《番外編》 『お仕事ですよ』 

 今朝は、駅前のファストフードの朝メニューで、学生の本分として、不足した単位を得るだけのモチベーションを補充してから、目的の電車に乗り込んだ。起きた時点で1限目は捨ててあるため、2限目からの登校予定だ。

 視界の先には、20代前半・会社勤めとおぼしき若い女性の臀部でんぶあたりで、見た目も動きも不潔そのもの。朝っぱらから執拗しつようでやまし気な反復運動に励む手がひとつ。ただでさえ先行き不明のささやかな朝のひと時の気分を、さらに台無しにしてくれている。

 降車予定の駅まではあとひと駅。時間にして7分というところ。

 7分────つり革の棒に掴まって半分目を閉じ、頭の中で、勝手に始まった不快な状況に耐える時間をシュミレートしてみる。


 正直なところ、面倒ごとに関わり合いたくはない。

 大概たいがいの相手であれば体格的にもそう不利な気はしないし、やましいことをしている自覚のある相手なら尚更のこと、第三者の目を意識させたり、それとなく動きを阻害する素ぶりをするだけだって十分に効果的だろう。だけどやっぱりアクションを起こすには、気が重い。

 これからも乗り合わせる率が高い他人の中、不要に顔見知りが増えたって、いいことなんてひとつもない。ざっと見たところ、見て見ぬフリを決め込んでいそうな人間も複数いる。心境は、誰だって似たようなものなんだろう。

 正月のお年玉が友達に比べてだいぶ少ないことを馬鹿にされて文句をぶつけた時、母親は言った。

「はあ?金が不足だあ?あんたそんなことでぐずってんじゃないわよ。だいたい、足りない人間っていうのはどんな境遇だろうが何を持っていようが、あることないこと人のせいにしてぐずったれるもんなのよ。いい?一回しか言わないからよく聞きなさいよ。恥ずかしいのは、お金がないことなんかより、人の作ったものさしで安易に他人と自分を比べようとする、あんたの心なんだよ」

 もとより口で勝てた試しなどなかった相手に、そのあと悪態を吐いたせいで目から星が散るほどのゲンコツを食らったが、今は一部賛同したい。

 股間に一発ケリでもぶち込んでやればいいものを、女の子は怖いのか、勇気が出ないのか、顔を伏せて耐えている。お気の毒様とは思うが、残念ながらそれ以上でもそれ以下でもない。

 人は人。平等なんて、幻想だ。それがどうしても納得できないんだったら、自力でなんとかしてみろよ……。まったくもってそう思う。

 すでにラッシュのピークは過ぎているため、身動きがとれない程の混雑具合でもない。漂っているのは、予定調和の看過の気配。

 運良く…というか、たまたま自分が目撃したことがなかったというだけで、この場にいる誰にとっても、そう珍しいことではないのかも知れないという答えに、容易に行きつく。

 本当に、馬鹿らしい。


「ひゃい!」


 車両内に、間の抜けた奇声が盛大に響いた。それを合図にだらしなく停滞していた空気が一気に抜け、集中砲火の様相さながらに、奇声の主に視線が集まる。

 定刻通り、浪曲を思わせる間延びしたアナウンスがルーティンにならった文句を言い、間もなく俺は予定通りの駅で、耳の裏側を撫でるような複数人の嘲笑ちょうしょうを聞き流し、車両を降りる。

 差し当たって気になることは、指先でゲームのクレーンのように吊るし持っているアイスコーヒーのカップのことだ。

 昨今さっこんはトイレにすらゴミ箱が置いていないこともざらなので、不要になったものを手放すのにも、いちいち苦労する。

 まだ自分が生まれる前の、テロだか犯罪だかが全面撤廃ぜんめんてっぱいの流れの発端になったらしいが、まったくもって迷惑な話だと思う。


 鬱蒼うっそうとした構内を抜け出し、ようやく外の空気を吸おうとしたその時、予期なく背後から引っ張られる感触に、晴天の覗く世界から無理やりがされたかのような不快な気持ちが込み上げ、一瞬にして胸深くまで黒く根を張る。

「何すか」

 ぐっと力を込めてみせても離れる気配のない手に、自然、声音にも遠慮がなくなる。

 声を掛けてきたのは、小太りで頭髪の薄い、見知らぬ中年男だった。

 もう顔も覚えていないさっきの痴漢男とは別人のようではあるが、もしも不機嫌でなかったら、マヨネーズを絞ったようにちょこんと乗っかった前髪を見ただけで、吹き出していたかもしれない。

 自分とは少なくとも3〜4まわり。もしくはそれ以上は年が離れていそうだが、すでに対外用に払う礼儀の在庫が無い。

「いやあ、ずっと見てたんだけどね。面白いよね、キミ」

「はぁ?」

 見ていたと言うのなら、もしかしなくてもさっきのあれか。いや、だとしても。

 ……まさか、このじじい。実は警察OBかなんかで、しょーもない使命感に駆られているのだとしたら。うざい。まじで、カンベンして欲しい。というより、無造作に中年に腕を掴まれて見つめ合っているこの状況は許容しがたく、首の下から毛虫の大群のようなザワザワ感が這い上がってくる。切実に今、こいつを蹴り込むためのゴミ箱が欲しい。

