです?」
「失敗するのかい?」
「いえ、うまくいく筈です」
「それなら問題ないよ」
僕よりも自信たっぷりという風のマルムさん。明日が楽しみだとまで言う。
けれどもそれを待たず、懸念を口に出す人が居た。夕食の場で、彼が予定を話したから。
「院長さま、そんな治癒術師の作った――いえ、確証のないものを町の人の前で見せるなんて!」
椅子を蹴倒して立ち上がったのは、レティさんだ。
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