二十八日目

「アザミって、結構自信家よね」

 皿を拭き終えた秋桜は、ふと、そんなことを言った。ずっとパソコンに向かい合ってレポートを書いていた薊は、すっ、と顔を上げる。

 部屋にいるのは、僕と秋桜、薊だけだった。竜胆は昼寝しているし、蜜柑と雛芥子センパイは少し遠出をしている──僕らのために化粧品を買いに行ってくれている。まったく、良いパシリである。

 薊はしばし黙ったあと、頬杖をつき、そうかい、と少し不機嫌そうに答えた。

「あ、いや、あなたを馬鹿にしたつもりではないの。むしろ、良いと思っているのよ」

「なんだ……構えて損した。傲慢だとでも言いたいのかと」

「まー、アザミは傲慢ですよね」

「んだとテメェ」

 眉を吊り上げた薊に睨まれる。とはいったものの、こういう言い合いは日常茶飯事、たいしたことは無い。

 傲慢なところが僕は好きなのだけれど。僕も彼女も、自分の意見ははっきり言う、嫌なことは嫌と言う、そういう正直さで売っている。もちろん、無礼だって言いたいわけではない、むしろ薊はそういうのが得意な方だ。蜜柑やセンパイの方が、敬意を示すのは苦手だ。

 しかしながら、僕らは非常に可愛げが無い。礼儀正しいと思われるかもしれないが、可愛らしいと思われることは無い。なんだかんだ可愛がられているとは思うが。

 秋桜にはそういう、可愛げの無さは馴染みが無いのだろう。彼女は謙虚一辺倒で売っているからだ。

「この間の仕事の話を聞いて思ったの。あなた、オンライン授業の講師を二つ返事で了承したって言ったでしょう?

そのときのあなたは、『オンライン授業の講師、できる?』と聞かれて、『できますよ』とだけ答えた、って言ってたわね」

「そうだけど。何が悪いの?」

「悪くないわ。自信家なのね、と思っただけよ。普通の人は、『やったことが無いので分かりませんが』とか、『まだ分からないです』とか言いそうなものだから。私も、『たぶんできます』」

「はぁ……? 何の言い訳だよ、それ。やりゃァできんだろうが、なに予防線張ってんだよ」

 薊が顔を顰める。秋桜が慌てふためいて手を振って、違うのよ、と必死に否定するも、薊お嬢様はお怒りのご様子。

 気持ちは分かるな、と思う。普通は、絶対にできないとか、必ずできるとか、そういうふうに思わせるのは悪手だ。任せてください、と言おうものなら、あとで失敗したときに信用を損なうだろうから、責任逃れのために答えをぼかすのが無難である。自信が無いのなら、分かりません、と一言言うだけで良い。

 最も良いフレーズはこれだろうか──まだやったことがありませんが、やってみます。分からない点などあったら、教えてください。

 思いついたは良いものの、僕は、うえぇ、と不味いものを食べたような反応をしてしまった。薊と秋桜がこちらを見る。

「いや、考えてみたは良いけど、『まだ分からないけれど、できると思います』とかまどろっこしくない? 情報量が多い。僕だったら『できます』一言で済ませますね。こう言ったからって何の説明も無く始めるわけ無いでしょうに?」

「そうだよ、なんでやりゃァできんのにできないみたいなこと言うわけ? どうせできんなら『できます』で良いだろうがよォ」

「人によっては、違和感を感じるかもしれないわ。まだ分からないのに、どうしてそこまで自信満々に言えるのでしょう、と」

 人によっては、というより、謙虚な秋桜にとっては、だと思いたいのだが、現実はそうもいかない。人々は他人に謙虚さを求めている。部下となればなお当てはまるだろう。口だけでかい人間だと思われたらおしまいである。

