第11話『決意を新たに』

 早朝の蒼い光が窓から顔に差し込み、桜葉ツバキは目を覚ました。

 暗殺者による襲撃を受け、最初は恐怖と不安で寝付けなかったが、いつしか深い眠りに落ちていた。心身ともに極限の状態に晒され、疲労がたまってしまったのだ。

 おまけにふかふかの敷布団と掛け布団の合わせ技にかかったら抗える人間はいない。


 鋼のように重い上体を起こして紫檀の勉強机の上に置かれている写真立てを見つめる。幼い頃のツバキとサクラがお花見をした時の写真だった。

 あの頃とは何もかもが変わってしまった。サクラは今でも昔と同じに接してくれるが、ツバキは素直に受け止められずにいる。


 洗面所で顔を洗い、意識がはっきりすると一層自己嫌悪は強まった。それでも日々は始まってしまう。今日も授業が待っている。昨日の今日で休んだらユウキが心配するだろう。

 高等科の制服である上下黒の半着と馬上袴の上から白い羽織を纏い、自室の扉を開けるとそこにはサクラが立っていた。

 まったく気配を感じなかったが、何時から居たのだろう。不安そうな顔をしているのは久しぶりに見た。


「ツバキおはよう。サザンカから聞いたんだけど、昨日大変だったんだって?」


 何と返せば良いのか分からない。ユウキは昨日、友達に話すなと言っていた。詳しくは話せない。

 それに暗殺されかけたなんて教えたらサクラを心配させてしまう。


「うん……平気。大丈夫」

「でもさ」

「本当に大丈夫だから」


 それっきり、いつものように会話が途切れてしまう。

 気まずい時間が流れていく。

 けれど下手なことはしゃべれないし、これといった話題があるわけでもない。

 昔は他愛のない話でも、親に止められるまで何時間も喋れた。なのに今では二言三言喋れれば上出来なぐらいだ。

 これ以上ここに居ても、埒が明かない。いつも通り逃げる選択をしたツバキが立ち去ろうとすると、サクラの細い指が羽織の袖を掴んできた。


「ツバキ、昨日はごめん。あたし酷い事言っちゃった。ツバキの気持ち全然考えてなかった。ほんとごめんね!」


 サクラの指は昔から細くて白くてきれいだ。そう思っていた。けれどよくよく見れば、治りかけの切り傷・赤黒いあざ・年季の入った剣だこの痕が幾重にも刻まれている。

 ツバキは自分の指を見た。子供の頃と同じような指をしている。傷もなければあざもない。小さな剣だこはあっても潰れていない。


 ――そっか。サクラはがんばってるんだ。


 サクラを才能に愛された天才だと思ってたけれど違った。天才であろうと足掻き続けている。

 ツバキのように、諦めもしなければ自分や周囲を呪いもしない。サクラのボロボロの手は蒼脈師にとって勲章だ。

 なんでこんな簡単な事をに気づけなかったのだろう?

 そんなの決まっている。ずっとサクラから逃げ続けたせいだ。


「お願いツバキ許して?」


 ここで逃げたら何時と変わらなくなる。自分を変えたいなら、強くなりたいなら、困難に立ち向かわなくてはならない。友達の思いから逃げちゃいけない。


「サクラには怒ってない」


 弱さを言い訳にして何も見てこなかった自分自身に腹が立つ。

 謝らなくちゃ。悪いのは自分なのだから。

 でもどう謝ればいい? 何を言えば許してもらえる?

