第46話『教師の思いと生徒の思い』

 蒼脈師学院からサクラたちの走力で北に一時間の地点。再開発が決まっている煉瓦造りの街並みは主を失い、物悲しげにさびれている。

 その中でもひときわ大きく、そして朽ち果てた七階建ての屋敷の平屋根にサクラ・ソウスケ・キュウゴの三人が息を殺して潜んでいた。


「ここが件の屋敷であります」


 キュウゴは、かろうじて聞き取れる声で言った。

 瞳を閉じたサクラは、鼻を数度鳴らして頷いた。


「キュウゴの言う通り、ここで間違いない」

「ほんまかいな。根拠は?」

「ツバキの匂いがする」


 ソウスケとキュウゴは凍り付いているが、サクラはいたって真面目だった。鼻腔に広がるのは、サクラがこの世で一番好きな香り。屋根に空いた穴から仄かに香ってきている。


「ほら。スウィーティーで綺麗可愛い匂いがするじゃん。これはツバキの使ってる香水とシャンプーと体臭が混じった匂いだってば」

「……ワシは、なにも感じんわ」

「サクラ殿……ちょっと変態であります?」

「あんたに言われたくないっての!! あんたにだけは!!」

「まぁええわ。変態の言うこと信じるで」

「誰が変態だっての!?」


 ツバキが屋敷の中に居る可能性は極めて高い。しかし確実ではない。となれば確証を得てから煙弾を打ち上げなければ無駄になってしまう。


「よっしゃ。キュウゴ、大気の干渉制御や」

「兄上に気取られるであります」

「せやけど、ツバキが居るか確認せなあかん。煙玉を無駄にできんからな」

「しかし……」


 煮え切らないキュウゴの両肩にサクラは手を置いてまっすぐに目を見つめた。


「キュウゴ、あんたならできるってば。あとさ、さっきは酷いこと言ってマジでごめん。全部終わったらちゃんと謝らせて」

「サクラ殿……いえ自分こそ謝りたいであります。今度こそ嘘偽りのない自分を知ってもらってあらためて友達になりたいであります」

「中等科からのあんたがあんたでしょ? エロでバカでクソ野郎な」

「ひ、ひどいであります」

「でも信じてるからね、ダチ公」

「サクラ殿……今度お詫びにお乳を揉ませてください。気持ちよくするであります」

「ソウスケのでも揉んでろ。逞しいぞ」

「ソウスケ殿のお乳」


 キュウゴは、ソウスケの胸板を見つめ続けて、こくりと頷いた。


「……ふむ」

「まんざらでもない空気出すなや!! はよ建物の中を索敵せぇ! このドアホ!!」


 鞘からなるべく音を立てずに蒼脈刀を抜いてキュウゴは意識を刀身とそこに触れる大気に集中する。


「中に人がいるであります。十数人。でも呼気を感じない。その中でも女性は三人」

「男女も分かるんか?」

「お乳の大きい人であればわかるであります。今大気を通して感じるこの大きさは、ツバキ殿!?」

「言ってることはマジ変態だけど……」

「役に立っとる分、抗議も出来へんな……」

「でも殴りたい! ツバキに大気でお触り変態かますこのセクハラ野郎をあたしは殴り潰してやりたい!」

「あと……兄上もいるであります」

「そっちも分かんの?」

「……家族でありますから」


 サクラとソウスケは、何も言わなかった。励ましの言葉を口にしたところで何の役にも立たないと理解していたからだ。

 今三人がやるべきなのは、この場所をユウキに知らせること。

 ソウスケは、懐から煙弾の紙筒を取り出すと、屋根のひび割れに突き刺して固定した。


「よっしゃ。時限式にした煙玉を置いて、いったん退避や。サクラ分かっとるやろうが」

「分かってるってば……あたしたちが突っ込んでも歯が立たない――」


 やるべきことは煙弾を打ち上げて退避すること。できることはユウキの到着を指をくわえて待つこと。サクラが自分の無力さを噛み締めていると、まばゆい光が屋根の隙間から漏れ出してくる。

