第9話

 ざわざわと人の波が行きかう劇場の屋根の上、案内人は膝を抱えて空を見上げる。

「劇場……。そこでは様々な催し物が開催される、言ってみれば娯楽場。様々なドラマをそこに来た観客が楽しむ場所。自らが経験しない他の人生を疑似体験し、その世界に入りこみ、感情を共有する。しかし、ふと目を舞台からおろし、見渡してみれば劇場の中には更なる劇場が生まれている。吾人、作られたドラマにはあまり興味は無い。吾人の興味を引くもの。それは静かに進行している劇場の中のゲキジョウ」

 あたりの薄暗さの中に溶け込むように消えた案内人は再びふわりと劇場の舞台へ。

 舞台全体が明るく照らし出され、佇む四人の男女が舞台中央に背中を向けて立っていた。


 一人目の男は決意を胸に。

「僕は彼女に僕の舞台のチケットを送った……。僕の脚本で作り上げられた舞台。彼女がそれを観賞した後、僕は彼女の傍に立ち、告白しよう。容姿は劣るが僕には誇れる舞台がある。貴女に僕の作品を見て欲しかった、僕は貴女を愛してしまった。貴女の愛を僕にください。と」


 二人目の女は胸を高鳴らせて。

「彼が家に帰ってこなくなって数日。朝刊の中にまぎれるようにして入っていた空色の封筒。中には彼の舞台のチケットが一枚。私にはすぐ分かったわ。私を招待してくれたのね、劇場に入って良いのね。あぁ、貴方、愛しているわ、いつだって、いつまでも」


 三人目の男は欲を胸に。

「女は人前では『私』と言うくせに少し油断すると『あたし』と言う。そして、今、女は俺に『あたし』と言って、横でその美しい肌を露出させて寝ている。見ろ、俺に逆らえる者などいないんだ。女らしい曲線に舌を滑らせれば女は可愛い声で鳴く。ククク、これからもっと高みへと登らせてくれ……。そのかわり、お前には存分に俺の体で天国を味あわせてやる」


 四人目の女は胸を潰して。

「あぁ、こんなはずじゃなかった……。あたしの肌を撫で回し、あたしを快楽に誘う男が隣に居る。裏切ったわけじゃない、この男を愛しているわけじゃない。あたしが想うのは貴方だけ。そう、寂しかった、寂しかったのよ。あたしに振り向いてくれない貴方が悪いのよ……。あぁ、また逃れられない快感が。貴方、早く、早くあたしを抱きしめて……。でないとあたしはまた、あの頃に戻ってしまうわ……」


 其々が其々に己の感情を観客席に投げつける。

「フフフ、楽しいね。想いと思惑は重なり合う様で、絡み合うが、交わる事を知らない。さぁ、休憩時間は終わり。後半は一体どうなるか……。おっと、その前におさらいだ」

 男は……。チケットを握り締めやってきた女を見つけて、女の後ろの席に腰を下ろして女を見つめる。

 女は……。嬉しさに頬を染めて劇場に足を踏み入れ、ゆっくりと指定席に腰を下ろして男を想った。

 男は……。主演女優の楽屋でその女の体を抱きしめながら、女の鳴き声を聞いてニヤリと密かに笑う。

 女は……。男の腕を振り払うようにして楽屋を飛び出し、そっと舞台の袖から客席を覗き男を捜した。

「あぁ、僕の天使。今日こそ君の笑顔を僕は見れるだろう」

「あぁ、貴方。久しぶりに会えるわ。貴方に抱きしめて欲しい」

「あぁ、俺は。やっとここまでやってきた。決して逃がさないよ」

「あぁ、嬉しい。貴方がやっと来てくれた。あたしは今日、貴方の物になる」

 四つの想いを其々に、今夜、舞台と舞台の幕が上がる。

 己の激情をそのままに。劇場の緞帳がゆっくりと上がり、舞台の上では役者たちによる、芝居が繰り広げられる。多くの観客を楽しませ、人によって綴られた架空の芝居が終わる時、四つの想いは一体どのように絡み合う?


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