「あの、ほんと俺、関係ないんで、離してくれませんか」

 さっきの一件で、自分で思った以上に気が立っていて、こんな年齢・体格差では、ちょっと振りほどいただけでも傷害事件扱いになり兼ねない。しかもここは学区内。面白がって証言台に立ちそうな”身内”だって、ごまんと居るのだ。今にもギャラリーが集まってきそうな気配に、神経がささくれ立つ。

「あ。違う、違う。ボクは、そういうんじゃなくて」

 と、いい年をして一人称が”ボク”の、怪しさ満開の男はのほほんと言い放ち、内ポケットを探りながら、探し当てた紙片をこちらへ差し向け、その内容を読み上げる。

 緊迫感のカケラも無く、もたもたと動く様がなんとなくお風呂に入るカピバラを彷彿ほうふつとさせるが、まずはその手を離せよと、さらにイライラがつのる。

「えーっと…そうそう。ボクは、”ぺいじゅ”のオーナーの、”あらきこうたろう”というんです、んがぁ」

 何故、クイズを読み上げるようなた焦らしを入れて自分の肩書きを名乗るのか。そうでなくとも、うさん臭いことこの上ないものを。

 ざっと頭に浮かぶものとして、いくつかの選択肢が並ぶ。

 道に迷った老眼の中年。

 詐欺の常習犯。

 宗教の勧誘。

 施設のから脱走してきた入院患者。

 電車から、血迷って俺を追ってきたホモ。

 もしくはその全部。

 ……いずれにしても、厄日としか思えないんだが。

「あのぉ…、なんかよくわかんないんで、先生呼ばしてもらってもいいですか?」

 紙は受け取らず、関わり合いになる気も無いという意思をぞんざいな態度で伝える。本気で教師を呼ぶ気なんて無いが、自覚ある立派な不審者ならば、大抵そのひと言で片が付きそうな気がした。

 なのに中年は、動じるどころか考えるような素振りで「あ、先生ね…。うん、うん、それは都合がいいかも」などと言う。

 これはどういうことなのか。

「そういえば、さっきから同じ制服の子たちもたくさん通っているね。あのへんにいるのは、もしかしてみんなお友達?」

 指さされた方角には、遠巻きに足を止めている連中がちらほらいる。

 聞かれたところで馬鹿正直に肯定も否定もする気は無いが、何で年寄りは、楽しげに喋っていたり、ちょっと手を振りあったりしただけで”お友達”だなどと、呑気のんきな決めつけが出来るのか。

 バカか。じゃあ、いいことをしたら、みんないいやつなのか。友達は助け合うものっていうのも、教育上のプロパガンダだ。ファンタジーに近い思い込みだ。

 授業中、指名されるのを避けるため教科書に没頭するフリをするように、不自然に目を逸らして自然を装い始めた幾人かを、ざっと一瞥いちべつした。

 見た顔ぶれの中に”友人”と呼べるような人間は居ないが、居たところで何が違っていただろう。

 きっと自分に向かって指を差されたら、簡単に散る。その程度の興味と関心で。あの中に自分が混じっていたのだとしても、少しも違和感がない。俺も同じだ。

 友達が困っていたとして、助けるか。言葉だけなら、いくらだってイエスと言える。だけど、それだけだ。共有したいのはあくまでも、楽しいことだ。現実にリスクの共有を迫る奴を、友達とは思いたくない。

「あぁ、…どうなんでしょう」

 さっきまであったはずの虚栄や焦りに似た気持ちが、潮が引くように遠退いている。

 たとえば卒業をして、今あるこの日常から否応無く離れてしまえば、もっとはっきりと、これに似た感情を味わうのかも知れないとも思う。だけどそんなのは、今わざわざ考えることじゃない。

「キミ、あの男の人の首元のところに、何か放りこんでたでしょう。あれってその、コップの中の氷だよね?」

 不毛と思える問答をしながらじりじりと後退しているうちに駅の構内からは出ていたが、いつの間にか腕の拘束も外れていたらしい。ひょいと、俺の右手のカップを指されてようやくそのことに気付く。

 なるべく人の目につかないタイミングをはかったつもりだったが、鈍重そうな見た目によらず、目ざとく観察していたらしい。

「……まあ、そうですね」

 変に連帯的な気分を持たれては堪らないと思い、硬めの声で邪険じゃけんに返す。が、正体不明の中年はうんうんと頷きながら、満足そうに相好を崩した。

 だめだ。全然通じねぇ。こうなるともう、こちらの意図を力技で裏目に返しているとしか思えない。

「いやいや、面白かったな。この子何する気なんだろうなって、ひさびさにワクワクしちゃったよ。この歳になると、なにかと気の重くなることばかり増えてきて、いろんなことが億劫おっくうになるんだよね」

