第10話『月下の誓い』

 先程までここに居たはずの暗殺者の気配は、完全に消え失せている。

 この場を離れたらしいが、油断させてツバキを狙う策かもしれない。ユウキは抜刀したまま、ツバキに向き直った。


「ツバキ、怪我はないかい!? 大丈夫!? かすり傷でもあったら言ってよ!? あの手の奴等は獲物に毒とか塗ってる可能性あるからさぁ!!」

「は、はい。大丈夫です」

「本当に大丈夫!? 痛くとこあるけど隠してるとかない!?」

「な、ないです」


 ユウキの見た目にも傷はない。怪我をしたのに遠慮して黙っているわけでもなさそうだ。


「よかったぁ……」


 ひとまず安心を得たことで胸を撫で下ろすユウキだったが、すぐさま次なる気がかりが浮かんできた。


「えっと、いきなりなんだけどさ、あいつのこと知ってる?」


 ツバキは、何も言わずに首を横に振った。嘘をつく利もないし、嘘をついている風でもない。そもそも覆面で顔を隠しているから知り合いであっても気づかないだろう。

 彼の素性でユウキが取るべき対応も変わってくる。ツバキの知り合いならストーカーの可能性もあるし、警察の出番だ。もっともあの手練れは明らかに裏の世界を跋扈する達人である。

 となるといくつかの勢力が候補に挙がってくる。ツバキの狙う組織として有力なのは――。


「あの……先生?」


 ツバキの呼びかけで、ユウキは底なしの思案から引き揚げられた。


「な、なに?」

「あの人、何時から居たんでしょうか? 全然気づかなくて……」

「多分ずっと後を着けていたんだと思うよ」

「わ、私を? なんででしょうか?」


 全く身に覚えがないと言いたげだった。恐らくツバキにとってはそれが真実だ。

 自分が何者なのかを彼女は知らない。しかし知らないのであれば、彼女の事情を知る者たちは意味もなく秘匿しているのではなく、相応の事情があればこそだろう。ユウキの判断で話していいものではない。


「先生?」

「あ、うん。なんでだろうね。分からないよ」


 ツバキが釈然としていないのは分かったが、彼女はそれ以上何も聞かなかった。ユウキが何かを知っていても話してくれないと察しているらしい。


「あの、ありがとうございます。命を助けて頂いて」

「いやいや。俺も一応先生だからさ。らしい事が出来て良かったよ」


 生徒を教え導き、守り育てる。蒼牙閃の授業とツバキの救助をした今日という日は、ユウキが初めて教師らしく振舞えた時間かもしれない。


「寮まで送っていくから一緒に帰ろう。あいつがまた仕掛けてくるかもしれないし」

「そうなんですか?」


 ユウキの一言でツバキの身体は強張こわばり、街灯の明かりでも普段桜色に輝く唇が青ざめていくのが見て取れた。不安を取り除くべき立場なのに、不安を植え付けてしまった。

 口を開けばネガティブな台詞ばかり吐く自らの性根がいよいようとましくなってくる。

 とにかくポジティブな情報でツバキを安心させなければ。それが教師としてのユウキの仕事だ。


「か、可能性は、かなり低いと思うけどね!! とにかく早く帰ろう」

「……は、はい」


 ユウキは蒼脈刀を鞘に収めた。警戒を緩めたためではない。先ほど大通りの中央で戦いを繰り広げたせいで周辺に人影はない。人込みに隠れての襲撃は難しいはずだ。

 誰かが公衆電話で通報した可能性が高いから間もなく警察が現場に駆け付ける。下手に職務質問等で足止めをされる事態は避けたいし、先程の暗殺者が警察に紛れて襲ってくる可能性も否定出来ない。

 最優先事項は、人目を避けつつツバキを国立蒼脈師学院の女子寮に送り届けること。警察には、明日の朝になってから太正国軍を通して事情を説明すればいい。

 なるべく人と接触する機会を減らして寮まで向かう算段は、数瞬の間に構築された。


「ツバキ、こっちの路地裏を通りながら帰ろうか」


 ユウキは、赤い煉瓦れんが造りのビルとビルの間にある仄暗い路地を指さした。


「……は、はい」


 ツバキはユウキに言われるままついてくる。その姿は、まるで親鳥を追いかける子鴨だ。

 暗く狭い路地裏を歩くのは危険そうに思えるが、左右を遮蔽物に囲まれているため、上空と前後の警戒だけすればいい。

 無論蒼脈師ならばビルを壊すぐらいの芸当造作もないが、そこまでの攻撃となると相当量の蒼脈を使わなければならない故に、攻撃の起こりは察知しやすい。

 暗殺者がそうしたように蒼脈師であっても暗殺は、人通りの多い場所で人込みに紛れて行うのが一般的だ。


 いざという時のため役立つように、国立蒼脈師学院と周辺の街の地図は全てユウキの頭に入っている。 蒼脈師学院で働く事が決まったその日に、大通りや路地裏はもちろん下水道まで歩いた甲斐があったというものだ。

 ここから十二分で蒼脈師学院の高等科女子寮まで行ける。警戒心を極限まで研ぎ澄まし、速足で歩きつつ、一歩後ろを歩くツバキへの意識も忘れない。

 そう、この状況が一番怖くて不安なのはツバキだ。彼女への気配りをするのも教師としては当然の仕事――。


「……先生は強いんですね」

「ひゃああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

「きゃああああ!?」


 急に声を掛けられ、ユウキが賢明に殺していた憂鬱が悲鳴という形で吹き出した。

 恥ずかしい。穴があったら入りたいし、過去に戻れるなら五秒前の自分にもうすぐツバキが話しかけてくるよと、教えてやりたい。いや、未来の自分が現れたらその事に一番驚くのは間違いない。

