桜の名所といえば、お池のある公園だ。今でこそ、公園の桜は近隣の街にも名高いが、かつてはそこまで知られていなかった。それでも季節となれば、花見客の賑わいは相当だった。


 他にも桜の名所は幾つもあった。国立の研究所、私立大学……台地にある街には、上水以外にも、様々な川があったので、そのほとりにも桜の綺麗なところがある。


 なかでも印象深いのが、ある大学の桜だ。

 校門の入り口には「関係者以外立入禁止」と、ささやかな立て看板があるものの、桜の時期だけは近隣の人々が行き交う、地域に親しまれた大学だ。


 ある日、母がその大学の桜の話を聞いて、見にいこう、と言い出した。自転車を出し、緩やかな坂を下って登って下ったのだろうか。ちょっとした距離をいくと、大学の裏門についた。


 裏門から入っても大したことはない。春を迎えたばかりの静かな大学だ。

 「大学ってこんなところなのかな」。こじんまりとした印象が強かった。


 裏門から入って、ぐるっと回って、教会を右手にロータリーに入ってはっとした。


 ずっとずっとまっすぐな桜のトンネルが続いていた。

 「おかあさん!これ!」

 思わず私が声を出す。


 先はうまく見通せず、どこまで続いているかわからない。人通りも多くない。近隣の住人と思しき人たちがめいめいに、桜を楽しんでいる。


 もちろん、大学の構内だから、ビニールシートを広げる人もいないし、お酒を飲む人も電飾もない。


 静かにゆっくりと歩を進める、春の時間の姿がそこにはあった。


 その時から年齢が二倍になった頃。私はカメラ・スマホを持ち、桜はもちろん、他の日々も撮るようになった。

 この大学に入学したのである。


 教職員と学生、それから興味のある人しか知らない秘密がたくさんあった。

 学園全体が保護された緑地であり、キャンパスの建物群はそのごく一部に集中して建てられていること。

 謎の生き物が夜な夜な闊歩していること。

 春を告げるのはまず河津桜だということ。

 実は一部の学生が毎年成る梅をとって、梅干しをつける習慣があること。

 ニュートンの林檎の木があること。


 実はあの桜のトンネルは、戦争の遺物な一つだということ。

 この学園の敷地は、終戦まで飛行機を開発していた軍需工場の敷地にあった。今でも隣には、その企業を継承した会社がある。

 本当かどうかわからないけれど、まっすぐな桜のトンネルはその飛行機が飛んでいたということで、滑走路と呼ばれていた。


 戦後、その軍需工場の敷地に、日米の有力者が協力して資金を募り、建てられたのがこの学園だった。


 緑地として大切に保存されている奥には、他にも戦争の遺構があるという。すぐ近くの小さな飛行場にも、同様に遺構がある。


 この静かで、でも何もかもが活発な、何にも臆せず、個人と自由と智と学術性を重視する学園は、学生・教員が各国から集う、戦争を越えた日米の友好の象徴でもあるのだった。


 その入り口こそ、滑走路と呼ばれる、あの桜のトンネルなのだった。

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