「はあ…」

 いや、ここで人生とか語り出されても。俺だって困る。いつだって年寄りの昔話というものは、相手の都合を顧みず、細胞が摩滅まめつするほど長い上に、オチが無い。

「これね」

 がさり、と男はずっと手に持っていたレジ袋を掲げる。店名なのだろう。モノクロの書道っぽい朴訥ぼくとつなロゴで、『豆福』と書いてある。

「1日50個限定で、賞味期限がなんとたったの5時間。直接行かなきゃ買えないから、1年ぶりにユニコーンちゃんとこれを一緒に食べるのを、すごく楽しみにしてたんだよね」

 ユニコーン?……飼い犬か猫の名前だろうか。何にしろ、ホクホクのどや顔で言われたところで、だからなんなんだという話だ。

「ついね、天秤にかけちゃったんだよ。はやく持って行って、お茶を淹れて食べたいなーって思ってさ。ボクだって、困った時に人に助けてもらったり、知らない誰かから財布を届けてもらって、本当に嬉しかったことがあったはずなんだけど。そういうことを、ついつい忘れちゃうんだよね。どうしてなんだかなぁ」

 男は、口の中に何か入っているかのように、もくもくと頰を動かす。そうしていると愛嬌があって、南国風のサンタクロースのように見えなくもない。

「……いや、別に普通じゃないんですか。誰も、なにもしなかったわけだし」

 そもそもこんな弱そうなおっさんが正義感を振りかざしたところで、おっさん同士の対決を見せつけられる周囲の辛さも考えて欲しいというものだ。

 それに、あんなところで人助けなんて目立つまねは、誰だってしたくないだろう。

 俺は、もののついでにカップの中身をちょっと捨てただけだ。それも、周囲にバレないという前提がなきゃ、やってなかった。

「うっふっふっふ〜」

 おっさんがちょっと真似できないくらいに気持ち悪い笑い方をしたので、運動マットで前転をする速度で悪寒が背中をい上がる。

「でも、ものごとは巡っていくよ。誰かが与えた理不尽は別の誰かに帰って、与えられた温情は、違う誰かに巡っていく。今日君がしたことは、君にとってはたいしたことじゃなかったのだとしても、あの女の子にとってはどうかな。ボクは、キミのアイディアは、とても素晴らしかったと思う」

「あ、そうですか。ありがとうございました」

 じじいが高説を終えたところで気も済んだだろうと思い、心にもない頭を下げて、とっとと立ち去ることにした。

「ちょちょーい」

「なんなんっすか、さっきから!」

 またも気安く袖を引っぱられて、今度こそぐわっと顔面に険相が吹き出る。

「なんなのキミは。奥ゆかしいの?ボクがもし、キミの行為にいたく感銘を受けた通りすがりの富豪ふごうだったらどうするの?年寄りの話はちゃんと聞いておいても損はないと思うんだけどなー」

「金ですか?くれるんだったらもらいますけど」

「いや違うけどね」

「じゃ、授業があるんで」

「だからさ。その授業は何のために受けるの?キミは、今何年生?進路とか、将来やりたいことは決まっているの?」

「将来?」

 目前の男から出た将来という言葉をえて声に出してなぞり、鼻先でわらう。

 それが愉快そうに見えたのか、男は「そうそう」と頷く。

 それは、自分の中では『理想』『平和』『正義』などと同列に並ぶくらい意味のない単語で、進路指導の教師以外で臆面もなくこれを掲げる人間は、ほぼ例外なく嘘つきか、単に現実が見えていない馬鹿と見做みなすことにしている。

 そして責務上止むを得ず口が酸っぱくなるほどこんな言葉を繰り返さねばならない教師には同情をするし、後者の人間にもまた、別の意味で同情を覚える。

「おじさんは、宗教か何かの勧誘の人ですか」

 聞きながら、口調と同様に穏やかな気持ちになっている。

 なぜか。

 論破できるものならどうぞご自由に、という気持ちになっていた。たとえばこの男に付き合って5、6分経ったところで、レンジでチンするみたいに宗旨替えでもしていたら、ある意味面白い。

 何かをあざけるんじゃなく、ただ愉快なこと。建前だけじゃないもの。信じるに足るもの。

 そんなものがあるなら教えて欲しいくらいだ。

「宗教?…宗教、宗教ね」

 男は目を丸くしたが、気を悪くする様子もなく、むしろ眉をハの字に下げて、すこぶる愉快そうに口元のちょび髭をいじっている。

「宗教というのは、何かを信じるということだね。キミは、何かを信じている?」

「ああ、……やっぱ金っすね」

 ”親”という選択肢も浮かばないでもなかったが、それを人に口にするのには抵抗があった。

 完全に建前というわけではなくたって、口にした事実が途端に自分の中で不快な立て看板のような存在になる気がした。

「はっはあー。お金かぁ。それはまあ、そうだよね」

 否定をされたわけではないものの、言い方と、親指でちょいちょいとちょび髭を掻くような仕草が引っかかる。俺は、ハナから適当に答えたつもりのことを、いかにもつまらないことを言ったかのようにあしらわれるのは、案外ムカつくということを学んだ。

