第16話 友達に先輩の惚気話を聞かせる話

 先輩の家で暮らすようになって数日が経った。


 朝起きて最初に先輩を見る、そして夜寝る前最後に先輩を見る――そんな夢のような生活を送れるようになるなんて、本当に今でも信じられない。


 信じられないくらい――幸せだ。


『あっそ』


 そう惚気る私に、“彼女”はそう、興味無さそうに返してきた。


『突然電話してきたから何かと思ったらそんな話?』

「だってりっちゃんに一番に伝えたかったんだもん!」


 今、電話で話しているのは親友のりっちゃんだ。

 りっちゃんには、この夏勝負をかけるとだけ宣言していた。宣言していたのだから、ちゃんとどうなったのか説明するのも当然!

 決して、先輩と素敵な毎日を送っていることを誰かに自慢したかった訳じゃない……本当だよ。


「私ね、気が付いたの! 普段よりもちょーっと早く起きると、先輩の寝顔を堪能するだけじゃなく、先輩を起こしてあげることができるんだよっ! 寝ぼけまなこを擦る先輩もなんか小動物みたいで可愛くてさぁ!」

『あ、そう』

「今日も思い切って、『いってらっしゃい』って声を掛けたらね? 先輩、『いってきます』って笑顔で返してくれて……『いってきます』だよ!? なんかもうこれ完全に新婚さんって感じだよね!?」

『……朱莉さ』

「これ、完全に新婚生活体験しちゃってるよね!? でも全っ然苦じゃないの! むしろ毎日最高が更新されていく感じ! あぁ、もうこれ結婚秒読みだよね、今日先輩が帰ってきた後、いきなり指輪渡されちゃったらどうしよーっ!」

『無いでしょ』


 バッサリ。

 呆れを通り越して、もはや無になったりっちゃんの声が、まるで氷水を頭にぶっかけたみたいに私の意識を現実へと引き戻した。

 危ない危ない。危うく意識を持っていかれて戻ってこれなくなるところだった。


『つかさ。アタシ、朱莉の好きな人誰か聞いてないんだけど』

「あっ、うん。べ、別にりっちゃんだけに黙ってた訳じゃないんだよ? ずっと誰にも言えなくて……だって、私なんかが先輩のこと好きなんておこがましいっていうかさ。でもね? こうして先輩とひとつ屋根の下に暮らしてたらきっと――」

『無いんじゃね』

「……え?」


 りっちゃんは相変わらず、一切言葉をオブラートに包むことなくぶつけてくる。

 彼女が無いと言ったら無いのだ。そう、これまでの会話で判断したということになる。


『もうずっと……うわ、通話時間30分越えてる。ま、そんだけ聞かされたわけじゃん? そのセンパイさんとの惚気話』

「えへへ、惚気なんてもう……自分で言うのはいいけど、他の人に言われるとまるで恋人同士に見られてるみたいで照れちゃうよぉ」

『恋人同士なんて思ってないから。むしろさ――』


 りっちゃんはやはり一切遠慮なく、その現実を容赦なく叩きつけてきた。


『兄妹って感じだよね。そのセンパイさんからの距離感』






 ……は!?


 あまりの衝撃に意識が遠のいてしまっていた。

 先輩と私の距離感が兄妹って……つまり兄と私の関係と同じってこと……!?


「き、聞き捨てならないよ、りっちゃん!?」

『だってさ、ひとつ屋根の下に暮らしてるんでしょ。それなのに一切手を出す素振り見せないなんて、普通じゃないっしょ』

「い、一切なんてこと……」

『これまで聞いたエピソードの中で何一つそういうの感じなかったんだけど』


 グサッ!

 言葉という鋭利なナイフで容赦なく刺してくるりっちゃん!


『センパイさんさ、お兄さんの友達なんでしょ』

「う、うん。高校時代は一番仲良かったし、今も同じ大学行ってるよ」

『朱莉がセンパイさんの家に泊まれてるのもお兄さんが口利きしたからなんだよね』

「うん」


 ちなみにりっちゃんには私が兄の“借金のカタ”として先輩のところで暮らしているとは伝えていない。


『それさ、センパイさんは友達の妹をただ預かってるだけって感覚になってんじゃない』

「と、言いますと……?」

『俺に妹がいたらこんな感じなのかなぁ』

「ひいっ!!?」


 妹として見られている――それが良くない状況だということは私にも分かる。なんたって私には兄がいるのだ。

 兄のことは嫌いじゃないけれど、兄とそういう――私が先輩となりたいような関係になるなんて、天変地異が起きたとしても有り得ない。


 だから、先輩が妹として私を見ているってことはそういう可能性が……いやいやっ!


「そ、そんなの分からないよ! 仮に先輩がそういう風に私を見ていたとしても、ふとした瞬間に女を感じてくれることもあるよ! 起こりうるよ! だって私達、血が繋がっているわけじゃないもん!」

『……そうだね』


 何故か、りっちゃんの歯切れが悪い。歯に衣着せぬ物言いに定評のある彼女にしては珍しく思えた。


「だ、大丈夫。だってまだ数日だもん! まだいくらでも挽回は――」

『数日、ねぇ……』


 深い溜息。妙に実感がこもったそれは、やけに私の胸中を波立たせた。


「り、りっちゃん? どうしたの……?」

『つかさ、朱莉』

「は、はいっ」

『アタシ、今までアンタが誰のこと好きかとか別に聞いてこなかったじゃん? 誰か好きな人いるんだろーなーとは思ってたけどさ』

「そ、そうだね。私達そういう話あまりしないようにしてたし……」


 りっちゃん――私もだけど、結構男子から告白されることがあった。私はともかくりっちゃんは同性の私から見ても凄く可愛くて、それでいてカッコいい。私が男の子だったら好きになっていたかもしれないと思えるくらいに。


 で、私は先輩以外とは付き合いたいなんて気持ちはさらさらなかったし、りっちゃんも誰とも付き合おうとする素振りにならなかった。

 恋愛系の話になるとどうしても愚痴になってしまう。それが分かっていたから、無意識にそういう会話を避けてきたのだ。


 ま、まぁ今回のこの話はあまりに私のテンションが上がってしまった結果というか――


『朱莉』

「な、なに、りっちゃん」

『朱莉の好きな人ってさ――もしかしなくても求クン?』






 だから、まさかその名前がりっちゃんの口から出るなんて思いもしなくって、再び私はフリーズしてしまうのだった。

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