消失感

光田寿

消失感


 将来は尻に敷かれるだろうが、権力と富を持っている和恵かずえとの初デートは成功といっても良いだろう。そんな初デートから帰ってきた俺――柏木真一かしわぎしんいちを待っていたのは、摩訶不思議な現象だった。

「私の名前はドクター中松なかまつ! 未来のからやってきた、タイムトラベラーだ」

 部屋の中央。いきなり、奇妙な閃光が走ったかと思うと、目の前に煙を吐く巨大な鉄の塊があった。最初は八十年代のアニメに登場する合体ロボに見えたが、人間の形はしているものの、あちこち鉄の継ぎ接ぎだらけで、ある部分は光沢のあるアルミだが、ある部分は錆びたこげ茶の古臭いハリボテだ。蒸気動力なのか、機関車の煙突みたいなものが後ろから二本突き出ている。

 例えるなら短い手足の甲冑。その甲冑の胸部分の蓋が開いたかと思うと、先のドクター中松という男が飛び出してきたのだ。あやうく俺にぶつかりそうになりながら。

 研究用などに使う白衣を前でぴったりと止めており、胸にはネームプレートがついている。顔は妙な宗教団体の教祖にも見えるし、道端で演説している政治家候補にも見える。要するに胡散臭いジジイだ。異様なのは、足に装着したものだ。底にはスプリング上の板バネが付いており、俺の方に歩いてくるだけでピョンピョンと微妙な飛び跳ねをした。

「あのーちょっと、アンタなぁ、急に現れてなんやの? これ何? 素人向けのドッキリか何かか? ディレクターどこにおんねん。通報するから」

「おや? 私が未来からきたタイムトラベラーという事を信じていないようだな。私の名前はドクター中松!」

 胡散臭い。ドッキリや詐欺では無ければ、精神病院から逃げ出してきた狂人かもしれない。

「わかった証拠を見せよう」

 そういうと中松は鉄の棺桶ロボの中から一枚のポスターを取り出した。ボロボロのそのポスターは見覚えがある……どころか、俺のすぐ後ろの壁に貼ってある、水着アイドルのポスターと同じものだ。一つだけ違う点があるとすれば、中松の出したポスターは色あせている。まるで何年もたったかのように……。

「これを、こうする」

 中松はポスターをくしゃくしゃに丸め、俺の後ろのポスターに投げた。するとどうだ。中松の持っていたポスターが、壁に貼ってあったポスターに命中するなり、画鋲が外れ、二つの紙はくしゃくしゃに丸まり始めた……というより一つになり始めたのだ。もはやただの紙くずとなった、それらチュルチュルという音をたてながら、空気が抜ける風船のように小さく小さくなって……最後に消えた。あとに残されたのは、床に落ちた四つの画鋲だけ。

「どうだ、柏木君。今まさに同時間上の同時空に存在していた物質が消失したのだ。これで私が未来からきたという事がわかっただろう」

「どういう事やねん!」

「君は実に馬鹿だな。まだわからないのか。同じ時間、同じ空間に別個体が存在するとしよう。その二つが合わさってしまうとどうなると思う? 先ほどのポスターのように、融合し、最終的には空間から消失してしまう。人々の記憶からもな」

「ちょぉ待てや! 俺の記憶にはあのポスターのこと、覚えとるぞ」

「それは私や君が物体消失の瞬間を見ていたからだ。だが、やがて君の記憶からも私の記憶からもポスターが消失したという事実は消えてゆくだろう」

 俺の記憶からあのポスターの記憶が? いや、大丈夫だ。俺はまだ覚えている。あのポスターに写っていたアイドルの写真……いや、風景写真だったか? おそらく風景写真だろう。白い浜辺か何かの風景写真だった……と思う。

「おい、おっさん! アンタ、未来から来たいうとったな。何しにきたんや」

「おっさんではない。ドクター中松だ。私が今いる未来ではゴミ問題が深刻化している」

「だから過去の人間に警鐘を鳴らしにきたとかアホな事いうんか? 下手な環境メッセージを伝えにきたんか?」

「違う。さきほど見せただろう。同時空、同時間上にある同じ個体をあわせると、それは消失してしまうと」

 ははん、俺は気づいた。

「そうか! つまり未来のゴミを現代のゴミと合わせて消失させる言うことか」

「馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、やはり君は馬鹿だ。未来に出るゴミは現代では、まだ使われているものばかり。何故それらを消失させてしまわなければならないのだ」

 俺は単純なことを忘れていたらしい。しかしこの胡散臭いタイムトラベラージジイに馬鹿扱いされるのは腹がたつ。

「いいか、この世のゴミを減らすには、この世に存在しうる人間を減らしてしまえば良いのだ。つまり現代の人間を消失させれば、その分だけ未来に存在しうるゴミの量も減るのである!」