「それもまあ、悪くないんだけどさ。ボクが思うにね、お金は使ったはしから無くなっちゃうでしょ?誰かにあげても、盗まれても、無くなっちゃうしね。で、あっさり目減りしたり、無くなったりするものを、同じ熱量で信じることっていうのは難しいし、かといってお金を使わないで、誰にも絶対に盗まれないように四六時中周囲に目を配って警戒している人生なんて、ちょっとつまらないよね」

「そりゃあまあ、そうでしょうね」

「うん。ということは、減らないものを信じればいいんだよね。減らないものって、何だと思う?」

「貴金属」

「いやいや、そりゃ硬さがあれば削れにくいだろうけど、そういう即物的なことじゃなくて。若者なんだからさぁ、もうちょっとこう、夢とかロマンのある方向性で考えようよ」

 くだらない。そう思いながらも「はい」と挙手すると、「ハイ、どうぞ」とテンポよく指名された。

「特許?」

「ノンノン」

「広告料」

「ノ〜ン。そゆんじゃなくて」

「あっ、詐欺または便乗商法とか」

「キミ、ふざけているよね?」

「まあ、そうですね」

 あんたと同じ程度には。

仕様しようがないなあもう。答えは愛だよ、愛」

「…………」

「で、愛っていうのは何かって言うとだね、誰かに夢中になることだよ。どんな時でも、その人のことを想うと導火線に火がつくみたいに心が痺れて、勇気が湧くんだ。その人の喜ぶ顔を見るためなら何だって出来るんじゃないかっていうくらいの、探究心だよ。飽くことも尽きることもないパッションだよ」

 まったく予期していなかったわけではないが、中年の口からほとばしり出てくるあられもないまでにクサいセリフに、耳をきむしりたくなった。

 初対面の人間に向かって恥も臆面もなくこんなことを言うなんて、どうかしているとしか思えない。

「……たとえ、その人がもうこの世には居なくて、夢にさえ出てきてくれないから、会えるのも、声を聞くのも、ボクの心の中でだけなんだとしてもね」

 こんなのと一緒にされたんじゃ堪らないと、すばやく周囲に目を走らせたところでそんな言葉が耳に入ってしまい、柄にもなくほんのちょっとだけだけど、しんみりとしてしまった。

 相手の年代を考えてみれば、人の生き死になんて、すでに珍しいことでもないのかも知れない。だけど、人の死というものが、年をとったら自然に慣れるようなものとは、なんとなく思えない。

 もし、思いもよらないことで大事な誰かを亡くすようなことになったのであれば、別れは辛いんじゃないだろうか。

 そんなことは想像しようとしたところで、うまくできない。

「えーと。……愛妻家だったんですね」

 頭をひねったところでどのみちたいそうな言葉など出てこないので、月並みな言葉を吐く。同情とか感動っぽい話は、苦手だ。

「え、え〜?ちょっと、ちょっと待って。ちがうよー。ワイフのことはもちろん愛しているけど、あれは彼女の方が出会った日からずっとボクに夢中なだけでさあ。ワイフは元気だし、彼女は今日もアイアンマンレースにエントリーするためのトレーニングに励んでいるもの。腹筋なんかは、お腹にコロッケを乗せたままで、楽々50回はこなしちゃうんだよ。すごくな〜い?」

 ちょっと待て。じゃあ、おまえはいったい何の話をしていたんだ。

「……それで、トレーニングの後で食べるんですか」

「え?食べるって、何を?」

「コロッケを」

「ぶはーっはっはっはっは!キミ、面白いことを言うね!いくらうちのワイフがタフでも、生で犬は食べられないよ」

 笑い声に合わせるようにたぷたぷ波打つ腹に目を奪われた。リズミカルに揺れるアゴ下のぜい肉も、なかなかのものだ。

 わからない。どうやったらこんなに余分な肉を蓄えられるんだろう。

「…コロッケって、犬なんですか?」

「嫌だな、犬だよもぉ、犬に決まってるじゃない。じゃなきゃ何だっていうんだよ」

 キツネ色の揚げたてはサクサクでそのまま食ったりパンに挟んだりするアレに決まってるだろうが。照準が大幅に間違っていることに普通に気付けよ。

「───つまり、『コロッケ』が芝犬で、ワイフは元気に生きている、と」

 ころころと可愛い芝犬に(マッチョな)奥さんが『コロ』、やんちゃで暴れん坊なところもある子犬におっさんが『まつだいら』と名付けようと主張した結果、両者なかなか譲らなかったので仕方なく間をとって『まつだいらコロッケ』となったのだそうだが、意味がよくわからなかった。