 薊はこれから社会人になるが、すでに社会人たる僕に言わせれば、謙虚さなどなくてもやっていける。ただし、実力が伴った場合のみだ。つまりは、僕は実力が伴うからこそ、二つ返事で了承するのだけど。それから分からないことなど聞けば良いのだ。とはいえ、本当に可愛がられる部下とは、教えてください、できません、と言う輩だとは思うが。

 当然、薊お嬢様はよりいっそう不快そうにへそを曲げる。秋桜は、ごめんなさい、と言って頭を下げた。なにもそこまでしなくても。

「否定するつもりは無かったのよ」

「ったく……確かに言葉は足りなかったかもしれねェ。分からないところもあるから、そのときは教えてくださいね、にっこり、で良かっただろうな」

「あなたがそう思うなら、それで良いんじゃないかしら」

「まったく。自らを卑下してから何かを言わなきゃならねぇなんて、平安時代の女貴族だな。ポテンシャルがあると自覚してるから言ってんのになァ」

 秋桜は、そうね、と答えて、僕の向かい側に座った──とはいえ、目線はソファでくつろぐ薊の方へ向いている。薊は点いていないテレビを──ワイドショーなんざごめんだ、だそうだ──眺めて考え込んでいるようだった。

 最近は他人と接していないから、薊も他人との接し方を忘れていたのだろう。僕らは別に、薊が、ボクにまかせてよ、と言いながらネットで情報を集めて解決する様を見て、自分じゃできねぇのかよ、と馬鹿にしたりはしない。そういうときに、他の情報をすぐ参照できるのも、薊のポテンシャルだ。仕事で言えば、分からないことがあった場合は、何が分からないかちゃんと理解してから質問をしにいく、ということである。それは「仕事ができる」うちに入らないだろうか? 僕は入ると思っている。

 薊は仕事ができるし、覚えるのも早い。何を任せても、すぐにできるようになる。だからこその自信なのだろう。聞いたところによれば、彼女は仕事を始めて一ヶ月程度で集団授業ですら任されるようになったらしい。研修期間にさえそのような仕事を任されるくらいなのだ、彼女の言う「クソくだらない序列制度」さえ無ければ、奨悟共々最前線として働けるだろう。

 彼女の「できる」は、本当に「できる」のだ。そこに要する時間は必要だが──研修無しで本番を任される新人がいるものか──非常に短期間でできてしまう。僕が器用ならば、薊は真面目だ。だから、すぐにできるようになる。彼女はそれを自覚しているだけで、責められることなんて無いのにな、と思う。

「まぁ、アザミが本番で上手くやれりゃァ帳消しになるでしょうに。それに、向こうだってアンタに任せたくて聞いてきたんでしょう? できない奴に声なんざかけないさ」

「……そうだな、ボクでもそうする」

「そして僕が上司なら、正直で真面目な奴を選ぶ。アンタの上司が可愛い可愛い部下が好きなら知らんけど」

「そうだな。ボクは実力で示してやれば良い。慎ましいお姫様がお望みなら、そこらの股の緩そうな女子大生でも捕まえてこいってんだ」

「こら、アザミ、それはさすがに失礼よ」

 薊も秋桜も真面目な顔で言うものだから、僕は思わず笑い出してしまった。酷いジョークに、真剣に返す秋桜。まぁ、確かに、薊はこういうところが卑劣というか、品性が無いというか。彼女も外では必死で礼儀正しいクールビューティーを演じているのだろう、たぶん。

 彼女にはきっと、可愛らしい顔をして、できるかわかりませーん、がんばってみまーす、みたいなのは似合わないのだろうし、彼女自身やりたくないのだろう。そんな彼女の事情を汲んでいる白い壁の囚人たちは、そうだからこそ彼女を頼っているわけだが、木の扉の向こう、常識が占める世界ではそうもいかない。あまりにも長い間隔離されすぎたのだろう、僕らは。

 常識と謙虚の波の中、僕らはどうやって外人と──外の人と書いて、ガイジン──付き合っていくか、再び考える時期が来たのだろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る