第8話

 舞台の中央を眩しくライトが照らし、その奥側にぼんやりと小さな光が現れる。

 女と男の存在の違いを示すように大きな光りの中に女が、小さな光りに男が立ち尽くした。

「さてさて、次の幕開け。二つの想いは交わらず、新たな二つの想いが交差する」

 案内人の声が響き終わった時、女は大きく腕を広げて胸を張り出す。


「新しい芝居、彼の書いた、彼の脚本。主演は当然あたし。前の公演が終わり、次の公演の顔合わせで久しぶりに見た彼は変わらず素敵。役者同士の顔合わせだったけれどあたしの瞳には彼しか映らなかった」

 女は何ヶ月かぶりに、出会った男に何度も視線を送っていた。

 そんな視線に気付いていないのか男は全く返事をすることなく、読み合わせが始まる前に部屋を出て行く。

(久しぶりに会ったのに一言も言葉を交わすことなく別れてしまうなんて……)

 女は出て行った男を追いかけドアへ向かう。あと少しでドアノブを掴むという所で女は、ガクリと後ろに引っ張られるように足を止められた。

(あたしの邪魔をするのはいったい誰?)

 と、女は自分の腕を掴んでいる男を睨み付けた。

 そこに居たのは今回、舞台監督たっての希望で入ってきた新しい役者の男。

「離して下さらない? 私急いでいるの。大体、新人が私の腕を掴むなんて失礼よ」

 女の言葉に微笑みながら自己紹介をした男は、腕を掴んでいた手を下へと滑らせて女の手を握り、その甲へ口付けを。

 早く男を追いかけたいという女の思いとは逆に、男は女の手を放すことなく女の指を自分の口へと運んだ。振り払おうにも男はしっかりと手を握り締めていて振りほどけない。女が男を蹴り飛ばそうとした瞬間、台本の読み合わせが始まってしまい、女は男を追いかけることが出来なくなる。

(あたしに取り入りたいのかもしれないけれど、厭らしい、嫌な男だわ)

 見た目は良いが、演技はそこそこの男に、女は一体監督は何処が良いと思ったのだろうと首をかしげた。それと同時に邪魔をされたこともさることながら、なってない演技で、男の脚本が台無しになってしまうと爪を噛んで苛つく。

(こんな芝居をしたら、彼が見に来てくれないかもしれない。今度こそ、彼にあたしの演じる姿を見せたいのに。今回は今までとは違う。彼に驚きをプレゼントしようとしているのよ。あぁ、最悪だわ)

 女の落胆を知らず、誇らしげに台本を読み上げる男は、何度も自慢の流し目で女を誘惑しようとしていた。睨み付ける女の視線さえ、自分に興味を持っているのだと思い込んで。


 男は舞台監督に連れられて、夢の劇場の控え室にやってきた。そして部屋を見渡し、奥に座る女に標準をあわせる。

 男の自慢の体は女だけではなく男も虜にする。磨きに磨いた男の体は自身に人生最大の好機をもたらそうとしていた。次の芝居の舞台監督を捜し、偶然を装って近づいた男は憧れの舞台に立つために根回しをする。男は自身の未来の栄光の為ならばどんな事もいとわなかった。

「男であろうと女であろうと人は人、獣と交わるわけじゃない。俺が狙うのは次の舞台、主演女優の相手役。この男は獲物を捕らえる為の、その通過点に過ぎない。本命はあの女、俺の体で虜にしてしまえば俺の未来は開かれたも同然だ」

 男は女の事も調べ、女に特定の男がいないことも知っている。だからこそ、男は自信があり、勝算があると思っていた。

「熱心さは伝わるけれど、この男、本当に役者なの? 下手にも程があるわ」

 女は男の癖のあるような浮いた感じのする演技にため息を漏らす。

 仮にも自分の相手役を務めようと言う男がこんなでは、幾ら自分が頑張ったとしても舞台の失敗は目に見えていた。

 男の書いた脚本の舞台を失敗するなど女には許せないこと。女は男の演技を向上させる為にいつも以上に稽古場に訪れた。練習を重ねても男の演技が上手くなることはなく、女は呆れたように男に言う。

「何時まで経っても下手ね。貴方、私の相手役どころか、役者に向いてないわ。辞めてしまいなさい」

 女の言葉に男は首を振る。そして、自分は女に憧れやっと同じ舞台に立てるのにそんなことを言わないでほしいと懇願し、女に一つの提案をした。

 それは女の家に自分を泊めろというもの。

 躊躇する女に男は、

「人気女優の貴女が稽古場に演技指導をしにくるといってもほんのわずかな時間。貴女の言うように俺は未熟です。そんなわずかな時間では本当に足りない。分かっています。だからこそ、泊り込めば倍以上の時間、貴女から演技の指導を受けられる。そうしてくれれば、貴女の思っている通りの役を演じて見せます」

 と言った。

 暫く沈黙した女だったが、男の言い分も最もだと考え、例え男女が同じ場所に居ようとも、心の底から男を想っている自分に限って万が一のことなんてありえないと男の提案を受け入れる。女の了承の言葉に男はニヤリとほくそ笑んだ。

「やはり、女は単純。俺の魅力の前ではどんな大女優も形無しと言った所か?」

 劇場からの帰り道、男の顔は緩んだまま。男にとって女の了承の言葉は女が手に入ったと同じ意味を持っていた。

 少しはにかむように、少し申し訳なさそうに、そして、少し甘えるように。男は女によってその態度を変え、欲しいものを手に入れてきた。

 大女優だろうと男にとってそれは女。男は女優の扱いを心得ていた。女優は何よりも舞台を大事にする。舞台を大事にすると言うことは、舞台を成功させる為であれば女はどんな条件も受け入れると計算していたのだ。

「俺の罠にやすやすと引っかかり、気がつけば俺の腕の中に居る。あの女もいずれ俺の糧。入り込めればこちらのものだ」

 男は自分を今まで導いてきた女のマンションに帰ってきた。

 ほくそ笑む感情を顔の裏に隠して頬を紅くする女を抱く。これから手に入れるだろう上玉の女に見立て、女の体を蹂躙した。


 舞台の上、大きなスポットライトに輝かしく立つ女の影にそっと忍び寄る男の薄ら明かり。男が女の背中から覆いかぶさるように襲いかかろうと、大きく腕を広げた瞬間、案内人が指を鳴らして舞台は暗転、真っ暗に。

「男と女、二つの想いは芝居の中、舞台の上で絡み合う。しかし、二色が一色になることはなく、一つの色はもう一つの色を上から塗りつぶすように、一方的な強制力で支配をしようと忍び寄っていた」

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