「そうだよぉー……ふはふー。いやはー。面白かった」

 面白いのは絶対おまえの頭の方だ。サンダルにハーフパンツ、シャツのポケットにはサングラスといった、時季的にもその他のあらゆる点においても、なんとも言えない服装のチョイスや、いちいち耳にひっかかる英単語の発声など、端々はしばしの言動をかんがみるに、普段は国外に在住していて日本に来たのはつい最近といった感じだけど、こいつの頭のとっ散らかり具合は、そういう諸事情しょじじょうとはあまり関係がないもののような気がする。

「で、さあ。キミって、手先は器用な方?得意科目は?あ、なんだったらエッチが上手いかどうかでもいいんだけど」

「はあぁ〜?なんですか、それ」

 言うに事欠ことかいてこのファッキン中年エイリアンは、朝から何てことを言い出しやがるのか。

「あ。エッチていうのはそうね、今どきの言葉で言うとこう……」

 「う〜ん」とアゴに手を当て、もう片方の手が頭の中の語彙ごいではなく空中で何かを手探りするように、見るからにあやしげな動きをしている。

 やばいやつに関わってしまった。

 今になってようやく気付き、背中の毛穴からふつふつと、汗が噴き出し始めていた。「どうでもいいけどあんたそんな好奇心むき出しだといつか痛い目にあうからね絶対」とかなんとか、いつか誰かに注意されたようなされなかったような……いやそんなことはそれこそどうでもいい。

 神様。

 遅刻中に堂々朝マックして、電車内で痴漢にいそしむ目上めうえの方の背中にこっそり氷を入れるような真似は、二度としません。

 なので、この変態を速やかにどこか遠くへ追い払ってください。

「知ってます。知ってますよ、それは。今どきも何も大昔から日本語認定されてると思うんで、とりあえずその手つき、やめてください。あんた、天下の往来で通報されたいんですか?」

「あ、そう?わかるんならいいんだけど。で、どうなのどうなの?」

 おっさんはさらに身を乗り出すようにして、両手で空中を揉みしだく。聞けよ、人の話を。

「だからっ、なんなんですか。あんた馬鹿ですか。こんなところでスカウトとか、ほんと意味わかんないんですけど。言っときますけど俺、AVとか、バレたら間違いなく母親に殺されるんで、っていうか、バレなくても普通にあり得ないので、どうぞ速やかにお引き取りください」

「え?えーぶい?……キミは何を言っているんだい?」

「”え”って、何がですか。……スカウトの話をしてるんでしょう」

「そうだよ、スカウトの話だよ。だから先生に会おうって、さっき言ったじゃな〜い。んもぉ〜、やだなぁ〜」

 パーソナルスペースを何と心得るのかと言いたくなるような馴れ馴れしさで、岩場にたむろう大型水生哺乳類のような体型で体当たりをかまされて、足元がよろける。

 はっ。……こいつまさか。

 単に業界の人なのかと思ったら、そっちなのか?さらに裏回ってそっち系のギョーカイの人なのか?もしかして、俺に恨みを持つ女もしくはその周辺関係者各位の差し金ということは

 ────あり得ない話じゃない。

「あんた、登校中の高校生捕まえて青田刈りってどういうことだよ!?教師まで交えて俺を学校社会から抹殺する気か!?」

 そんな業界につま先だけでも突っ込んだことが知れたら、俺は同窓会などで人が集うたびに死ぬまで帝王扱いされてしまう。いや、死んでも帝王の名前を冠されたまま殿堂入りすることだろう。

 …………帝王。

 そんなのはいやだ。

 しかし業界の人に声を掛けられたというだけで風評被害ふうひょうひがいはなはだしいというか、すでに致命的な気がするのは否めない。卒業を来年に控えて、まさかこんな伏兵に足を取られようとは。悪夢のようだ。

「なんでなんで?AVとか抹殺とか、さっきからキミは何を言っているのかな?『paigueペイジュ』は、お菓子を作るお店だよ?」

「だから!俺はお菓子なんて、…………はい?お菓子?」

「そうだよー。だからさっきから、ずっとそう言ってるじゃない。『手先は器用か?』って」

 言った。確かに言った。しかしおまえがやったのは、あらぬ方向へ導くためとしか思えない、明らかなミスリード行為だ。

 が、肥満の中年おやじは自分の正当性を主張して、「ん、もう」と袋を後ろ手にガサガサいわせながら、プリプリと腰を振っている。

 腹肉を掴んでぶん投げたい。が、こめかみをぐりぐり揉み込みながら、ひとまず冷静におっさんの言い分をまとめる。

「───つまり、俺にお菓子を作らないか、と?」

 かんたんな料理すら作ったことのないこの俺に?