 結局ユウキには、情けなく悲鳴を上げる以外の選択肢はなかったのだ。


「す、すいません。びっくり……させてしまって」


 ツバキが恐縮してしまっている。ユウキは無理矢理に笑顔を作ってツバキを見やった。


「全然!! 全然!! 大丈夫!! 大丈夫! あ、でも俺は強くないよ!! !俺より強い人なんて何人いるか分かったもんじゃないよ!! さっき男だって俺より強い可能性がかなり高いんだよね!!」

「でも、先生が圧してたように見えました。やっぱり先生みたいに強くないと狼牙隊には入れないんですね……」

「俺は師匠が狼牙隊の総隊長だから、実力じゃなくてコネだよ。俺は全然強くなんかないんだ」


 ユウキには、分不相応な身分だった。狼牙隊の分隊長が務まる器じゃないのは自分が一番知っていたのに、もしかしたらやっていけるんじゃないか。そんな風に思ってしまった。


「俺は、俺なんか狼牙隊にふさわしくないんだよ」

「先生がふさわしくないなら私じゃ絶対無理だ……」

「え?」


 ツバキは気恥ずかしさと絶望を混ぜ合わせた表情で俯いた。


「私も……狼牙隊に入りたいんです。強くなりたくて……」

「ツバキならなれるよ。俺よりも才能あるし」


 ユウキの言葉をツバキは訝しそうに受け止めていた。


「先生より?」

「うん」


 それに関しては自信がある。ツバキはユウキよりも才能に恵まれている。ユウキとは器の格が違う。


「私も先生みたいに強くなれますか?」

「俺は強くないよ」


 だけど間違った強さを目指してほしくない。教師としてユウキに教えられることがあるなら、正しい強さが何かを説くぐらいだ。


「でも」

「強いって、大切なものを守れる事だと思うんだ」

「大切な……もの」

「俺は、腕っ節だけはそこそこ強いと思う。だけど大切なものを守れた事がないんだ。そんなものに意味はないんだよ。何も守れない力は、強さじゃない。守れなかった人間は、等しく弱いって俺は思ってるんだ」

「先生は、守れなかったんですか?」

「何もね。だから俺は強くないんだ。強くなりたいけど、なれなかった」


 大切なものを守れない強さに何の意味もない。狼牙隊の分隊長と呼ばれても結局昔と同じに弱いまま。いつまで経ってもガキのまま。

 そんな自分に憧れてくれるツバキの優しさは、ユウキにとって心地の良かったのも事実で、つい無駄な話をしてしまった。


「なんかごめんね! 俺がたくさん話しちゃって。君はなんか話しやすいんだ」

「話しやすい? 私が?」

「ごめん!! 思わせぶりな変な事言って!! 変な意味じゃないから!! セクハラ的なあれじゃないから!! とにかく俺なんかが居ても安心出来ないだろうから学校のほうに警備は強化するように言うから! それから頼りないかもしれないけど俺が朝までちゃんと寮の外に居るから!! 安心は出来ないと思うけど、いないよりはマシだと思うからさ!! とにかく何というか大丈夫だから任せてよ……ってさっきなにも守れなかったって言ってる人間が何言ってたんだって話だよね。ほんとごめん!!」


 支離滅裂なユウキの言動にも、ツバキは微笑みながらお辞儀を返した。


「ありがとうございます。でも、やっぱり気になります。なんで私なんかを狙うんでしょうか?」

「通り魔的な何かとか?」

「そうですか……」


 我ながら下手くそな誤魔化しだと、ユウキは自嘲した。ツバキは頭がいいから気付いている。だけど優しいから気付かないふりをしてくれている。

 一番不安なのはツバキなのに、気を使わせてしまう自分が憎たらしくておぞましい。自己憐憫に浸っている場合ではないのに、そうせずにはいられない。

 しっかりしなくては。ツバキは生徒だ。生徒を守るのが教師の務め。あの人なら絶対にそうしたはず。だから花一華ユウキもそんな教師にならなくてはいけない。

 ユウキが決意を固めた頃、高等科の女子寮にたどり着いた。こちらも教員用のアパートと同じ木造五階建ての造りだ。


「ツバキ!! 遅いから心配したです! 何があったです!?」


 共同玄関の前に寝間着姿で立っていたサザンカは、ツバキに駆け寄り、ユウキを一瞥する。

 その視線をいつもの侮蔑の念はない。彼女が何を伝えようとしたのかをユウキは察し、首を横に振った。

 サザンカは顔色を変えなかったが、何を考えているのか、ユウキには容易く想像出来た。


「……さぁツバキ、もう入るです」

「う、うん。先生おやすみなさい」

「おやすみ。後の事は俺が何とかするから。あ、念のため今日の事は友達には言わないでくれる? 大パニックが起きると思うからさ」


 女子寮に入る二人を見送ったユウキは、蒼脈刀を抜いた。銀色の月光を反射する刀身は、雪狼が如く気高く見えた。

 この刀に二度も恥をかかせるわけにはいかない。今度こそ夢を叶えるのだと花一華ユウキは、固く誓った。

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