 次の瞬間、屋根を突き破り、目のくらむような輝きを放つ魔力弾が飛び出し、弧を描きながら南へ飛び去った。


「なに!?」


 サクラが困惑を声にすると同時に、屋敷の五階部分の壁が内側から砕けれ、人影が姿を現した。カラスである。

 カラスは、着地と同時に石畳を蹴り、魔力弾の飛び去った方角を目指して走り出した。


「兄上?」

「どうなっとるんや。今のが殲滅法撃か」


 戸惑っている暇はない。カラスが目的を達成した以上、最も懸念すべきはツバキの身の安全だ。


「ソウスケ今すぐ煙玉あげろ!! 即時着火!」

「す、すまん! ぼーっとしとったわ!」


 サクラに言われるままソウスケは紙筒に気力を込めて上に掲げた。すると紙筒の先端が破裂。上空に黄色く重ったるい煙が広がった。

 煙弾の起動を確認したサクラは、鞘から蒼脈刀を抜いて柄を握りしめる。


「すぐ屋敷に入るよ!」

「中がどうなっとるか分からんで!!」

「だから入るんだってば!! あの中にツバキが居るのだけは間違いないんだから!!」


 サクラは殲滅法撃が飛び出した際、屋根に空いた大穴から屋敷の内部に侵入した。遅れてソウスケとキュウゴも室内に入ってくる。

 部屋の中で立っているものは一人としていない。皆が床に横たわっており、部屋の中央に居るのはツバキだ。


「ツバキ!!」


 神に祈りながらサクラはツバキに駆け寄った。お願いです。生きていてください。親友を奪わないでください。願いを両腕に込めてツバキを抱き起した。

 まだ温かい。呼吸も感じる。手遅れじゃないはず。


「……サクラ?」


 ツバキの青い瞳がサクラを見つめ返してくれる。


「よかった!! 生きてた!!」


 腕に込められるだけの力を込めてツバキを抱きしめる。


「苦しいよ……」

「ごめん。でも我慢して。抑えらんないの……」

「よかったで。無事でよかったわ」

「ほっとしたであります。よかった……」


 ツバキの無事を喜び、感情が一段落したところで気になるのは、この無数の遺体だ。


「しかしこの死体はなんや? カラスがやったんか!?」

「違う……その人たちは蒼脈を魔法陣に捧げたんだ。私の蒼脈が足りないって言って、その人たちは自ら蒼脈を捧げた」

「せやけど、蒼脈使い切っただけで死なんやろ。生命維持とは何の関係もないんやで」


 蒼脈は全ての生物が持っているわけではない。むしろ持っているもののほうが少数派だ。生物の活動には本来必要のない代物。仮にすべてを使い果たしたとしても疲労すら感じない。そんな蒼脈を失ったからと言って死ぬはずがなかった。

 けれどサクラには、唯一蒼脈が死に絡む事例を知っていた。


「命すら蒼脈に変換したってことじゃね? 理論の上ではできたはず」

「そないまでして放ったのがたった一発や。殲滅法撃いうから国中攻撃でもするんか思たわ」

「そうでありますね。あの一発で何を狙ったのか」


 サクラたちが考え込んでいると、カラスが明けた壁の穴から屋敷の中に二つの人影が飛び込んでくる。すぐさま戦闘態勢を取ろうとする四人だったが、二人の顔を見てすぐさま安堵の息を漏らした。ユウキとサザンカである。


「みんな無事!? 怪我してない!?」

「よかったです。みんな無事でほっとしたです」


 ユウキは、満面の笑みを浮かべてツバキに駆け寄ろうとしたが、彼女を中心に広がる幾何学模様の円陣に目を止めた


「やけに指定が細かいな。この場所は……白百合城!?」


 笑顔から一転、絶望に豹変したユウキをツバキは訝しそうに一瞥いちべつした。


「あの、えっと……先生? どうしたんですか?」

「白百合城の地下には邪神が封じられている宝玉があるんだ。血封石って言って――」

「カラスも言ってました。血封石がどうこうって」

「軍でもごく一部の人間しか知らない最高機密のはず……アザミの一族が掴んでいたなんて予想外だ」

「先生、封印を解くのになんでサクラの血が必要なんですか?」

「邪神の封印は、白百合家の人間の血を触媒として使った特殊な封印術なんだ。その血は宝石の形をしてはいるけど、今でも生きている」

「せやったらその血を受け継ぐサクラは……」

「封印場所の特定に必要だったのであります! そして封印を打ち破るために、大量の蒼脈を……」


 十数人の蒼脈師の蒼脈を束ねた一撃は、いかなる封印をも破砕するだろう。

 ツバキは、憤怒していた。まんまと利用された自分の不甲斐ないなさに。抗えなかった自分の弱さに。


「封印場所の特定と封印の破壊……私の誘導魔法を悪用して……なんとかしなくちゃ」


 突如屋敷がみきみきと軋みを上げて揺れ出した。倒壊するかもしれない。一様に危機を察しした全員が誰から支持されるでもなくカラスの開けた壁の穴から外に脱出した。

 しかし屋敷の外に出ても揺れは収まらない。揺れていたのは屋敷ではない地面その物が揺れているのだ。何との気味の悪い横揺れがいつまでいつまでも続ていた。


「ただの地震じゃないでありますね」

「せやな。やばい気配も感じるで」

「封印が解かれたです……」

「……私のせいで」

「ツバキのせいじゃない! とにかく今は自分を責めるよりも邪神を何とかしなくちゃ!」


 邪神が復活したのなら邪神をすぐにでも討伐しなければならない。

 花一華ユウキは不安を必死に押し殺して表に出さないように努めた。今の蒼脈量は最大量の十分の一以下。サザンカの治療で大半を失ってしまった。

 しかし後悔はしてない。だけどもしもここで自分が負けたらサザンカは一生気に病んでしまう。それだけは避けたかった。

 ならば増援を待つか?