「そう!ザッツライト!お菓子職人!間違いなく素晴らしい職業のひとつだよ。しかも、腕さえあればどこでだって通用する、グローバルなお仕事だよ。キミにぴったりじゃない?」

 おっさんは、自分の主張するところの『正解』を口にした俺を、大げさな身振りで褒め、称えた。

「はは……」

 誰かの差し向けた嫌がらせじゃなかったのかとホッとするよりも、身構えたぶんだけ肩透かしを食らったような、複雑な気持ちになった。

 初対面の相手に『キミにぴったり』だなんて、やっぱ見た目通りふざけてやがんな、このじじい。こんなんじゃ布教活動とたいして変わらない。結局、相手は誰だって良かったんだ。

 ……なんだ。こんなおっさんの口車に乗る気なんて、はじめからさらさら無いのに、なにをガッカリしているんだか、俺は。

 馬鹿みたいだ。

「……へえ、でも俺。目が悪いんで、たぶん無理だと思いますよ」

 どうせ二度と会うこともない相手だと見切りをつけて、普通だったら言わないようなことも、投げやりに口にする。

 進学か、就職か。

 考えるようになってから、ずっと突きつけられていたことだ。

 「なんでもいいとか、やめてね。やりたいことがちゃんとあるんなら、諦めるための理由なんて勝手に考えないで、諦めないための理由を、最後までちゃんと探してよ。そのための道を、私も一緒に考えるから」

 母親はそう言った。

 夕飯時に、テレビを見ている時に何気ない風に話題にした感じだったけれど、ずっと考えていたことなんだろうなとその時に思った。多分、ずっと気にしていたんだろう。

 うちは、母子家庭だ。

 小学校の時はチビだった俺がぐんぐん背が伸び、中高と入学時買った制服がつんつるてんになった時には、黙って制服を買い直してくれたけど、それが家計にどれだけ負担だったかと考えると、いつも苦しい気持ちになった。

 だからといって自分は母親の手伝いを進んでやるような素直で可愛げのある息子でもなく、母親と顔を合わせると、憎まれ口の応酬に終始してしまう。

 正直なところ、やりたいことなんてものは特にない。義務教育の学業にすら身が入らなかった自分が、いたずらに金と時間をかけて、これ以上の学歴を取得することにどれほどの意味があるのかが、いまいちよくわからなかった。

 学校に来ている求人票の中からめぼしい会社何件かに履歴書を書いてみたこともある。そこには『健康欄』というものがあって、進路指導の教員に聞いてみると、「病歴という訳ではないので、色弱については今は書くことは義務づけられていない」そう言われたけれど、俺は記入して提出した。結果はすべて面接なしの不採用。

 当初は内申からは特に問題はないだろうという意見だった企業すべて。断りの内容は判で押したようにやわらかな文章で、「このたびは」から始まって、「ますますのご活躍を」うんぬんというあたりさわりのない言葉で締めくくられていた。

 担当教員は、事前に何度も「これは書かなくてもいいんだぞ」と念を押していた。

 申告の義務はなくても、ほかの内申の文面がどうであろうと、タグをひとつ付ければ、自分は見も知らない相手から『要らない人間』として振り分けられる。

 つまりは、そういうことなのだ。

「へえ?キミ、視力が悪いの?見たところ不自由はなさそうだけどねー」

 珍しい植物の葉っぱを見つけたかのようにしげしげと覗き込んでこようとするのを、腕でブロックする。

「色弱なんですよ。中学の時にわかったんですけど。生活上の不便は特に無くても、履歴書を出した会社は全敗でしたね」

 自嘲のように笑う。

 顔の見える相手から、面と向かって『その理由』を聞いておくのも、記念としてはいいかもしれない。果たしてこの後で、この男がどんな断り文句を並べてくれるのか、興味があった。

「あっは!なんだ、そのことを馬鹿正直に書いちゃったの!?馬っ鹿だね〜!」

 相手が、うっすらした頭やらひざをパンパン叩いて大ウケしたので、つられて笑ってしまった。しかしなにげに馬鹿と2回も言ったことを俺は聞き逃さなかった。

「書きましたよ。だってそれでどうなるのか、興味があるじゃないですか」

 知りたかった。それは、本当だ。そして心のどこかでは、違う結果もあることを望んでいた。

 単なる墓穴になってしまった今は、笑うしかないけど。

「ウンウン、いやいやいいね〜。ボクはそういうの好きだなー。まあ良かったじゃない。で、キミはどうするの?」

「……は?何が『で』で、何が『良かった』んですか?」

「何がって、キミが選別した結果、相手はそんなしどけない理由で、知りもしないキミのことを足蹴にするような会社だったってことでしょ?なら、早いうちに見切りをつけられて、ラッキーだったじゃない。それで、キミはこの先どんな会社を選ぶつもりなのかな?それとも何か別の希望があったりするの?」