「どこぞの寄生生物みたいな事を言いよるなぁ……。ちょ、ちょぉ待てぇ! 爺さん、もしかして俺を消失させに来たとか言い出すんちゃうやろなぁ!」

 中松は俺の方をじぃっと観察していた。だが、足のホッピング靴のせいでピョンピョンと飛び視点が定まらない。その時だ、アパートの壁がドンドンと叩かれた。

「おい! うるさいやろが、ボケぇ! 何時やと思とるがな!」

 やばい、隣人だ。しかし中松は叩かれた壁の方を見ると、白衣のポケットからまた何かを取り出した。俺はそれが最初何か分からなかったが、理解した瞬間、喉の奥で悲鳴を上げた。

「げっ……」

 指だ。人間の指。長いので人差し指か中指辺りだろう。細胞は死滅し、すっかり乾ききった紫色が混じったグロテスクな色をしている。

「あ、アンタ……何がタイムトラベラーや。何がゴミ問題や……。や、やくざやったら、最初からほう言うてくれや……た、頼むから」

「ふむ、君は何かしらの勘違いをしているな。私はドクター中松だ。暴力団のたぐいでは無い。この指が誰の指か気にならないか? 先ほど壁を叩いた手の一部だよ」

「隣のおっさんのか!」

「そうだ。今、君の隣の住んでいる男は、近い未来に廃棄物を垂れ流す最悪のやからとなる。つまり今のうちに……」

 そういうと中松はドアを開け、俺の部屋から廊下へ、ホッピング靴で颯爽と出て行った。俺は慌てて追いかけドアの隙間から中松が何をするのか見ていた。隣人の部屋のチャイムを何度も押している。

「先ほど、壁を叩いた愚か者君。出て来い! 私の名前はドクター中松だ!」

 ドアが開けられる音。隣人が鬼の形相で中松を睨みつけているのが隙間からでも分かる。

「なんやこらぁ! うるさい奴にうるさい言うただけやろ。殺され……」

 瞬間的な出来事だった。何が起こったか分からない。中松が隣人に対し、さきほどの指を投げつけた。全てが指に収束されていく。その瞬間――隣人はただの肉塊となっていた。

「ぐげぎひぃぃいいいぃぃぃぃいっぃいぎぎぎぎぎぎ」

 断末魔とも言えない、不快極まる異様な声と物音。皮膚が指に侵食され、隣人の体が、一瞬にして理科室にある人体模型のようになる。

「ぎぎぃいぎぎぎぎぎぎいぃ……」

 赤黒いこぶから、白い突起が飛び出した。すぐにそれが骨だと分かる。真紅の液体が辺りに飛翔するも、空中で止まり、すぐに指に吸われていく。飛び散らないのだ。生きた内臓が痙攣し、粘液まみれの、むき出しの臓物がチュルチュルという音を立て、指に吸い込まれていく様は、出来損ないの人間のパロディに見えた。チュルチュルチュルチュルゥゥゥゥ――……

「ぎ……――――」

 チュルッ。

 消えた。中松の白衣や体も血を相当浴びたはずなのに、何も無い。眩暈がした。消えたのだ。隣人が。そうだ、隣のおっさん、いや、若者だったか?

「と、まぁ、こういうわけだ」

 まだ口を開けない俺に、中松は平然と語りかけてくる。

「研究の過程で分かった事だが、同じ個体を合わせた瞬間の人体消失には、すでに体外に放出されている汗や涙では駄目だったのだ。故に、人体の欠損部である指を使わせてもらった。あの指は未来で切り取った奴の一部だ。最初、人体の一部分だけならその一部しか個体消失は起こらないと想定していたが、意外や意外、先ほどの様に全て収束されるのだから、結果オーライという奴だ。これも私がドクター中松だからだろう!」

 最後の意味が分からない。俺は今まで何を見て、何を思っていたのだろう。ドアを閉めようとした手が小刻みに震えている。呆然としている俺の方に中松が歩み寄ってきた。

「さて、そろそろ未来に戻る時間だ。柏木君」

「や、やめろ! 俺の部屋に入るな! こっちくんなや!」

 俺は中松をドアの隙間から突き飛ばした――が突き飛ばせていなかった。

「……?」

「なっ、馬鹿な事を!」

 中松があせった顔をしている。俺の手と中松の手が融合していた。なんだこれ? 俺は意味が分からない。俺の全てが持っていかれる。俺が最後に思い出したのは今日の和恵とのデートだった。和恵! 助けてくれ! 和恵! 

……あっ……。

チュル……。

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