生ける炎


 生ける炎。

 そう形容するのが相応しい、何か。

 俺達の常識では測れない何かが、フサッグの頭上で揺らめいている。


「ははははは!! おぉ、これこそが私が求めていた神性!! 禍々しくも神々しい、全てを蹂躙せんとする深淵の劫火ごうか!! かの者の名は『星を灼く炎クトゥグァ』!!」


「クトゥ、グァ……!?」


 クトゥグァと言う名は聞いた事がある。

 前世で齧ったクトゥルフ神話に出て来る架空の神性。

 生ける炎、と言う表現はまさしくクトゥグァが顕現する際の姿。


 まさか、本当にそんなものが存在する世界だったのかよ!!


「俺達の中の神性を強化する、って言うのは建前で、本当はこいつの召喚が目的だったのか!!」


 俺はやけくそ気味にフサッグに罵声を浴びせる。


「えぇ、そうですとも!! 貴方たちに降りた神性はあまりにも善性が強過ぎた。邪神として畏怖されても尚、人々を恨む事無く慈しみ、守ろうとした。それではあまりに脆弱、矮小!! 私が求めた神は、人類を滅ぼし、この星をならす破壊の化身なのですから!!」


 奴は求めていた神性を召喚出来たからか、何時になく饒舌に喋り始める。


「信徒達も喜ばしいでしょう。貴方達に宿る紛い物の神性でなく、これほど純粋に強力な力を持つ邪なる神の贄となれたのですから!!」


「信徒達、って事は……」


『……あぁ、あの洞窟にあった物は全て、あの神性を呼び出す為の贄になった。信徒達も、一人残らず全員がな』


 まさか、これほどの破壊を齎す者を呼び出す為に、仲間達さえ利用したのか……?


 ―――違うな。

 こいつにとって、信徒達は仲間ではない。

 自身の望んだ神を降ろす為の材料いけにえ程度の感覚なのだろう。


「なんで、そんな酷い事を……」


「やめろナディア。あいつの事を理解しようとするな、考えるな。あいつは普通じゃない、人間でないと分かるだけで良い」


「……うん」


 ナディアは俺と違って、転生者ではない。

 いまナディアが持っている知識では、あの狂信者フサッグの行動の意味を理解できずに苦しんでいるのだろう。

 だが分からなくていい、分かってしまったら―――




「もはや人間じゃないな」


 その言葉を聞いて、フサッグは一層笑みを深める。


「誉め言葉と、受け取りましょう」


 そしてゆっくりとこちらに歩み寄る。

 フサッグの頭上の星を灼く炎クトゥグァは、頑なに動く気配が無い。


「一体何のつもりだ?」


 俺は問いかける。

 俺達には、もはや星を灼く炎クトゥグァを振り切って逃げる余裕がない。

 そもそも周囲の森林を焼き払われ、辺りは炎の海と化しているのだ。

 逃げる場所などどこにもないし、それ以前に逃げた所でどうにもならない。


「いえ、私から貴方達に素敵なご提案があるのです」


 断言しよう、絶対にまともな提案じゃない。

 だが、今は一分一秒でも考え、回復するための時間が欲しい。


「……聞くだけ聞いてやる」


「なに、簡単な事です。貴方達のその身を、かの神に捧げる気はありませんか?」


 そんな事だろうと思った。

 なるほど、俺達が最奥の祭壇の間で過ごさせられていたのは、この神をより完全な物にする為の下準備、更なる生贄だったのか。

 コイツ、狂ってる癖に用意周到過ぎだろ。

 いや違うか。狂ってるからこそ、ここまで周到に計画を進めて来れたのか。


「それは、俺達にとってメリットがあるのか?」


「大いにありますとも!! 神にその身を委ねる事、それ以上の歓びが何処にありましょうか!! あぁ、私は羨ましい!! この身は神をこの世に繋ぎ止める楔ゆえ、神と一つになる事が出来ないのですから」


 なーにが神に身を委ねるだ。

 神がより完璧な存在になるための生贄になれって言ってんのと同じだろうが。


「嫌だ、と言ったら?」


「なんと……。それは大変悲しい。えぇ、その答えは大変悲しい。私にとっても、貴方達にとってもです」


 フサッグは俺の返した言葉に、酷く悲しそうな顔をしながら答える。

 きっと、本当に悲しいと思っているのだろう。

 狂人と言うのは本当に常人の理解の外にある、と言うのが身に染みて分かった。


 もう、問答は不要だ。




「ナディア、智慧の父神ヴァテァ、用意は良いか?」


 俺は小声で二人に確認する。


『あぁ』「うん」


 たった数十秒の休息、絶望的な状況。

 それでも、俺達は自由を手にするために積み上げた月日を、夢を、希望を、無にする事は出来ない。


 俺は地面に手を当てると、フサッグに向けて大地の槍を生み出す。


「ぐっ、熱い……!!」


 大地の神でもある生命の母神マテァと同調している俺の手の平に、焼けるような痛みが走る。


 星を灼く炎クトゥグァの権能だろうか、ただ森の木々を焼き払っているだけでなく、


 地面から突きあがった槍は、しかしフサッグに突き立つ事無く焼き落ちる。

 大地が星を灼く炎クトゥグァの権能を受けている影響か、それとも星を灼く炎クトゥグァ自身が反射的に自身を繋ぎ止める存在を護ったのか。


 どちらかは分からないが、これはマズい。


 俺の使う生命の母神マテァの力は世界、大地にまつわる物が多い。

 権能によって呪われた大地では、満足に力を行使出来ない。


「任せて」


 そこにナディアが間髪入れずに魔法を放つ。

 水と風の刃がフサッグの両肩を切り裂く。


「ムッ!?」


 ようやく自分が攻撃されている事を認識したのか、フサッグが驚いた声を上げる。

 だが、ナディアが放った魔法もフサッグの頭上に浮かぶ星を灼く炎クトゥグァの影響か、かなり威力が減衰していた。

 奴を倒せば星を灼く炎クトゥグァは現界を維持出来ずに消えるものだと思ったが、そもそも満足にダメージを通せない……!!