「あの。……俺の話、聞いてましたか?」

 あまりにアグレッシブ過ぎて、機関車のように自分の吐き出す音以外拾えていないんじゃないのかと、疑わしくなる。

 なんなんだ、このポジティブシンキングじじいは。

「何言ってんの。聞いてたよ、当たり前じゃない。キミの方こそ人の話をちゃんと聞きなさいよ。こっちはまじめに口説いてるんだからさー」

 冗談が結晶化を果たしたかのような肥満中年から、まさかのクレームをつけられる。

「いや、あの、だから……えーと」

 ……あれ?なんだか混乱してきたぞ。

「もうさ、そんな偉そうな会社なんてやめて、うちにしときなよ。ボクはもう、あの電車の中でキミがしれっとカップに手を入れたあの時点で、絶対面白い子だと思ってたんだもん。ねえねえ、いいじゃんいいじゃん」

 だもんってなんだよ。キモいな。そんな軽いノリで決めて、いいわけがないんじゃないか?俺の、『将来』の話だろ?

「ねえ。先生にも、ご家族にも、キミにもさ、これからちゃんとボクが話すから、キミはボクの店がキミにとってふさわしいかどうかを、きちんと考えてくれないか?言っておくけど、自信はあるんだよ。だって、ボクの人を見る目は確かだし、自分が半生をかけて作った店だからね。気に入られないわけがないんだ。ところでキミ、名前は?」

 気付けば俺は、呆然と自分の名前を名乗っていた。後になって考えても、どうかしていたと思うのだけど、その時は、トド似でチョビひげでマヨネーズ頭のひどい風体の男の表情がどういうわけか妙に力強く見えて、気圧けおされてしまったのだ。

 とにかく俺は呆然としていて、2時限目もとっくに始まっていたということもあって、逃げるようにその場を去った。

 結局そのまま教室には向かうことなく、午前中いっぱい保健室で寝ていた。仮病の言い訳は探すまでもなく、頭も体も、軟体動物にでもなったかのようにヘタヘタに力が抜けまくっていて、いつもだったら職業を間違えているんじゃないかと思うくらいの防御率でゴネる生徒を教室へと叩き返す養護教諭は、退避してきた俺に何も言わずにベッドを空けてくれた。

 そのまま2時間ほど眠り、起きてからブレザーのポケットに手を入れると、男が持っていた紙片が出てきたので、カーテン越しの淡い陽にかざすようにして、しばらく眺めていた。

 あのキャラクターといい、言動といい、何かの間違いで不思議の国から飛び出してきたトドのようで、夢なんではないかと思っていた。

「『ぺいじゅ』オーナーのハムたろう……」

 声に出して読んでみる。それから、男の言動に登場した、不思議の国の住人たちを思い出す。

 『マッチョな愛妻』。芝犬の『まつだいらコロッケ』。それから、なんと言っていたか。

 ……ああ、そうだ。『ユニコーンちゃん』。

 放っておけば際限のなさそうな男の戯論たわごとに適当な相槌あいづちを返しながら振り切る前に、しきりに『ユニコーンちゃんが、ユニコーンちゃんが』とまくしたて、途中からは完全にスカウトの話そっちのけで、やたらめったらその生き物の自慢話を聞かされた。きっとハムたろうには他に溺愛するペットの与太話を聞いてくれる相手がいないのだろう。

 他人のペットのことなので真面目には聞いていなかったが、もとが野良だったのを拾って、仲間の多い施設らしきところへ預けていたらしいが、ようやくその環境に少しずつ慣れ始めた様子が、ハム夫妻には可愛くて可愛くて仕方がなかったのだそうだ。だけど、少し前に目を離した隙に外へ出て、ひどい怪我を負ってしまったらしい。

 その時に本格的に引き取って我が子として育てようと(強度のペット好きは、擬人化が標準らしい)決心したのだが、鬼のように無粋ぶすいなシッターに阻止されてしまい、それは叶わなかったとのことだった。

 確かに、動物に豆大福を与えようとするようなハムたろうなんかにベタベタに甘やかされたんじゃ、ユニコーンちゃんとやらもさらにやさぐれそうだ。あの様子じゃ、ごはんの与えすぎが虐待になるなんて、考えてもなさそうだし。俺が犬でも、全力で鎖を引き抜いて逃走したことだろう。

『お菓子は、人を幸せにする』か……。

 それこそが、馬鹿みたいにおめでたいスローガンだと思う。

 受け取った覚えもないのにいつの間にかポケットに入っていた紙片を一度くしゃくしゃにして屑かごに投げ入れようとして、結局ポケットに戻す。

 なんとなく、余計なことを記入した俺を気の毒なほどおろおろと心配していた、就職担当の教師に見せてやろうと思ったからだ。

 名刺の連絡先に自分から連絡をとる気はなかった。あいかわらず自分の進路にこれといった展望があるわけではなかったが、関わり合うことで自分の中のなにかが決定的に変わってしまいそうな、漠然とした不安があったからだ。

