第4話 女生徒の噂


「治義君、早く望遠鏡片付けないと怒られるよ」


同級生の安藤夏子が天体望遠鏡を引きずりながら武内にむくれて言う

その夜も第一高等学校の屋上で天文部の学生達は望遠鏡を置いていた。


「餡ドーナツが一番体力あるじゃないの?」


夏子は武内の肩をバシン!と叩く。


他の部員は市外に自宅がある為、電車に間に合わない事から既に帰宅している。

後片付けは市内に家がある二人が観測の度に任されていた。


教師も鍵を任せて帰宅しており、二人は望遠鏡を片付けた後に屋上を戸締りし

最後に定時制の職員に鍵を渡し帰宅をする事になる。


特にやりたい部活が無く楽だろうからと入部した武内にとって、これは誤算だったが

彼女と二人きりで暗くなった校舎を歩くのは密かな楽しみではあった。


バレー部のエースである彼女と出来る事ならば帰宅部を立ち上げたい武内では

天文部と言う接点が無ければ三年間、話す事も無かっただろう。


決して美人ではないが名字ではなく名前で呼んでくれる女子

名前ではなくアダ名で呼べる女子の知り合いが出来ると言うのも嬉しい誤算ではあった。


そう言う嬉しさも半面、夜の学校の静けさと暗さには閉口する。


定時制は授業中なのだが使用されない階の灯りは配電盤から消されている。

計画停電が日常的に行われる状況では無駄は許されないと言う事だ。

備品庫は定時制の教室とは別棟であり当然、電気は落とされている。

配電盤の鍵は渡されていないので頼りは懐中電灯のみだ。


尾張藩が創立したと伝えられる歴史ある学舎だけにあちこちが老朽化しており

古めかしい造りもあいまって懐中電灯の光に映し出される光景は

二人に廃墟の中を歩いている様な錯覚を覚えさせた。


「ねぇ、前にテレビで見たんだけどさぁ…」

何か話してなければ不安なのだろう

夏子が話を振って来る。


まだテレビが普及していない昭和三十年代では、お大尽でもなければ自家用のテレビは持てないが

彼女の家が電気屋である事を武内は思い出した。


「長野にさ、何でも願いを叶えてくれる神社があるんだってさ…」

夏子はヒソヒソと怪談でも語るような口調で続ける。


「長野って、あっち側だろ?」

多少こちら側に旧長野だった地域もあるが現在は他県に合併され

今や長野と言えば、あちら側の地名である。


「それが行くんだってさ、行く人が大勢居るんだって」


そんな途方も無い話しに哨戒線を越えて行く奴が居るのだろうか?


下手をしたら、その場で撃ち殺されるかスパイ扱いされて処刑されてしまう。


「だいたい場所も分からないじゃないか」


激しい戦闘と原爆の投下、誰の手も入らず17年が過ぎれば荒れ果て道も分かるまい。

おまけに両軍が埋没した地雷原が無数にあり

とてもではないが自殺行為でしかない。


「それがね、案内人が居るんだってさ」

望遠鏡をしまうと夏子は備品庫に鍵をかけながら続ける。


「さき…先守って言ったかな?」




「よう!こっち来て一緒に飲まないか!?」


乱暴に襖が開き先ほどの記者が赤い顔で乱入して来た。


どうやら知らない間に眠ってしまったと武内は思った。


日はとうに沈んでおり、窓の外は何処までも続く闇だけだ。


「スズメとかツグミ食った事あるか?すぐに来いよ!」



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