「クソ、ふざけた力だ!!」


 だが言っても始まらない。

 何より、まだ俺達も全ての策を使い果たした訳じゃ無い。


神性同期、開始ゴッズトレース・オン


 神性同期ゴッズトレース、神を身に宿す俺達が使える人外の法。

 神との繋がりを強め、一時的にその権能をフルに扱うことの出来る技術。


 もちろん強力な分、人の身に余る力を行使するので反動も強いが、今は出し惜しみしている場合じゃない。


同期神性名トレースネーム生命の母神マテァ


 何処からか聞こえる機械の様な声が俺の内に宿る神性の名を示す。

 その瞬間、身体の底から湧き出る様な力の奔流を感じる。

 それは、呪われた大地の怒りの様な、焼かれ続ける身の痛みを叫ぶ慟哭の様な、燃え上がる感覚。


「呑まれろ、異端の者共よ!!」


 俺の叫びと共に、焼けた大地が流動する。

 大地はフサッグとその頭上の星を灼く炎クトゥグァを呑まんと襲い掛かる。


「よもや、これほどの力を引き出せるとは!! 中々見応えのあるショーではありませぬかぁ!!」


「うるせぇ!!」


 フサッグは大して動じた様子も無く、星を灼く炎クトゥグァと共に空へと逃げる。

 大地は空に逃げた彼らを捕らえる事無く互いに衝突する。

 だが―――


「逃がさない!!」


 智慧の父神ヴァテァと同期したナディアが、彼らの頭上を取り、一気に巨大な水の刃を持って襲い掛かる。


 水の刃は、星を灼く炎クトゥグァを貫いた物の、大したダメージは入っていない様だ。

 だが、その真下に居たフサッグの右腕と右足を跡形も無く消し飛ばした。


「なんと!!」


「トドメだ!!」


 俺は右腕を突き上げる。

 するとフサッグが避けたと思っていた大地の奔流が、捻じれ、重なり、巨大な槍となって奴の身体を穿ち抜いた。

 その先端は、星を灼く炎クトゥグァの炎そのものと言える体にすら突き立った。


『やったか!?』


 おいやめろ智慧の父神ヴァテァ!! それはやってないフラグだ!!

 だが、これでやれて無ければ流石にもう手はない。

 既に神性同期ゴッズトレースは解除され、全身を鈍い痛みが襲っている。

 もう一歩も動きたくない。


 星を灼く炎クトゥグァは大地の槍で突き刺されてもなお依然として健在のようだが、奴を繋ぎ止めるための楔たるフサッグは半身を消し飛ばされ、胴体にデカい穴を開けて地に伏している。

 普通の人間なら右腕と右足を消し飛ばされ、胴体に風穴が空いて生きている訳が無い。


 そう、思いたいが―――




「……フヒッ、フハハハハ!! とっても、とてもとても刺激的な攻撃ですねぇ!!」


「うそ、何で……」


「あー、クソ。本当に最悪だ……」


 炎がフサッグの身体に揺らめき、その傷を、欠損した半身を、みるみる再生させて行く。

 あっという間に、フサッグの全身は元の形に戻された。


「これぞ我が神の恩寵ギフト!! 呼び出した者に疑似的な不死性すら与えて見せる獄炎の大権能!! あぁ、実に、実に!! 素晴らしい!!」


 フサッグは愉悦に酔いしれているのか、狂った様な笑顔で、こちらを見つめる。


「あぁ、我が神の恩寵ギフトをこの身を持って体験させて頂いたのです。せめて、苦しまぬように終わらせて欲しいと懇願しましょう」


 そう言うと、フサッグは大声をあげて願い始めた。


「我が神よ!! 破滅の劫火の化身よ!! せめて、安らかなる終わりを、かの者達にお与え下さい!!」


 その願いを聞き届けたのかは分からないが、空に浮かぶ星を灼く炎クトゥグァの姿が次第に揺らめき始める。

 あの、召喚された時に放った熱風をまた放つつもりか!!


「クソ、うご……けねぇ!!」


 全開の神性同期ゴッズトレースを使ったにも拘わらず、倒す事が出来なかった。

 身体は意思に反して、ピクリとも動かない。

 魔力を使って防御する事すらままならない。




 ―――死ぬ。


 ―――確実に、死ぬ。




 ここまで耐えて来た日々は何だったのか。

 ナディアと二人で、共に外の世界を巡ってみたいと思っていた。

 だが、それは叶わないのか……。


 ふと、隣に横たわるナディアに手を伸ばす。

 微塵も動かない身体を、それでも動かそうと藻掻く。

 ナディアも俺に気付いたのか、同じく手を伸ばそうとしている。


 足掻いて、足掻いて、ようやく触れ合った指先の温もりに、安堵と後悔の念が零れる。


 出来れば、ナディアだけでも助けたかった―――


「何と美しい愛なのでしょうか。我が神が、その愛をも焼き尽くし二人纏めて終わらせてくれる事でしょう」


 フサッグが言い終わると同時に星を灼く炎クトゥグァから降臨した時と同じ、いや、それ以上の大熱波が発せられ、俺たち二人を焼き尽くした。

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