 昼休みが終わるまえに適当昼を済ませて何食わぬ顔で教室に入ろうかと支度をしていたところで、養護教諭が戻ってきた。

「あら、起きてたのね。丁度よかった」

 教諭は、俺に携帯電話を落とさなかったかと聞いてきた。

「いや、携帯なら…」

 ここに、と続けようとしたところで首筋から背中にかけてがぞわっとした。

 電車に乗る前に友人に「2限目から出席する」と連絡をいれたのが最後で、それから1度も着信が鳴っていないことの不自然さに、今さらになって気付いたからだった。カバンの中を手探りして、完全に血の気が引いた。

「あの、……」

 あとが続かず、あうあうと口が動くばかりの俺を、教諭が口角を上げたなごやかな様子で、「ん?」と首をかしげた際、ショートボブの髪が清潔感のある耳元でさらさらと揺れる。

 状況の把握はあくに努める一方で、チャーミングで包容力を感じさせる笑顔に、年上もいいなとか思っている自分がいる。

「あなたがここに来た時あんまりにも顔色が悪かったから、しばらく様子を見ようと思っていたんだけど、もしかしてそれは携帯電話を落としたせいだったの?」

 なんでも俺が寝ている間、今から1時間ほどまえに、学校に携帯の落し物の問い合わせがあったとのことだった。

「電話をくださった拾い主さんの話を聞いたら、落とした子の背格好とか特徴が三島くんにそっくりらしいのね。それで、岡田先生が三島くんの登録番号に電話をしてみたんだけど、やっぱり相手の方がお持ちの携帯電話に繋がったって」

 岡田というのは、最近第一子である娘が生まれたばかりの俺の担任だ。

 おっとりとした養護教諭からは、これで一件落着という雰囲気がにじみ出ている。彼女の中では、これですべての状況に合点がいってしまうらしい。

 「嘘だ」という声が、喉元までせり上がっていた。誰が『拾い主』なのかは、聞くまでもなかった。ただし、”拾った”んじゃなく、掏摸ったのだ。

 カバンをひっくり返して確認してみたが、刃物で切ったような穴などは空いていない。いつ、どうやってすられたかなど、まるで心当たりはなかったけれど、あの、見るからにうすらとぼけた鈍重そうな風体にすっかり騙されてしまった。間違ってもあれは、とぼけた天然でも、善人でもない。

 朝に会った痴漢よりもずっと、最悪な確信犯だ。

「岡田先生が、帰りに待ち合わせの場所に取りにいってもいいって言ってくださってるけど、どうする?」

 指定の待ち合わせ場所は、ごく一般的でメジャーなフランチャイズのカフェだった。

 ここで教師たちを相手に本当のところを主張したところで、ことを荒立てたぶんだけ携帯がかえってくるまでの道のりが長く、ややこしくなるだけだった。相手は、そこまでのことを見越した上でやっている。さらには、関わった順番に、次々と外堀を埋めるように落としていく様子が、100%ネタバレの予告編を見るくらい、手に取るようにわかってしまった。

 担任のことを悪く言うつもりはないが、ある程度の嫌疑を持った上でかかったところで、最近富に頭の中身が満開絶頂な岡田を丸め込むには、3分とかからないだろう。いや、1分でも長すぎるくらいだ。

「いえ。帰りに、自分で行くんでいいです」

 結局そう言うしかなかった。

 手間と時間をかけたぶんだけ、余興を長引かせるだけのような気がした。なによりも、相手の”人質”としてのセレクトの的確さと、生命線としてのそれを取られた自分の間抜けさがとてつもなく痛かったが、雷か通り魔に遭ったようなものと割り切るよりほかなかった。

 事態はいよいよ不思議の国のファンタジーからサスペンスホラーの様相を呈していた。この時俺は、以前映画好きの母親と観た斧を持った女のサイコスリラーを思い出していた。


「あ。来た来た、ここだよカズオミ〜」

 その日の夕方5時半過ぎ、くだんのカフェに出向き自動ドアが開くなり、あたかも旧知の間柄であるかのように親しげに手を振りながら、ソファー席にふんぞりかえった不審者に周りをはばかることない大量で下の名前を呼ばれるというはずかしめに、顔面が引きった。ざわめいていた店内が一瞬にしてツー音のように遠いものになり、頭に血が上っているのか下がっているのか、自分でもよくわからなかった。

 とにかく、このろくでもない男から携帯ひとじちを奪取し、一刻も早く他人になりたかった。

「いやあ、参った参った。久々の再会だっていうのに、ユニコーンちゃんったら会って3分で家から追い出すもんだから、おじさん、玄関先で泣きながら豆大福を食べましたよ。まあ、あの子の場合は、そういうエキセントリックなところもインクルーディングで素敵なんだけどね。っはっは。ところでこれ、おすすめって言うから頼んでみたけど、ファンシーな泥水みたいな味で、ちょっと吹き出しちゃったよ。日本では流行はやってんのかな?あ、そこ、足元に気をつけてね」

「は?」

 指さされた場所を確認する前に大股で踏み出した一歩目で、世界がぐるんと回転した。

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bloom wonder 逢坂汀 @teiausaka

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