 そんな時間はない。今すぐにでも白百合城へ向かい、邪神とカラスを討たねばならない。


「大丈夫だよ。邪神は、俺が殺す」

「敵は邪神だけじゃないであります! 兄上も!」


 キュウゴには残酷だが、邪魔をするなら容赦はしない。たとえ生徒の兄であってもだ。それ以前に今のユウキに敵に手心を加える余裕はない。


「君の兄さんが邪魔をするなら彼も殺す」


 キュウゴに軽蔑されても恨まれても仕方ない。その覚悟をした決意表明だったが、キュウゴが浮かべているのは兄に対する憐れみと絶望であった。


「先生。自分は兄上が死んでも構わないであります。自分が案じているのは先生であります。先生から感じていた迸るような蒼脈が見る影もないであります。今の先生では兄上ひとりにも勝てるかどうか……その上邪神まで相手どるのは、無謀であります!!」


 サザンカの顔色も曇っていた。自分の負傷を治したせいだと責任を感じているのだ。だけどこれはサザンカの責任ではない。ユウキが選択した道だ。

 手札は決して強くない。だが投了するにもまだ早い。


「できるのは俺しか居ないよ。それに時間を稼げればそれでいい。増援部隊がもうすぐ来るはずだ。防戦は、得意だから大丈夫だよ。それまでは持たせる」


 ユウキが歩き出すと、遮るようにツバキが立ちふさがった。


「先生、私も連れていってください。殲滅法撃の時、私の蒼脈はほとんど使われなかった。まだ戦える」

「あたしも! ツバキが行くなら……ううん、あたしは先生と行く」

「ワシもや! まだ戦えるで!」

「自分もであります!」

「うちもです!」


 今回の敵が邪神とカラスの二人ならユウキが万全の状態じゃないと勝負にならない。万全の状態でも分が悪いだろう。

 ユウキが負ければ生徒たちだけではない。多くの国民も犠牲になる。ユウキに敗北は許されない。勝率を上げるためにはどんな手段でも使わなければならない。それが狼牙隊に一度は身を置いた軍人としての務めだ。


「これは模擬戦じゃなくて実戦の場だ。本当ならみんなを危険な目に合わせちゃいけない……」


 策は一つある。邪神とカラスを仕留める策が一つだけ。たった一つだけある。


「でも敵は多分俺の師匠と同格の存在だ。増援が来るまでに奴がどれだけの被害をもたらすか。もしかしたら逃げて消息をくらませるかもしれない。そして闇に潜んで牙を研がれたら最悪だ。奴は、今この場で仕留めないとダメだ」


 その策は確実に敵を仕留められる。生徒たちの身の安全を引き換えにして。


「みんな、俺に策があるんだ。奴を確実に仕留められる方法が」

「なんやそれ!?」

「でも、この作戦にはみんなの協力が居るんだ。危険な作戦になる。だけど絶対にみんなを守るから協力してほしい」


 生徒たちを危険にさらしたくない。だけどカラスと邪神を野放しにする危険は侵せない。今から向かえばカラスに追いつける。


「本当ならみんなに逃げろって威勢を貼り続ける場面だけど、事はみんなの命だけじゃない。だから……みんなには指一本触れさせないから協力してほしいんだ」


 たった一つ花一華ユウキ残された牙。


「当たり前じゃん!!」

「私も行きます。このまま見ているなんてできない」

「ワシもや! あの野郎はぶっ飛ばす!!」

「自分も邪神と……兄上を討つであります」

「うちも一緒にいくです。うちも軍人の端くれ。みんなを守るです」


 みんなを信じよう。自分を信じよう。ここに居るのは若い狼たちだ。一緒に戦えばきっと希望を手にすることができる。

 ユウキは蒼脈刀を鞘から抜いて、天高く掲げた。


「国立蒼脈師学院高等科一年一組、初めての実戦だ! 気合入れていこう!!」

『はい!!』


 カラスと邪神の討伐作戦。

 花一華ユウキと一年一組の生徒たちの最初にして最大の戦いが始まった。

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