第5話 嘘つき

乱入者は半ば強引に武内を部屋から引きずり出した。


中田は、ずいぶんと飲んだようで

覚束ない足取りで薄暗い廊下を右に左にフラフラよろめきながら進んで行く。


中田の後ろに続きながら武内は彼の背中を苦々しい思いで見ていた。


いくら、周りが兵隊ばかりで民間人の武内に気持ちを許したからと言ってだ。


これは、いささか礼に反しているだろう。


それに自分には明日、大切な用事がある。

もし、寝過ごしてしまえば今までの計画は水泡に帰してしまうのだ。


中田は突き当たりの部屋へ襖が破れんばかりの勢いで衝突してからそれを開けた。


「教授殿、中田二等兵ただいま帰りました!」


誰か居る!?


中田の後に続いていた武内の歩みが止まった。


襖を開けるや部屋に倒れ込む中田の向こうに浴衣姿の男の背中が見える。


歳は五十代位だろうか?

背後からは頭頂部活近くまで後退した生え際しか見えない。


あの男、昼間には見かけなかった。

憲兵か…?


あの場に居合わせなかった憲兵の可能性はある。

いくら手を出し辛い「遺族」とは言え、尻尾を捕まえてしまえば扱いはその限りではない。


面が割れてない仲間に平服を着せ潜り込ませるなど、彼らの十八番と言って差し支えはないだろう。


若しくは憲兵が特高警察に怪しいと通報した可能性…


その場合は最悪の結果となるだろう。


戦前、同化政策と言っても過言では無いナチス信奉を国を挙げて行った結果

継続戦争が始まり二十年近くが過ぎた現在もなお

労務者から財界人、政治家に至るまで広く信奉者が残存している。


それを虱潰しに検挙、時には処分するのが特高の仕事だ。


思想犯罪者、或いはスパイと疑われたなら

高校生が一人、行方不明になるなど訳は無い。


「どうした?お入りなさい。」


部屋の奥から声が聞こえる。


「は、はい」


武内は喉がカラカラに渇いている事に気付いた。


「いらっしゃい、遠慮せず食べて」


数分後、武内は宴会の席に参加していた。


皿の上には、甘辛いタレで良く焼かれた山鳥が香ばしい匂いを放ちながら重なっている。


「かすみ網って知ってるかい?僕はコレに目がなくてねぇ…」


男は山鳥を頭からボリボリと旨そうに囓った。


男の名は加藤清治


愛知の大学で民俗学の研究をしているらしい。


「そーよ!加藤先生は大学の教壇でー民俗学を教えておられるんだぞ!」


寝たかと思っていた中田が起き上がり叫ぶと再び寝た。


「ハハッ…教授なんて言ってもね、民俗学なんて御時世じゃないからね。」


加藤は湯呑みの酒を飲み干すと女将だが女中だかな女性を呼び

酒のおかわりと武内にコーラを頼んでくれた。


戦時の今、必要とされているのは戦争に必要な学問である。

民俗学などがお呼びで無い事は高校生にでも分かった。

最早、受講する学生すら稀な状態であろう。


「はーい、コーラお待ちどうさま」

例の女性がお盆からコーラとグラスを飯台に置いた。


「コーラ来たね、飲もう飲もう」


加藤はコーラを武内のグラスに注いだ。


戦前の対日制裁で禁輸され戦時中に米兵と共に再来日したコーラが、サイダーの商標がプリントされてるグラスで泡を立てた。


「さ、食べよう!」

見ず知らずの学生に親しく振る舞う加藤だったが

眼鏡の奥の窪んだ目と無精髭が彼の長い不遇を物語っているかのように武内には見えた。


「君は一体どう言った理由で此処へ来たんだい?」


鳥を囓る武内を加藤の窪んだ目が眼鏡のレンズ越しに見つめる。


「あ、はい…父がこの近くで戦死しまして…」


武内は戦時中に父親が戦死した場所を徴兵前に見ておきたかったと説明した。

答える必要は勿論無いのだが下手に怪しまれたくはない。

また、歓待されながら無下な態度を取れるほどスレてもいない。


「武ちゃ~ん」


今まで寝ていた中田がムクリと起き上がり武内の背後に座ると

彼の耳元で囁いた。


「嘘つき」





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る