第2話 身なりで判断しないでよ

入学式のその日から、教師の視線が痛かった。

なんなら制服の採寸に来た日から目をつけられていたのだろう。

派手な髪色、化粧、アクセサリー。そんな生徒が3人、入学早々に職員室に呼び出されていた。部活動に勤しむ生徒たちの活気あふれる声を遠くに聞きながら、江は申し訳程度も服装を変えることなく、職員室を訪れた。


「金髪も化粧も、学生には相応しくない。周りは見た目で判断するんだぞ」

生活指導の林は諭すように言う。江にとっては、納得のいく話ではなかった。

隣のクラスにも、金髪の女生徒がいるのを知っている。その生徒の髪は生まれつきらしく、教師も触れない。勿論生まれ持ったものなのだから咎められる謂れなどないと江も思う。が、それを認める分別があるなら江の趣味も認めてくれればいいのにと思う。誰に迷惑をかけているわけでもないのだから。

憮然とした態度を隠すこともなく、ちらりと横を見れば、綾美と桜子も気に入らないようだ。


教師からは派手な身なりで一括りにされがちだが、3人の『派手さ』は三者三様である。

江は短く折ったスカートの下にスパッツを履き、ネクタイはリボン結びにしている。色を抜いた髪は大きなシュシュで束ねてすっきりさせているつもりだ。

綾美はスカートの中にパニエを入れてボリュームを出した格好だ。シャツにもフリルが縫い付けてある。暗い茶髪は毎朝時間を掛けて巻いている。

桜子はスカートではなく兄からもらったスラックスを着用している。ブレザーの下に着た紫地のベストが色鮮やかだ。アッシュグレーに染めた髪を少し刈り上げている。


江と綾美は中学から、桜子はこの春高校で出会った友達だ。趣味は違えど通じ合うものあっての関係である。勉強を真面目にやってるとは言い難いが、ただ好きなことをしたいだけで、サボりも喧嘩も煙草もしてないし、見た目だけで言われるのは心外だった。


「聞いてるのか!」

林が今更になって江たちの態度を叱責する。最初からこうだったのに、遅いって、と内心面倒に思いながら、江は答えた。

「聞いてますよ。大人しい見た目にしろって」

「大人しい見た目じゃない。校則にのっとった高校生らしい服装だ」

林が眼鏡を押さえる。

「パニエ履いたらダメって校則に書いてるんですか?」

綾美が眠そうに口にした。明記はされていない。そもそも校則制定時に『パニエ』というものが想定されていないだろう。

「学校は勉強をするところだ。制服は、高校生に相応しく清楚な着こなしを……」


ヒートアップしそうな林を鬱陶しく思っていると、それを遮る者が横から現れた。

「林先生。1年3組の分の課題、置いておきます」

「古谷!ありがとう、もらっておくよ」

林は、ノートの山を持ってやって来た生徒に、やたらにこやかに礼を言った。それが江にとっては虫唾が走る光景に思えた。


古谷久仁子。彼女は真っ直ぐな濡羽色の髪を几帳面に束ね、細いフレームの眼鏡を掛けた、絵に描いたような優等生だった。林に、そして話を遮られた江たちに頭を下げた。

綾美と桜子にとっては、入学式の新入生代表挨拶で顔を見たことがある程度の他人だった。しかし江の脳裏には、久仁子が赤の他人から、近づきたくない他人に昇格した瞬間が浮かんでいた。




「髪の色と化粧、生活指導の対象ですよ」

すれ違いざまに久仁子は言った。職員室で林に見せたのと変わらない無表情だった。

「は?」

威嚇でも反抗でもなく、江はただ驚いて聞き返した。久仁子とは話したこともない。いきなり見ず知らずの江を、目立つ身なりで避けるでも寄るでもなく、そんな風に注意する者は少ない。

「染めてますよね?」

江が黙っていると、久仁子は繰り返した。

「正義感のつもり?なんでアンタに言われなきゃなんないのさ」

「事実を言っただけなんだけど。えっと…シエ、さん?」

『シエ』というのは、江の名前の漢字をもじって綾美が呼び始めたあだ名だ。呼ばれているのを聞いたか知らないが、よく知りもしない奴に呼ばれる謂れはない。江はその問を無視して、教室に入った。久仁子も追いかけなかった。

その時から江は、出来るだけ彼女に関わらないでおこうと思った。




「古谷はどう思う、こういうの」

林が去ろうとする久仁子を呼び止めた。江は面倒でたまらなかった。一刻も早く出ていきたい。せめて人を巻き込むな。

「まあ、髪を染めたり化粧をしたりは、校則で禁止となっていますね」

ほらやっぱり。久仁子は江たちの好きな服を着れない時、自分を表現できない時に感じる息苦しさなんて知らない。

「『高校生らしい』や『清楚』となると主観が多分に含まれますが」

そう付け加えると、久仁子は林に説明を求めた。林はさして納得のいく答えは返してくれない。ただひとこと言っただけだ。

「まあ、小谷は大丈夫だ」

「わかりました」

薄く笑うと、久仁子はもう一度会釈した。何がわかりましただ。きっと林の言う通り学校には勉強だけしに来ていて、服装なんてなんでもいいと思っているのだろう。


「すみません、先生。そこの3人と勉強をする約束をしてるんですけど、いつまでかかりそうですか?」

目を丸くする江に、久仁子は目配せした。桜子がそのまま話を合わせて押し切って、3人は林から解放された。

職員室の引き戸を閉めて、伸びをする。江には何が何やらわからない。

「納得したなんて言ってないわよ」

先を行く久仁子は、振り向かずにそう呟く。

「内容を理解したと言っただけ。それを私が受け入れるかは別の話」

余計な言葉を発するのは損だ、と久仁子は付け加えた。

「ところで3人は、土曜日何か予定がある?」




江も綾美も桜子も、学校には制服を着ているだけ随分譲歩しているつもりだった。休日の今日は、それぞれ大胆に太腿を出したミニスカや、柄の入った生地にフリルをあしらったワンピース、ビビットカラーのワイドパンツだ。


待ち合わせたはずなのに、久仁子がなかなかやってこないことで、彼女たちの間に戸惑いと苛立ちが流れ始める。


ふと綾美が何かを目にし、眉を寄せる。それに気付いた桜子が視線を辿ると、ショッキングピンクの髪を垂らし、たっぷりした黒のパーカーをホットパンツに合わせた女性がいた。長く濃いまつ毛と真っ赤な唇は似ても似つかないが、その輪郭や目の形はおそらく……

「もしかして……委員長!?」

声を聞き薄く笑うと、ピンクの女……久仁子は江たちに近づいた。どうやら皆が気付いて話しかけるのを待っていたらしい。

「え、どういうこと!?」

実は猫被り!?と驚く綾美に、久仁子は大仰に肩を竦めた。

「失礼な。好きな時に好きな格好を場に合わせて着てるだけじゃない。一緒よ」


江は雷に打たれたように衝撃を受け、突っ立った。もしや自分の方が、久仁子を見た目で判断してやいなかったか。初めて声をかけられた時のことを思い出す。今考えると、あれは教師に注意される前にと忠告のつもりだったのではないか?ひょっとしてこの女、不器用なだけか?そう思うと、なにやらかわいらしく思えてきた。というか、服はかなり好みだ。


綾美と桜子は興味が尽きない様子のまま、久仁子を急かし歩く。それウィッグ?という綾美の問いを流すように肯定すると、久仁子は振り返った。


「行くわよ、シエ」

「ああ、今行くよ、久仁子」

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