 いや許してもらえなくてもいい。今までの行いを許してもらおうなんておこがましいのだ。だから、せめてちょっぴりでもいいからサクラを喜ばせたい。


「サクラ……」

「なに?」

「えっと……あの……朝ごはん一緒に食べない? ひさしぶりに……サクラさえ良かったら」


 咄嗟に出てきたのは、なんとも稚拙ちせつなひらめきだった。幼子でももう少しましなお詫びを考え付くだろう。

 しかしツバキの予想とは裏腹に、サクラは満開の笑顔を咲かせて何度も頷いた。


「うんうん!! 行こう行こう! ほら早く!! 善は急げだっての!! 何食べよっかなー」


 食堂に着いてもサクラの機嫌はぐんぐん上向いていき、朝食の卵焼き定食もそっちのけで喋り通しだ。


「寮生活始めて一番ありがたいのは、上げ膳据え膳の有難さだと、あたしは思うわけ。帰省した時なんて、家族全員のご飯あたしが作ってんだから。母さん料理下手だからさ」

「そうだったね。おばさんとおじさんはサクラが居なくて残念がってるんじゃないかな?」

「どっちも料理出来ないって言い訳して子供任せにしないで少しは覚えろっての。だからあたしにとってここは天国なわけ。楽させて貰ってありがたいわー」


 サクラは、初等部の頃と同じ愚痴を言っている。昔に戻れた懐かしさと嬉しさで胸が詰まってしまった。元々食が細いのも手伝って、半分も食べ進めた所で満腹だ。


「サクラ。卵焼きよかったら食べて」

「いいよ。ツバキのじゃん」

「食欲なくて」


 サクラは、食卓を両手で叩いて飛び上がった。


「え!? 具合悪いの? もしかして昨日あったことのせいとか!?」


 また余計な心配をさせてしまった。でもこうやっていつでも心配してくれるのは嬉しい。

 誕生日はツバキの方が少しだけ早いのに、サクラはツバキにとって姉のような存在だ。

 強くて優しい憧れの人。大切な人をこれ以上心配させたくない。


「違う。だいじょうぶ」

「じゃあ……もしかして朝ごはん無理に誘ってくれた?」

「そんなことない。私はサクラとご飯食べたかった。でもちょっとお腹いっぱいになっちゃって、だからよかったら食べて?」

「じゃあ折角だし、頂くけどさ……」


 サクラは、ツバキの皿から卵焼きを口に運びつつ、ばつが悪そうにした。


「ツバキさ……これだけは言っときたいんだけどさ、あたしはツバキの味方だから。それだけは忘れないどいて」

「うん。知ってる」

「でもさ、あたしもさ……ツバキに言えてないこと、いっぱいあるんだ」

「言えてないこと?」

「うん。秘密にしなきゃいけないこと。だからさ、あたしもツバキが秘密にしてること無理に聞くのはやめる。言いたくないこと無理には聞かない。あたし強引だからさ、だからいつもツバキを傷つけちゃうんだ。学習しろよって話じゃん。ほんっと、あたしバカじゃん」


 サクラが抱えているのが、どんな秘密か興味がないと言えば嘘になる。だけど何でも話してくれたサクラが抱えている秘密なら、きっと自分の想像も及ばないようなことだとツバキは理解した。

 だからサクラの秘密を知らなくていい。サクラが、ツバキにとって大切な人であるのは何があっても変わらないし、変えたくない。


「傷付いてないし、怒ってない。悪いのは私だ。サクラじゃない」

「ううん、悪いのはあたしだってば! いつもいつもツバキを傷付ける事ばっか言って……ほんとごめんね」


 サクラは優しい。だから頼りたくなる。慰めてほしくなる。結局いつもこうだ。甘ったれて依存して構われたい。ずっと自分の弱さに目をつぶって八つ当たりしてきた。


「私の方こそダメだね。サクラには嘘つけない」


 だからサクラが知りたい真実についてほんの少しだけ話してみる。そのうえで頼らずに甘えない。そうするのがお互いにとって一番いい解決策に思えた。


「実は何かはあったんだ。だけど言っちゃダメって言われてる」

「ダメって誰に?」

「花一華先生に」

「ああ。そう言えばサザンカも昨日は一緒に帰ってきたって……もしかして、その時あいつに何かされたわけ!?」

「ち、違う! むしろ守ってもらったっていうか……詳しい事情は話せないけど」

「そっか。じゃあこれ以上聞かない」

「ごめん。心配させるような事言って。でも花一華先生が大丈夫だから、任せろって」


 大丈夫という単語を聞いた瞬間、サクラは放心状態におちいった。


「…………」

「サ、サクラ?」

「……大丈夫って言ったわけ?」

「う、うん」


 サクラは先程とは一転、カエルのように大口を開けて、カメレオンのように目を見開いた。


「あのネガティブ大魔王が!? そんな台詞吐いたの!? マジで!?」


 花一華ユウキの大立ち回りを目の当たりにしていないのだから、サクラの反応ももっともである。彼女も実際にユウキが戦う姿を見れば納得するはずだ。


「う、うん。だから大丈夫な気がする。信じていい気がするんだ」

「あんたが、あのユウキ先生を」

「変……かな?」

「いやいや全然!! いいんじゃん。強いのは確かだろうし」

「とにかく大丈夫だから、あんまり心配しないで」

「でもさ、あたしじゃ頼りないだろうけど、いつでも頼って。ツバキのためになることしたいから」


 これ以上何もしてくれなくていい。ようやく気付けた。今までどれだけサクラに救われてきたか。いつでも隣に居ようとしてくれる人が、どれほど得難い宝物なのか。


「うん。ありがとうサクラ。それからごめん。いつもごめん」

「ツバキ」

「久しぶりに話せて楽しかった」

「うん。あたしも」

「じゃあ、また教室で」

「よかったら一緒に行かない?」

「ごめん。私、自習したいから」

「自習って?」

「誘導魔法の」


 ちょっとでもサクラに追いつきたい。今すぐには無理かもしれない。将来的にもだめかもしれない。だけど努力の量のだけでも追いつきたかった。


「そっか。じゃあ後でね、ツバキ」

「うん……サクラ」


 強くなって狼牙隊に入りたい。誰よりも強くなってサクラを守れるような蒼脈師になりたい。幼い頃の夢を叶えるために再び桜葉ツバキは歩き始めた。

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