第5話 これが日常

 日が傾いてきた中、僕は斑目と二人で我が家へ帰っているところだった。


 正確に言えば班目は付いてきているだけだけど。


「じゃあまた明日」

「ああ」


 そういって班目より先に家に着く。


 本当は班目を送っていってから自分の家に戻るほうが良いのだろうが、彼女がかたくなに拒む。そういう恋人ごっこは、恋人になってから、ということだろうか。


「ただいま」


 家に誰もいないことは分かっていたが、いつもの習慣だ。


「ワンワン!」

「お〜ちー太。寂しかったか〜?」

「ワンワン!」


 タックルしてじゃれてくる。愛情表現が重いのがこいつのよくないところだ。よーしよし、かわいい。


 こいつの名前はカルロス・J・ちー太。


 妹が「カルロスがいい!」と言って、便乗する様に母が「ジャッカルでしょ」と言ってきてさすがにかわいそうだったから僕が「ちー太にしよう」と提案したら、合体してしまって1番悲惨ひさんなことになった。


 ちなみに父親はいないわけではなく、「ポチにしよう」と言ったら、「・(ポチ)」になっただけである。これだけでこの家のパワーバランスが見えてくるというものだ。


 この犬は拾い子である。


 雨の日に道端に捨てられていたのを見つけてうちに連れてくることにした。柴犬を飼いたいと妹が言っていたので、妹ちょうどよかろう、と連れて帰ってきたところ母に叱られた。それでも最後には許してくれたが。


「んー? お腹空いたのか? よしよし、いい子だ。ちょっと待ってろ」


 もう飼い始めて5、6年になるからか、大体何を考えているのか分かるようになった。


 そんなちー太がむしゃむしゃとドッグフードにありつくところを見ながら、ふと斑目のことについて考える。


 彼女との出会いは一年前。入学してから一か月も経たないうちだったと思う。


 一年前、僕が学校で孤立した時、僕に学校での居場所をくれたのが斑目だった。


 探究部という、部活名の由来はさっぱりだが、それでも居心地の良い場所を与えてくれた、紛れもない恩人である。もはや命の恩人かもしれない。


 だが、時々不安不安になるのだ。


 いつまで経っても恩を返さない僕を、班目がずっとあの部活に置いてくれるのだろうか、と。


 ――いや、斑目のことだ。見返りなんか求めていないだろうし、ましてやそれを気にして追い出す真似まねなんかしない。彼女は常に周りを助けていて、他人に失望して排除するなんてことはない。ないのだ。


 だがそれでも不安になる。それは僕にとってあそこは最後の居場所であり、学校に行く唯一の目的でもあるのだから。


 失った時のことを考える、万が一を考えてしまうのが、僕の小さく弱い部分だ。


「……はぁ」


 心の負担になってる重たいものたちをため息に乗せて吐く。ただの逃避だが少し楽になった気がした。


 とりあえず今は目下もっかの目標である鱈井の友達の問題について。その先のことは、その先の僕が解決してくれるはずだ。




 だが翌日、朝早くに学校に登校してあちこちうろついてみたが、特に噂が流れている印象はなかった。


 さすがに二股しているなんてうわさが流れていたら、なにかこちらを見て陰口らしきものを言うはずだ。それに噂は直線的ではなく加速度的な広がりを見せる。始めは広まりづらいものだ。


「こればかりは待つしかないな」

「そうだね。まだこれからだよ。鱈井さんの方はきちんと噂を広めているんだよね?」

「は、はい! も、もちろんです……!」


 というわけで収穫もないまま、放課後になってしまった。部活の時間だ。


 今日から鱈井も行動を共にする部員(一時的なもの)である。


 鱈井はまだ恥ずかしがっているが、昨日よりはほぐれているように見える。


 だが。


「今日はもうやることがないね。じゃあ鱈井さんは帰っていいよ」

「えっ……!」


 今日は特にやることもないのだ。せっかく打ち解けてきたところ申し訳ない。


 そのため班目が鱈井に帰るように促すと、意外そうな顔で鱈井は口を開けている。


「あ、いえ……別に帰りたくない、と、とかではなくて……。そ、そう! やることがないのに班目先輩とそこの詐欺師先輩は帰らないのかな……と思って」


 言い訳するように早口でまくし立てる鱈井を班目が落ち着かせる。


 まあ、たしかにやることがないのに部活をする意味もないと思われそうだが。


「うちは部活って常に何もやってないからな。やることがなくなっても部活としては動いているわけだ」

「ちょっと柊くん。部活動自体はちゃんとやれているよ。何回言ったら分かるのさ」

「いや、そもそも何を探求したいのか分からない部活なんだが……」

「えっ、あ、あの柊先輩も知らないんですか?」


 これまた意外そうな顔で尋ねてくる。


「ああ、知らない。知らされていない。訊いたことはあったんだが、いつも適当に誤魔化ごまかされてしまうんだよな。誤魔化す、というよりは意味不明、か」

「君がいてくれればそれだけで探求部になるの。だから、君が帰るとむしろ部活をやっていないことになる」


 ほら、こんな感じで。


「まるで帰宅部の逆だな。在宅部、みたいな」


 いや、べつに学校は家じゃないか。第二の家となりうるのは学校や塾ではなくベッドだと思う。家の中の家。男の中の男みたいでかっこよい。


「というわけで僕たちは学校に残るから。鱈井は部活か?」

「いえ、私は特に部活に所属していませんから。……よろしければお二人の部活の様子を覗いてもよろしいでしょうか?」


 おずおずと聞いてくる。鱈井の好奇心と不安で構成された視線が班目に向けられている。


 その班目はというと、鱈井の提案に少々難色なんしょくを見せている。


「そんなに悩むことか? 別に見られて減るもんじゃないだろ」

「そうだけど」


 どうしてか簡単にはうなずかない班目を、しょんぼりした顔で鱈井が見ている。少し可哀想だな。


「まあいいんじゃないか。邪魔になるようだったら帰ってもらえばいいだろう」


 助け舟を出してみると、鱈井に驚いた顔をされた。目をぱちぱちさせている。


「まあ柊くんがそこまで言うならいいか。いいよ、鱈井さん」


 班目が折れて許可を出すと、鱈井はやったーと声を上げて喜んだ。


 その様子を不審に見る僕と、不安そうに見る班目だった。

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