第3話 君の強さが好きだから

紺碧の空と純白の雲。湿度の高い日本の夏は、このカラッとしてそうな空とはどうにも矛盾するように思える。コの字型の校舎の間に設けられた中庭の、木で陰が出来る一画に古ぼけたベンチがある。日除けがあるだけで矛盾が少し解けるようなその場所に、女子生徒が2人並んで座っていた。


背の高い夜月よつきが膝に乗せた無骨な透明タッパーの中には、不釣り合いなほど鮮やかにおかずが盛り付けられている。旬の茄子と豚コマ切肉の炒め物、ごまで和えたオクラ、ゆで卵。ご飯の真ん中には真っ赤な梅干し。

「今日もよっちゃんのお弁当、美味しそう〜」

「弥生のも、今日も可愛いね」

弥生のお弁当は、おにぎりに海苔やハムで顔を描いたいわゆるキャラ弁だった。2人とも自分で準備をしてきた弁当だ。

「ありがとう。つい楽しくなっちゃって」

照れたように笑うが、弥生も満更でもない。自分の成果物を褒められるのは嬉しいものだ。夜月は、弥生が揃いで弁当箱を入れる巾着を作ってきた時も、こうして褒めてくれた。


木漏れ日を反射してキラキラと輝く弥生のブロンドの髪を、夜月は愛おしそうに眺める。

2人は今年この高校に入学した1年生だが、夜月の180cmという身長と、弥生の金髪は、目立つ。しかし彼女らは堂々としたものだ。


「弥生、茄子好きでしょ。はい、あげる」

そう言って夜月は箸で茄子炒めを持ち上げた。

「ありがとう」

弥生は自分の弁当箱を差し出した。空いたスペースに置いてもらおうという意思表示だったが、夜月はそれを無視し、左手を受け皿のように添えながら、箸を弥生の口元に持っていく。

「……よっちゃん、からかわないの」

「からかってなんかないよ。はい、どーぞ」

夜月は良い笑顔だ。そのまま写真館の広告に載せられそうなくらいだ。

弥生は観念して、小さな口を慎ましく開いた。

茄子をその口内にそっと押し込めて、夜月は満足げだ。

「よっちゃん、私よりよっぽど欧米の人みたい……」

「ん?こんなこと弥生にしかしないよ」

「そういうことじゃなくて……」

オクラを咥えてきょとんとする夜月に、弥生は額を押さえて見せた。




母はイギリス生まれ日本育ちのダブル。父は日本生まれ日本育ちの日本人。弥生は日本生まれの日本育ち。母譲りのくすんだブロンドに、父譲りの顔立ち。

弥生にとってはただ父に似ている、母に似ている、というだけの話だったが、幼稚園から高校入学した現在に至るまで、周囲の反応は様々だった。


髪の色を派手で生意気だと詰られたこともあれば、外国籍と勘違いされて妙に近い距離感で接されたこともある。ちなみに英語は教科としては得意だが、それだけだ。

どちらにせよ弥生の意図と関わらずこの髪は目立ち、人を集めた。


そしてそれと反比例するように、歳を重ねるごとに弥生の口数は減っていった。

話しかけた側は勝手に弥生のことを解釈し、期待し、適当なところで離れていった。それを寂しく思わない訳ではなかったが、それ自体は嫌いでない髪色を変えて迎合することも、ただ生まれつきそうであるだけの特徴で注目されるのも、彼女にとっては疲れてしまうだけだった。


1人で本を読み、裁縫をして、料理にハマり、手先の器用さにばかり磨きがかかった。黙るという手段は消極的にも見えるが、彼女の内面は充実していたし穏やかだった。中3の梅雨までは。


受験のストレスも重なったのかもしれないが、3年で初めて同じクラスになった生徒が中心になり、弥生をいじめの標的にした。

持ち物が無くなったり、話しかけても無視されたりは日常で、何度かは怪我もした。誰かに言いつけることも、やり返すこともしなかったが、それは内心だけでの反逆だったかもしれない。


それでも1人で食べる為だけに凝った弁当を作る程度には弥生は強かったし、友人の数よりも成果物の記録の方が彼女の支えだった。

そんな弥生は、同じ中学の生徒があまりいない、遠くの高校を選んだ。


そのはずだったが、よりにもよって同じクラスに1人、3年の頃の弥生を知る元クラスメイトが入学していた。

それでも弥生のやることは変わらない。毎日弁当を作り、学校で勉強をして、帰るだけ。




だが、ひとつ予想していなかったことが起こった。

「可愛いね」

教室で1人広げていた弁当に、夜月が寄ってきたのだ。その日弥生が持っていたのは、自宅の犬をモデルにかなり細かい作業をした弁当だった。そのまま夜月は許可をすっ飛ばして、空いていた前の席に座り、自分の弁当を広げた。

