第9話 鳥居

ほら、あの大きな松の木の後ろから

ほら、あの朽ち果てた木炭バスの中から

先守と呼ばれ鴉と呼ばれた案内人は

黒づくめの奇怪な風体で

「鴉要らんかね?」

と、気味の悪い声で哨戒線を越えようとする者に囁いて来るのだ…


そう武内は思っていた。


中田も加藤教授も程度の差こそあれ

まさか、まるで露店で林檎でも売るように

声をかけられるとは思ってもいなかっただろう。


それ以上に声の主は三人のイメージから解離した姿であった。


そこに居たのは、武内と同じ歳の頃の少女。


今から学校へ行くかのような黒いセーラー服。

スラリとした手とスカートから覗く白い脚。

胸元のスカーフが隠しきれない膨らみ。

少し長めのショートカット。

その前髪から見え隠れする紅い瞳。

何処にでも居…ない少女がそこに居た。


黒と白だけの絵画、そこに落とされた紅い二つの点を見つめたまま三人は枯れ木の様に動かない。


「君が…鴉なのか?」


武内が、やっと声の主に尋ねた。


「え…なんですか?」


少女の紅い瞳は奇妙な物でも見るように武内を見た。


あの話はなんだったんだよ!?


武内が定時制のオッサンに呪詛の言葉を心の中で投げ付けている間に

三人の間をすり抜け少女は下駄箱からスニーカーを出し玄関から消えた。


「案内人に手引きする役かな?」


加藤教授のイメージからは余程離れていたのだろう。

彼は訝しげに彼女が出ていった扉を眺めた。



「さぁ、参りましょう!」

三人が外に出ると宿の前で待っていた少女はバスガールのように明るく声をかけた。




「やぁ、天気も良いし最高の散策日よりだな!」


中田は上機嫌でベストの数あるポケットからハーフカメラを取り出す。

カメラは数年前に発売された廉価なカメラで一枚のフィルムで二枚撮影出来る優れ物である。


廉価故に焦点は固定だが、レンズの品質は高い。

操作性が簡単な事も相まって今や素人にもプロにも愛用されている人気機種だ。


中田はカメラのファインダーに前を歩く少女の尻を入れシャッターを切った。


最後尾を歩く武内は彼の行為に眉をひそめながらも

最高の散策日よりには同意したい気持ちだ。


木々の間から射し込む暖かな陽の光と吹き抜けてくる朝の冷たい風が何とも心地好い。


小鳥の囀りを聞きながら昨夜食べた丸焼きを思い出す。



「皆さん、ここまでが哨戒線です」


少女に声をかけられ小鳥への罪悪感で俯いていた武内は前を見て

そして見上げた。


巨大な鳥居だった。


元は紅かったであろう塗色は剥がれおち、苔むした姿は半ば周囲の木々と同化しており

彼女に声をかけられなかったら気付かず通り過ぎただろう。


「ここから先は皇軍の目はありませんが庇護もありません。」


彼女は、それだけ言うと鳥居を潜り抜ける

続いて教授が鳥居を見上げながら

中田はシャッターを切りながら進んだ。


「君は行くなよ」


彼等に続こうとした武内の脳裏に定時制のオッサンの声が響く。


全く当てにならない情報の癖に不安だけは煽ってくれる!


元から危険は覚悟の上で来たはずだ。

旅の道連れと少女の出現で心が緩んだとしか言い様がない。


武内は舌打ちをしながら強引に足を前に出した。



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