「ありがとう」

「アタシも料理は好きだけど、そういうのを作る力も根気もなくてさ。アンタ凄いよね」

弥生の見た目も、1人でいることも、全て脇に置いてただ賞賛を寄越した夜月。弥生はこの同級生をどう扱っていいかわからなかった。しかし夜月のハスキーな声は、少し心地よかった。


結局渋々といった顔で、弥生は夜月と昼食を共にするようになった。夜月は日々弥生のことを褒めた。


「弥生はほんと、器用だね」


「今日の弁当も可愛い!弥生も可愛い!」


「アタシもやってみようかな……って、弥生ほどは出来ないけどさ」


「弥生の料理、好きだな。勿論弥生のことも」


弥生にとって料理も裁縫も自分を心を守る砦だった。それを外から褒められることは慣れないし、不思議でならなかったが、夜月はいつも本気だった。




ある日のこと。それもまた、梅雨の長雨の最中だった。

移動教室から帰った弥生を、忍び笑いが迎えた。それは慣れたものだった。

ロッカーの中に入れていた筈の体操着が、箒の柄にかけられて窓の外へ飛び出していた。外は雨で、当然体操着は濡れていた。

ため息をつきつきそれを黙って回収した。夜月には、見せていない。


その後も何度かそんなことが続いた。消しゴムが無くなったり、机から虫が出たりは経験があった。もはやただ耐えることしか弥生は知らない。


だが、この時ばかりは身体が震えた。

机の上には、弥生の弁当が置かれていた。ひっくり返され、チョークの粉を振りかけられて。

五月晴れの明るい空が、弥生には真っ暗闇に見えた。誰がやったか知らないが、教室全てが自分を嗤っているように思えた。

砦を壊され、崩れ落ちないように必死に身体を支えることで、精一杯だった。

耳障りな忍び笑いと、内緒話。

彼らの前でだけは、平静でいたかった。


突如、金属と木材が衝突する音が、弥生の耳から嘲笑を消しとばした。

蹴り上げられた机は勢いのままドミノ倒しのように前の机を巻き込んだ。夜月はダンッと右足を空になった椅子に乗せる。

「コソコソヒソヒソザワザワ……ウザってえんだよテメェらよぉ」

教室の音が止まった。座った目で教室を見回すと、夜月は弥生に向き直った。

「弥生!」

夜月に抱きしめられていることに気づくまで、少し時間がかかった。

「そうやって耐える強さも、黙っちまう奥ゆかしさも、アタシが好きだって思った弥生なんだ。堂々としてりゃいい。髪も、裁縫も、料理も、その偏屈さも、可愛い弥生の一部だ!」

窓から差す光を浴びて、キラキラと輝く夜月の鳶色の瞳は誠実で、あまりにも綺麗で、弥生は息を飲んだ。


今日まで夜月が浴びせ、弥生の中に積もった好意が、涙として溢れた。自分に向けられた友愛を認めたのは、初めてかもしれない。

「アタシは弥生には弥生でいてほしい。最初にあった時から、儚そうなのに凛としたアンタから、目が離せなかった」

それは自分と違うからかもしれないし、あるいは似ていたからかもしれない。


だから、と夜月は再び教室の生徒たちに圧を込めた視線をぶつける。

「これからはアタシが弥生を守る。んだけ言っとくぞ。わかったか!!」




弥生とその元同級生は知らなかったことだが、後から聞いた話では、夜月は元々その腕っぷしと喧嘩っ早さから、誰を率いているでもないのに、中学では『番長』と渾名され一部で恐れられていたらしい。

この一件でそれを知る者が弥生から手を引き、それを見た他の者も何もしなくなった。

今ではわざわざ弥生をどうこうしようという生徒はこの学校にはいない。


触れられなくなると、これはこれで浮いてしまった気もするが、1人味方がいるだけで案外気にならないものだった。

自分が何者かは、自分で決めて発信せねば伝わるまい、他の誰にも伝わらなくとも彼女だけは隣にいると、夜月は教えてくれた。

初めて、失ってはならない友を得たと思った。


教室にいると遠巻きに見られていることもあって、今のところ2人は外で昼食を摂っている。しかし同級生ともそろそろ話をしてもいいかもしれない。

「はい、今度は弥生もあーんして」

「え、やだ」

「はっきり言ってくれるのも好き!」

今はむしろ教室でその糖度の付き合いを見せつけることの方が遠巻きにされている理由なのだが、弥生は、気づいていない。

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